戦国武将 辞世の句

戦国武将 辞世の句

明智光秀 辞世の句です。

順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す 心しらぬ 人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ 名をも惜まじ いかにも武将らしく潔い辞世の句です。 心に残るものがあります。 自分の働く理由を突き詰めることは、将来へつなが...
戦国武将 辞世の句

毛利元就 辞世の句です。

友を得て なおぞ嬉しき 桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は 毛利元就は安芸の小規模な国人領主から中国地方のほぼ全域を支配下に置くまでに勢力を拡大し、一代で中国地方を制覇します。 傑出した戦略家・謀略家。戦国時代最高の智将、「謀神」とも呼ばれ...
戦国武将 辞世の句

上杉謙信 辞世の句です。

極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし 越後国の武将で、越後の虎とも越後の龍とも呼ばれた武将です。上杉謙信は私欲の少ない、清廉の人として知られています。戦国時代屈指の戦上手であり、野戦においては戦国武将の中でも最高の指揮統率力を...
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大谷吉継 辞世の句です。

石田三成との友情を取り、勝ち目のない戦に身を捧げた義の武将です。羽柴秀吉の小姓として仕え馬廻衆として数々の戦いに従軍します。 本能寺の変で、織田信長が亡くなると、羽柴秀吉と柴田勝家が対立。賤ヶ岳の戦いで、先懸衆として石田三成らと共に活躍し、...
戦国武将 辞世の句

石田三成 辞世の句です。

筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり 石田三成ほど相反する人物像があり、しかもその評価が曖昧な人物はいません。 かつては豊臣政権中枢で権勢を振るって危うくし、滅亡に導いた奸臣という評価が多数を占めています。ではこ...
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柴田勝家 辞世の句です。

織田信長の家臣で、織田氏の拡大に尽力した猛将です。信長の敵として、そして後継者の一人として戦い続け、ちょうど新しい時代の移り変わりに生きました。 出自 勝家以前の柴田氏の資料は少なく、父の名や出生年すらも不明です。1520年代の生まれと考え...
戦国武将 辞世の句

伊達政宗 辞世の句です。

曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く 政宗は、永禄十年、伊達輝宗の嫡子として米沢城に誕生しました 母は最上義光の妹。幼名は梵天丸。幼時に疱瘡にかかり、右目を失明します。右目を病んだ政宗は陰険な性格となっていましたが、政宗の...
戦国武将 辞世の句

豊臣秀吉 辞世の句です。

名もなき庶民から織田信長の配下になり、 清洲城の普請奉行、台所奉行などを率先して引き受けて大きな成果を挙げ頭角を現すことになります。 優れた才能を発揮し、斎藤氏と戦った際は墨俣に一夜にして城を築いたとされ、信長に重用されました。その後も数々...
戦国武将 辞世の句

井伊直政 辞世の句です。

徳川四天王の一人です。井伊直政は、1561年に今川家の名門譜代、井伊直親の子として生まれました。幼名を虎松といいます。 井伊直親の長男。祖父・直盛は今川義元に仕えて合戦で戦死。父・直親は、直正が二歳の時に謀反の嫌疑をかけられ今川氏真に誅殺さ...
戦国武将 辞世の句

本多忠勝 辞世の句です。

本多忠勝は、松平広忠家臣本多忠高の長男として三河に生まれました。幼名を平八郎といいます。 三河譜代の最古参の生まれで幼い頃から徳川家康に仕え、十三歳で初陣を飾り初首は十五歳の時です。今川氏真の武将の小原備前と戦ったとき、叔父の忠真が倒した敵...