大祝鶴姫 辞世の句です。

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戦国武将 辞世の句

わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ
鶴姫は大山祇神社の大祝職(大宮司)・大祝氏の娘。兄に大祝安舎と大祝安房がいます。
父・安用は顔立ちが整った体格が良い鶴姫をことのほか可愛がりました。
幼い頃より神道書や連歌、琴、さらに武術や兵法を習わせたとされます。
鶴姫が八歳のときに父・安用が病死し、大山祇神社のしきたりで大祝安舎は大祝職、大祝安房は大三島を警護する水軍大将・祝職を継いで三島城の陣代になります。
大三島は中国地方の守護大名・大内義隆の攻略を受けていました。
1541年6月に大内氏配下の水軍の将・白井房胤らが攻め寄せます。次兄の安房が陣代となって出陣河野氏や来島氏と連合して大内軍を打ち負かしました。この戦いで次兄の安房が討死。鶴姫が十六歳のときでした。
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同年10月に再び大内軍が攻め寄せます。このとき陣代として三島水軍を率いたのは鶴姫でした。(鶴姫の幼なじみである越智安成が率いたともいわれています)
鶴姫と越智安成は安房の遺志を継いで大内軍に戦いを挑みました。鶴姫は早船(小型船)を率い奇襲をかける作戦を決行します。
鶴姫は「我は三島明神権化の者なり、我と思わん者は出だせたまえ」と大声を張り上げ長刀を振るいます。敵将を何人も討ち取るなど活躍して大内軍を撃退しました。
鶴姫は思いを寄せ合う越智安成と力をあわせ三島水軍を再建します。
1543年6月二度の敗北に業を煮やした大内義隆は、陶隆房の軍勢をもって、大三島に攻め寄せます。過去二回の合戦に敗れている大内軍はあらゆる兵力を結集してきました。
鶴姫と越智安成は早船を率い全力で迎え撃ちますが敗色が濃くなります。
鶴姫たちの退却の時間を稼ぐために越智安成は早船に乗り、敵の将船をめがけて突撃。この戦いで越智安成は討死しました。これを受けて大祝職の安舎は大内氏との講和を決断します。
しかし鶴姫はもう一度、残存兵力を集結させると大内軍に夜襲を仕掛けました。大内軍は不意を突かれ壊走。鶴姫は大三島を守り抜きました。
戦死した越智安成を想う鶴姫は戦いのあとに三島明神への参籠を済ませると、ただ一人小舟を沖へ漕ぎ出し、入水したと伝えられています。十八歳の生涯でした。

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