戦国武将 辞世の句

戦国武将 辞世の句

細川忠興 辞世の句です。

非凡な才を持っていたことは間違いなく、豪傑でもあり文化人でもありましたが、どこか不調和な違和感を残す人物でもあります。 出自 1563年の生まれで、父は細川藤孝です。誕生時には藤孝は将軍足利義輝に仕えていましたが、二年後には義輝が暗殺されま...
戦国武将 辞世の句

大内義隆 辞世の句です。

陶晴賢の謀反によって命を落とした有力大名です。 文弱とされてはいますが、さすがの内政力で山口を西京都と呼ばれるほどに隆盛させました。 ただの暗愚でなかったのは間違いありません。 誕生から家督相続まで 1507年、大内義興の長男として誕生しま...
戦国武将 辞世の句

陶晴賢 辞世の句です。

戦国時代と言えば下克上の時代です。京の周辺では裏切りはするが主君を殺めるところまではいかないような、複雑な思いが散見されますが、晴賢はもっとわかりやすい人物でした。 出自 1521年、父陶興房の元で誕生しました。陶氏は大内氏の重臣の家系で、...
戦国武将 辞世の句

朝倉義景 辞世の句です。

浅井長政の同盟者として有名で、共に戦い共に滅んだという印象が強いかと思いますが、実際のところ、義景の方は戦いは苦手だったようで、戦績に見るべきものはありません。が、一般的な評価ほど無能というわけではなく、生まれる時代、もしくは家柄を間違えた...
戦国武将 辞世の句

柳生宗矩 辞世の句です。

剣の達人で知られる柳生石舟斎の息子で新陰流を継承するも、剣術家として以上に、幕府の影での暗躍を描かれることの多い人物です。 出自 1571年、父柳生宗厳の五男として生まれました。当時松永久秀に仕えていた柳生氏は、松永氏と筒井氏の戦いにも松永...
戦国武将 辞世の句

斎藤義龍 辞世の句です。

マムシで知られる美濃の斉藤道三の息子です。父には暗愚と評されましたが軍才にあふれ、統治も順調でした。もし長生きしたならば、信長の勢力拡張に多大な影響を及ぼし、歴史が変わっていたかもしれません。 誕生から家督相続まで 1527年、道三の長男と...
戦国武将 辞世の句

今川義元 辞世の句です。

今川義元と言えば、桶狭間の戦いで、戦力的に圧倒的優位にあったにもかかわらず、織田信長の奇襲を受けて討ち取られてしまいました。 その後、今川家は滅亡に向かいます。桶狭間の戦いがなければ、歴史を根底から変えていたかもしれない人物です。 誕生から...
戦国武将 辞世の句

松永久秀 辞世の句です。

乱世の梟雄として有名な、戦国時代の大悪人として知られています。善良だったかまでは定かではありませんが、作られた人物象で語られていることも多いのも事実です。 出自 1510年頃の生まれとされていますが、資料に名前の出てくる1540年代までの記...
戦国武将 辞世の句

竜造寺隆信 辞世の句です。

冷酷非情で、「肥前の熊」の異名をもって周辺諸国に恐れられた竜造寺隆信。 大友、島津と並んで、九州の三強のひとつとして有名になりました。 頭脳明晰で、力も強かったと云われていますが、肥満体で、隆信を乗せた輿は五人がかりでなければ運べなかったと...
戦国武将 辞世の句

高橋紹運 辞世の句です。

紹運が討ち死にした岩屋城申の丸跡には、家臣の子孫たちによって建立された「嗚呼壮烈岩屋城址」という石碑があり、現在でも彼と彼の家臣763名の命日である7月27日には、縁者によって追悼供養が営まれているほどです。 勇壮忠義の武士、高橋紹運は、1...