戦国武将 辞世の句

戦国武将 辞世の句

立花道雪 辞世の句です。

勇猛かつ知略に長けた闘将。鬼とも雷神とも呼ばれた九州の雄で、大友義鑑、宗麟の二代にわたり大友氏に仕えた戦国武将です。 道雪は、1513年に豊後の国で、鎧岳城主、戸次親家の次男として生まれました。 幼い頃に実母を亡くし、父も病弱だった彼は、継...
戦国武将 辞世の句

北条氏政 辞世の句です。

北条氏政は後北条氏の四代目の当主です。 1538年(天文7年)に生まれた北条氏康の次男。兄が夭折したことにより北条新九郎氏政と名乗って世子となっています。幼名は松千代丸。 氏政の正室は武田信玄の娘の黄梅院であり、1554年に結婚しています(...
戦国武将 辞世の句

北条氏康 辞世の句です。

北条氏康は戦国時代の武将であり、相模の国の大名でもあります。後北条氏の二代目当主である北条氏綱の嫡男として1515年(永正12年)に小田原の地で誕生しています。幼名は新九郎と言いました。様々な事を学び、足利学校が復興することにも尽力し、三条...
戦国武将 辞世の句

斉藤道三 辞世の句です。

捨ててだに この世のほかは なき物を いづくかつひの すみかなりけむ 斉藤道三は美濃の国の戦国大名。織田信長の義理の父。道三は一代で美濃の国取りをしたと言うのが通説であるが、最近の研究によると道三の父と道三という二代に渡る努力が効を奏して美...
戦国武将 辞世の句

最上義光 辞世の句です。

最上義光は伊達政宗のライバル、悪役としてのイメージが強いかもしれません。 調略に次ぐ調略で相手方の戦力を削ぎ落としながら戦う姿から「羽州の狐」などと呼ばれることもあれば、さらに、刀の二倍はあろう重さの鉄棒を振るう腕力を持っていたことから「虎...
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細川ガラシャ 辞世の句です。

細川ガラシャは、1563年明智光秀の娘として生まれました。ガラシャはクリスチャン名で、和名を玉と言います。十六歳のときに織田信長の勧めにより、細川忠興のもとに嫁ぎました。玉は美女で忠興とは仲のよい夫婦であり、二人の子供が生まれました。 15...
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お市の方 辞世の句です。 

お市の方は織田信秀の娘として生まれました。兄は織田信長です。戦国一の絶世の美女で聡明だったといわれています。天下統一をめざす信長は、近江の浅井長政と同盟を結ぶためにお市と長政を結婚させられました。二十一歳のときでした。この婚姻は政略結婚でし...
戦国武将 辞世の句

本多正信 辞世の句です。

本多正信は、1538年に本多俊正の次男として三河で生まれました。通称として弥八郎とも呼ばれます。「徳川二十将」の一人と言われています。四十石の鷹匠として徳川家康に仕え、桶狭間の戦いの際に今川義元の命で丸根砦を攻める家康に従い参戦しました。 ...
戦国武将 辞世の句

大祝鶴姫 辞世の句です。

わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ 鶴姫は大山祇神社の大祝職(大宮司)・大祝氏の娘。兄に大祝安舎と大祝安房がいます。 父・安用は顔立ちが整った体格が良い鶴姫をことのほか可愛がりました。 幼い頃より神道書や連歌、琴...
戦国武将 辞世の句

武田信玄 辞世の句です。

甲斐(山梨県)の守護の家柄で信虎の子、名は晴信です。(信玄とは出家後の法名) 父、信虎は十四歳で後継者争いに勝ち武田家の家督を継ぐと、わずか一年で甲斐一国の統一に成功したほど戦上手でした。 しかし戦いに明け暮れたため、税を徴収される領民や家...