最上義光 辞世の句です。

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戦国武将 辞世の句

最上義光は伊達政宗のライバル、悪役としてのイメージが強いかもしれません。
調略に次ぐ調略で相手方の戦力を削ぎ落としながら戦う姿から「羽州の狐」などと呼ばれることもあれば、さらに、刀の二倍はあろう重さの鉄棒を振るう腕力を持っていたことから「虎将」との異名ももっています。
出羽山形藩五十七万石、初代藩主が最上義光です。戦国大名の名に相応しい戦人生を歩んでいます。

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伊達氏からの独立

1546年1月1日、最上義守の嫡子として誕生。元服は十四歳の1560年、将軍足利義輝より義の一字を拝領し、源五郎義光と名乗ります。3月には初陣を飾りました。
義光はかなりの妹思いだったことで知られていますが、その妹・義姫が巨大な勢力として立ち塞がっていた伊達氏に嫁いだのが1564年になります。
義姫は伊達政宗を1567年に産んでいます。義光が二十一歳の頃です。つまり伊達政宗にとって最上義光は立派な叔父にあたるのです。
義姫はその後、自らを盾にして最上氏と伊達氏の和睦を成立させるなど大きな活躍をしていくことになります。
1570年から1574年にかけて父親との間が不穏になった義光は、父子で争うだけでなく、敵方に伊達氏も巻き込みながらの厳しい戦いを強いられますが、なんとか持ちこたえ、父とは和解が成立します。そして二十八歳の8月に正式に十一代目の家督を継ぐことになりますが、それは同時に伊達氏からの独立も意味していました。

最上郡の統一

最上家当主になった義光でしたが、周囲は敵ばかりで、1577年から1584年まで、義光は三十代のほとんどを身内との戦争に費やすことになります。
問題は支族である天童氏を頭領とした「最上八楯」との激烈な戦いです。
最上八楯を鎮めるために
天童氏の妹を側室に迎え、和議を結んだあとに敵方の家老を調略して主君を暗殺。
真っ向から戦いを挑むように見せかけて、敵方の家老を内応させて戦を終わらせる。
病と偽って敵方を誘き出し、だまし討ちにするなど、あらゆる手段を用いました。
義光の度量の広さは世に知られていましたから、調略・内応・引き抜きといった敵を弱体化させる策は非情に成功率が高く、且つ効果的でした。
約7年の時をかけて、義光は最上八楯を降し、三十八歳の頃、最上郡を統一します。

大崎合戦

1588年には伊達政宗が義光の義兄である大崎氏を攻めます。伊達政宗軍と大崎義隆・最上義光連合軍との戦いで、大崎氏に加勢した義光は政宗を破りますが、そこに義光の妹であり政宗の母である義姫が現れ、両陣の間に自らが入った籠を置かせて和議を成立させます。家族思いの義光は妹の抗議を受け入れました。
豊臣秀吉により、ようやく家役であった羽州探題に任ぜられます。支族に探題を名乗られたこともあるほど落ちぶれていた本家を義光は見事に復活させました。
しかし、その矢先に庄内平野を上杉氏に攻め取られます。そして上杉氏は庄内平野の支配を豊臣秀吉の公認を受けるのです。羽州探題に義光を任じたのも秀吉でした。ここは涙を呑んで下知に従います。

秀吉への憎悪

上杉は秀吉と懇意にし、義光は徳川家康との親交を深めていきます。
1590年の小田原征伐では、伊達政宗よりも遅参していますが、義光の父・義守の葬儀のためという理由があったのでおとがめを受けていません。
義光は秀吉から二十四万石の安堵を受けます。
ここで義光は最上氏の今後を考え、次男である家親を家康の小姓へ送り出しました。そして三男の義親を秀吉のもとに送り出すのです。いわば人質同様です。
娘である駒姫は秀吉の後継者となるはずであった豊臣秀次にしきりにお願いされて、その側室に入れていましたが、1595年の秀次事件によって連座し処刑されることになりました。
家族思いの義光は、娘を救おうと必死の嘆願をしますが、聞かれず、駒姫は河原で処刑。
秀吉への憎悪が募り、より家康に傾倒していくことになります。

関ヶ原の戦いは東軍へ

関ケ原の戦いでは家康の東軍につきました。そして庄内平野奪還に動きます。このときのための義光は二千の鉄砲を用意させていました。
上杉軍は二万を超える大軍を直江兼続に率いさせて対抗します。義光は七千と寡兵でしたが、鉄砲の威力もあって直江軍と互角の戦をしました。
やがて西軍敗けの報が流れて直江は撤退、義光も必死に追撃しますが、上手く退却されてしまいました。
関ヶ原の戦いで勝利した義光は、五十七万石に加増され、その後、出羽藩が誕生します。
関ケ原の戦い後は内政重視に尽力。仁君と慕われた義光の治世では、自国の民衆に好かれ、一揆が起きなかったといわれています。
壮絶な戦いの中でも家族や味方のことを思いやることができる、人情家だったのかもしれません。

最上義光 辞世の句である可能性が指摘されています。

一生居敬全
今日命帰天
六十余霜事
対花拍手眠

一生居するに 敬を全うし
今日 命天に帰す
六十余霜の事
花に対ひ手を拍ちて眠らん

私は一生敬を全うしてきた
わが命今日、天に帰る。
六十年あまりの年月はただ茫々。
咲く花に手を打ち、眠るとしよう。

有といひ 無しと教へて
久堅の 月白妙の
雪清きかな

有るといい無しとも言う、有無は心がけ次第だ。
空に高く月は白く、真白い雪は清らかだ。

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