戦国武将の名言

戦国武将の名言

金栗四三の名言です。

体力・気力・努力 マラソン選手として日本人で初めてオリンピックに出場した金栗四三さんが残した名言です。 「体力・気力・努力」の精神が持続すれば、戦国武将でもビジネスマンでも何かを成し遂げることができます。 何に対しても頑張っている人は、誰か...
戦国武将の名言

松永久秀の名言です。

日ノ本一の正直者ゆえ、義理や人情という嘘はつきませぬ。裏切られるのは弱いから裏切られるのです。裏切られたくなければ、常に強くあればよろしい。 この名言は久秀が信長を裏切り降参した後、信長に言った言葉です。 疑いを持ったら二度と許さないと恐れ...
戦国武将の名言

直江兼続の漢詩です。

直江兼続は戦国時代の軍師として有名な真田昌幸、黒田官兵衛、島左近、本田正信などと比較され、家康をも脅かした知将です。文人としても一流の教養を身につけていました。そんな直江兼続の漢詩です。 春雁我に似たり 我雁に似たり洛陽城裏花に背いて帰る ...
戦国武将の名言

池田輝政の名言です。

いまの世の中は静かではあるが、いつどのようなことが起こらぬとも限らない。 そのときのために、いま以上に欲しいものは有能な武士である。 無益の出費を省いて人を多く抱えることが世の楽しみなのだ。 人を雇うには資金が必要です。新規雇用もままならな...
戦国武将の名言

山内一豊の名言です。

命を捨てる覚悟で運を拾わねば、運などは拾えるものではない。 武勇よりも妻千代の内助の功で有名な武将です。信長、秀吉、家康の三代に仕えます。目立つ活躍は少ないですが、秀吉の戦には常に名を連ねていました。秀吉の死後は反三成の豊臣家臣とともに家康...
戦国武将の名言

柳生宗厳の名言です。

柳生宗厳は戦国時代の新陰流の剣法を継いだ兵法家です。 父は柳生家厳で大和の国は添上郡柳生郷の豪族でした。宗厳は新介という幼名で、新左衛門と呼ばれていました。 宗厳は香取新十郎に新当流の剣術を学び、宝蔵院胤栄には槍術をそれぞれに学びます。 多...
戦国武将の名言

滝川一益の名言です。

大名たる我はあの鶴の身持ちと変わらぬ。我らが昼夜の心遣いを察せよ。汝ら家臣は鶴を羨まず、雀の楽しみを楽しめ(名将言行録より) あるとき、一益の近くで鶴が舞い降りました。鶴が餌を食べるときは、見張り役がいて常に周囲を警戒しています。鶴の近くに...
戦国武将の名言

水野勝成の名言です。

すべての士に、身分の貴い、賤しいはない。主君となり、従者となって、互いに頼み合ってこそ、世は立つ習いである。 だから、大事の時は身を捨てて忠義をなすのだ。汝らは我をば親と思われよ。我は汝らを子と思わん。 福山藩初代藩主。「鬼日向」の異名を持...
戦国武将の名言

雑賀孫一のエピソードです。

雑賀衆を味方にすれば必ず勝ち、敵にすれば必ず負ける 雑賀衆は紀伊半島の南西部を支配していた勢力で戦国最強の鉄砲傭兵集団 「雑賀衆」と呼ばれる傭兵集団です。雑賀孫一は雑賀衆の棟梁や有力者が代々継承する通し名のようなもので、複数の武将が雑賀孫一...
戦国武将の名言

柴田勝家の名言です。

城の水、わずかにこればかりなり。兵士の渇死は疑いない。いまだ力の疲れを知らないうちに必死の戦いをしようではないか。 勝家は信長の重臣。先駆けに強い武勇絶倫の猛将です。信長の朝倉氏攻めの際、水の調達が不便な長光寺城に籠城した柴田軍は、朝倉氏と...