戦国武将 辞世の句

戦国武将 辞世の句

武田勝頼 辞世の句です。 

武田信玄の四男。側室である諏訪御料人の子です。 諏訪家はもともと信濃の名家でしたが、頼重の代に信玄に滅ぼされます。信玄は諏訪家やその家臣などを懐柔するため、頼重の娘を側室にしました。そして生まれた子が勝頼です。そのため勝頼は当初より武田家の...
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保科正俊 辞世の句です。

信濃の保科正則の子として生まれます。武田信玄の信濃侵攻が始まり、正俊は高遠城主 諏訪頼継の家老として信玄を迎え撃ちました。 しだいに信濃の諸将が落ちていき、信玄の信濃支配が進んで行くなか、信玄は高遠城主 諏訪頼継を甲府に呼び寄せ自刀させ、頼...
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竹中重治 秀吉への最期の言葉です。

竹中重治、または竹中半兵衛と呼ばれます。竹中重治は1544年、斎藤道三の家臣・遠江守重元の子として生まれました。重治は家督を継ぐと、不破郡一帯に勢力を拡げました。重治が有名になったのは、主家斎藤氏の居城・稲葉山城乗っ取りを企てたときです。原...
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豊臣秀次 辞世の句です。

三好吉房と日秀院(羽柴秀吉の姉)の子として1568年に生まれました。織田信長が本能寺の変によって倒れされると、羽柴秀吉は山崎の地にて 明智光秀軍を破りました。英次の初陣はこのときであったといわれています。 以降は羽柴秀吉の親族として、織田家...
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佐々成政 辞世の句です。

信長の家臣団には木下藤吉郎や滝川一益など出自がはっきりしない人物が多いことが特徴となっていますが、その中で佐々成政は自前の城と領地を持つ由緒ある武家に生まれています。 佐々家は小規模ではありましたが元々尾張比良城を本拠とした領主の家系であり...
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佐久間盛政 辞世の句です。

信長の家臣として活躍し、その猛将ぶりから“鬼玄蕃”と渾名された武将が佐久間盛政です。 天文23年(1554年)尾張に生まれた盛政は永禄11年(1568年)に初陣すると越前手筒山城の戦い、野洲河原の戦い、槇島城の戦いに参陣し、180?を超える...
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真田信繁 辞世の句です。

定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候。我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候。 大坂夏の陣直前の3月19日に書かれた小山田茂誠に送った手紙の一節です。明日のこともどうなるかはわかりません。私たちはこの世にいないものと...
戦国武将 辞世の句

足利義輝 辞世の句です。

足利義輝は、室町幕府十三代の将軍です。1536年に、父である十二代義晴の子として生まれました。生まれた後には近衛尚通の猶子(ゆうし・親戚関係にある人や他人と親子の関係になる制度)になりました。 子どもの頃から京の地にあって、義輝も政治的ない...
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島津義弘 辞世の句です。

薩摩国守護であった島津貴久の次男として誕生しました。母は入来院重聡の娘。 祖父は忠良(日新公)。のちに兄・義久、弟・歳久、末弟・家久と合わせて「島津四兄弟」 と称されます。兄の義久が家督を継ぎ、島津家十六代当主となると兄の補佐役となりました...
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真田信之 辞世の句です。

真田家を存続させた功労者 真田信幸(信之)は、真田信繁(幸村)の兄。 大阪夏の陣、冬の陣で華々しい活躍している弟の影に隠れていますが、とても優秀な兄です。父の昌幸と共に戦った戦では、家康が信幸の知謀、戦ぶりなどを評価していることが充分に伺え...