戦国武将 辞世の句

戦国武将 辞世の句

梓弓は元の栖へ ~吉川経家、鳥取城に散った忠臣の潔き魂~

戦国時代、数多の合戦がありましたが、中でも羽柴(豊臣)秀吉による「鳥取城の渇(かつ)え殺し」は、その凄惨さで知られています。食料を断たれ、餓死者が続出する地獄のような状況の中で、城兵たちの命を救うために、自らの腹を切って責任を取った城主がい...
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三瀬川の道案内 ~蒲生大膳(郷舎)、主君を想う最後の忠義~

戦国の世に、「忠臣」として語り継がれる武将は数多くいますが、その最期の言葉にまで主君への深い思いやりを込めた人物がいます。蒲生大膳(がもう だいぜん)、あるいは蒲生郷舎(さといえ)、蒲生頼郷(よりさと)、横山喜内(よこやま きない)など、複...
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仮初めの雲隠れ、惜しむは有明の月 ~大嶋照屋、儚さを見つめる最期の歌~

戦国時代の丹波国に、松永久秀という強大な敵に立ち向かい、潔く散っていった武将がいました。大嶋照屋(おおしま てるいえ)。先に紹介した大嶋澄月(ちょうげつ)と同一人物、あるいは親子や兄弟といった極めて近しい関係にあった人物と考えられています。...
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澄む月の光は隠れず ~大嶋澄月、逆境に輝く不屈の魂~

戦国の世には、織田信長や豊臣秀吉のような天下に名を轟かせた英雄たちだけでなく、歴史の片隅で、自らの信念を胸に戦い、散っていった無数の武将たちが存在します。丹波国の国人領主、大嶋澄月(おおしま ちょうげつ / 鬼頭掃部助澄月とも)も、その一人...
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嵐なくとも花は散る ~大内義長、傀儡の君主が見た無常の境地~

戦国の世、名門大内氏最後の当主として、歴史の激流に翻弄された人物がいます。その名は、大内義長(おおうち よしなが)。元は九州の大名・大友氏の子息でしたが、家臣の謀反によって滅亡寸前となった大内氏の当主に、政略によって担ぎ上げられた悲劇の貴公...
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恨みと達観、二つの辞世 ~大内義隆、栄華と滅びの無常歌

戦国時代、西国に比類なき栄華を誇った大名、大内義隆(おおうち よしたか)。本拠地・山口は「西の京」と称され、明との貿易で得た富を背景に、きらびやかな大内文化が花開きました。義隆自身も和歌や連歌に通じた一流の文化人でした。しかし、その栄華は長...
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雲の身は出雲の藻屑と… 大内晴持、貴公子の悲劇と無常の歌

戦国時代、西国に一大勢力を誇った大内氏。その最盛期を築いた大内義隆(おおうち よしたか)の養嗣子(ようしし)として、将来を嘱望された若者がいました。その名は、大内晴持(おおうち はるもち)。元は都の公家、一条家の出身という、まさに「雲の上」...
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清風と明月、互いに払う ~安国寺恵瓊、禅僧が見た最後の境地~

戦国の世に、僧侶でありながら大名となり、外交の舞台で辣腕を振るった異色の人物、安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)。毛利氏の外交顧問として織田信長や豊臣秀吉といった天下人と渡り合い、時には自らも政治の渦中に身を投じました。しかし、その野心的な動...
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火宅をのがれて平安へ ~春日局、波乱の人生と最後の祈り~<

江戸幕府三代将軍・徳川家光の乳母として、また大奥の創設者として、日本の歴史にその名を刻む女性、春日局(かすがのつぼね)。本名を福(ふく)と言い、逆境を乗り越え、将軍の乳母から幕政にまで影響力を持つほどの絶大な権力を手にしました。その生涯は、...
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迷わず行く死出の旅路 ~加藤清正、主君への限りなき忠誠~

「虎退治」の逸話で知られ、築城の名手としても名高い戦国武将、加藤清正。福島正則らと共に豊臣秀吉子飼いの猛将として、「賤ヶ岳の七本槍」に数えられ、その生涯を秀吉への忠誠に捧げました。熊本城をはじめとする壮麗な城郭は、清正の武威と才覚を今に伝え...
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忠義一筋、思い残すは君の御恩 ~福島正則、不屈の武士魂~

豊臣秀吉子飼いの猛将として、その名を戦国の世に轟かせた福島正則。賤ヶ岳の戦いでは、「七本槍」の筆頭として抜群の武功を挙げ、秀吉の天下取りを支えました。一本気で勇猛果敢、まさに戦国武士を象徴するような人物です。秀吉亡き後は、時代の大きなうねり...
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当方滅亡、必至なり ~太田道灌、非業の最期と謎めいた言葉~

江戸城を築いたことで、その名を現代にまで知られる武将、太田道灌。室町時代後期、関東の戦乱の中で、文武両道にわたる卓越した才能を発揮し、主家である扇谷上杉家を支えた名将です。しかし、その輝かしい功績とは裏腹に、道灌の最期は主君による暗殺という...
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一睡の夢、一杯の酒 ~軍神・上杉謙信、最後の無常観~

「軍神」「越後の龍」と称され、戦国時代に比類なき強さを誇った武将、上杉謙信。自らを毘沙門天の化身と信じ、「義」を重んじて戦いに明け暮れたその生涯は、他の戦国大名とは一線を画す、孤高の輝きを放っています。宿敵・武田信玄との数度にわたる川中島の...
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人間五十年、夢幻の如くなり ~織田信長が愛した『敦盛』の一節~

戦国の世に彗星の如く現れ、旧来の秩序を打ち破り、天下統一への道を切り開いた風雲児、織田信長。その苛烈さと革新性で、日本の歴史に強烈なインパクトを残した人物です。信長の死生観を象徴する言葉として、しばしば引用される一節があります。それは、信長...
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思い残す言葉なく旅立つ ~文化人武将・細川幽斎の無碍なる境地~

戦国の世に、武芸だけでなく、和歌や茶道など、深い教養をもって名を馳せた武将がいます。細川幽斎、またの名を藤孝。足利将軍家に仕え、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、移り変わる時代の覇者に仕えながら、当代随一の文化人としても尊敬を集めた稀有な存在...
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生も死も同じこと、残るは名のみ ~前田利家、最後の達観~

戦国の世を駆け抜け、加賀百万石の礎を築いた大名、前田利家。「槍の又左」の異名を持つ猛将でありながら、豊臣政権下では五大老として重きをなし、友である豊臣秀吉亡き後の天下の安定に心を砕いた人物です。若き日は織田信長に仕え、その武勇で名を馳せ、壮...
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露と消える命、残りしは惜しき名声 ~丹羽長秀、最後の願い~

戦国の世を駆け抜けた武将たちは、その最期にどのような思いを抱いたのでしょうか。彼らが遺した「辞世の句」には、激動の時代を生きた人間の、偽らざる魂の叫びが刻まれています。今回は、織田信長の信頼厚き宿老として知られる丹羽長秀の辞世の句に触れ、そ...
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荒波を駆けた海賊大名、九鬼嘉隆 ~別れを惜しむ、最後の言葉~

戦国の世、陸だけでなく、広大な海をも舞台に勇名を馳せた武将がいました。「海賊大名」の異名を持つ、九鬼嘉隆。嘉隆は卓越した水軍指揮能力で、織田信長、豊臣秀吉という二人の天下人に仕え、その覇業を大海原から支えました。しかし、時代の大きなうねりは...
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言葉さえも残さず ― 長宗我部盛親の辞世に込めた諦観

土佐の名門・長宗我部家。かつて四国の覇者として名を馳せた一族の最後の当主が、長宗我部盛親です。彼の父・長宗我部元親は、土佐を平定し、四国統一の野望に燃えた英傑でした。しかし、豊臣秀吉に屈し、その後の関ヶ原では西軍についたことで家名は一度断絶...
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短歌に宿る武士の魂:戦国武将たちの辞世の句を読む

激動の戦国時代を駆け抜けた武将たち。織田信長、上杉謙信、伊達政宗…彼らが人生の最期に遺した「辞世の句」は、短い言葉ながらも、その生き様、武士としての覚悟、そして人間としての深い感情が凝縮された魂の叫びです。この記事では、有名な戦国武将たちの...
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武田義信:悲劇の武将、その生涯と武田家への影響

武田義信は、戦国時代の重要な人物の一人であり、武田家の後継者として大きな期待を背負っていました。しかし、彼の運命は激動の時代の中で悲劇的な方向に進み、武田家の未来に大きな影響を与えました。この記事では、彼の生涯、業績、そしてその死後に武田家...
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水野忠邦:天保の改革を推進した幕末の政治家の生涯

水野忠邦は、幕末の日本の政治家であり、天保の改革を推進した人物として知られています。この記事では、彼の異例な出世の経緯、天保の改革の内容、失脚、晩年に至るまでの詳細な事績を掘り下げます。異例の出世と幕府での地位向上水野忠邦は、肥前唐津藩に生...
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黒田官兵衛の辞世の句が教えてくれる後悔しない生き方

黒田官兵衛の辞世の句おもひおく 言の葉なくて つひにゆく みちはまよわじ なるにまかせてこの言葉には、「思い残すことはない」「我が人生に一片の悔いなし」といった、充実した人生を生きた人の潔さが表れています。官兵衛のように、悔いのない人生を生...
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三村元親、辞世の句に込められた想い

戦国時代の終息を迎えることなく、幾多の戦いを繰り広げた武将たち。彼らの人生には、名誉と栄光を求めて生きた者もいれば、破れた者も多くいました。特に、最後に残した言葉――それは、単なる死の直前の言葉ではなく、彼らの生き様と心情が表れたものです。...
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織田信孝の辞世の句に込められた想い

織田信孝は、戦国時代の混乱の中で多くの困難に直面した武将です。信孝の辞世の句「昔より主を内海の野間ならばやがて報いん羽柴筑前」には、彼が抱いていた深い感情が表れています。この句は、信孝がその生涯を通じて忠義と誇りを持って戦ってきたことを示し...
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なぜ「時にあわぬ」を咎めたのか ― 今川氏親の辞世の句に宿る静かな覚悟

「なかなかに 世にも人をも 恨むまじ 時にあわぬを 身の咎にして」戦国時代という混沌の世に、誰かを恨まず、静かに己の命を見つめた男がいました。その名は、今川氏親。名高き今川義元の父であり、また戦国の梟雄・北条早雲の甥。己の志を抱きながら、波...
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蒲生氏郷の辞世の句に込められた覚悟と生き様

蒲生氏郷 辞世の句戦国時代の名将、蒲生氏郷は、織田信長に気に入られ、豊臣秀吉からも高く評価された人物でした。彼はその生涯を戦いの中で過ごし、もし長生きしていれば、関ヶ原の戦いの展開も異なったものになったであろうとも言われています。氏郷の辞世...
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筒井順慶の辞世の句に込められた静かな覚悟

戦国の世、群雄が割拠し、命の価値が軽んじられた時代にあっても、志ある者たちはその最期の言葉に深い思いを込めました。筒井順慶もまた、そんな一人でした。二歳で家督を継いだ少年当主筒井順慶は1549年、大和の地で生を受けます。しかし、父・順昭は間...
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戦場を愛した男 ― 細川忠興の辞世の句に宿る魂

不協和音を奏でる天才戦国という混沌の時代に生を受け、名だたる武将たちの中でも、ひときわ異彩を放った人物がいます。細川忠興。彼は武勇に秀でただけでなく、文化人としての一面も持ち合わせた希有な存在でした。しかしその内面には、どこか不調和な狂気を...
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何を惜しみ 何を恨みん——陶晴賢、下克上の果てに

戦国時代——下克上が常態化し、忠義と裏切りが紙一重の時代でした。武将たちはその時代の波にもまれながらも、自らの信念と生き様を貫こうとしました。その中にあって、陶晴賢という人物は、特に潔く、そして凄まじい生涯を歩んだ一人です。晴賢の出自と家柄...
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朝倉義景、最期の一句に込めた想い

朝倉義景、最期の一句に込めた想い戦国時代。多くの命が散っていった乱世の中で、朝倉義景という武将は、ひときわ異なる生き様を貫いた人物でした。その辞世の句――「かねて身の かかるべしとも 思はずば 今の命の 惜しくもあるらむ」静かで深いその言葉...
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剣と禅、そして生死の狭間で – 柳生宗矩、その生涯と辞世の句

戦国の世が終わり、泰平の礎が築かれつつあった時代。剣の道を極め、徳川将軍家の指南役として、また幕府の惣目付(後の大目付)として、政治の舞台でも大きな影響力を持った人物がいました。その名は柳生宗矩(やぎゅう むねのり)。剣豪・柳生石舟斎(せき...
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父殺しの汚名と守護者の自負 – 斎藤義龍、三十五年の生涯と辞世の句

戦国の世に、「美濃のマムシ」と恐れられた斎藤道三。その息子でありながら、父からは「暗愚」と評され、疎まれた武将がいました。斎藤義龍(さいとう よしたつ)です。しかし、彼は父の評価を覆す軍才と統治能力を発揮し、父を討って美濃の国主となります。...
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「海道一の弓取り」の最期 – 今川義元、桶狭間の悲劇と辞世の句

今川義元(いまがわ よしもと)。その名を聞いて多くの人が思い浮かべるのは、「桶狭間の戦い」での劇的な敗北かもしれません。圧倒的な兵力を擁しながら、若き織田信長の奇襲によって命を落とした、油断した公家かぶれの武将——。しかし、その最期の姿だけ...
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梟雄か、時代の才人か – 松永久秀、爆死伝説と最期の意地

戦国の世に、「梟雄(きょうゆう)」の名をほしいままにした武将がいます。松永久秀(まつなが ひさひで)。主君や将軍を殺めたとされる逸話に彩られ、しばしば「戦国一の大悪人」として語られます。しかし、その一方で、文武に優れ、茶の湯を深く愛した教養...
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「肥前の熊」竜造寺隆信―冷徹なる武将が残した覚悟と命の儚さ

竜造寺隆信――戦国の荒波を生き抜いた一人の武将の覚悟竜造寺隆信の名前を聞くと、冷酷非情で、周囲の人々に恐れられた存在が浮かびます。「肥前の熊」として知られ、その存在感は強烈でした。戦国時代の荒れ狂う戦場の中で、一代でその名を轟かせた隆信。彼...
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雷神と呼ばれた猛将 – 立花道雪、生涯不敗の闘志と辞世の句

戦国の世に、「鬼道雪」「雷神」と畏れ敬われた武将がいました。その名は立花道雪(たちばな どうせつ)。九州の雄・大友家に二代にわたって仕え、その生涯のほとんどを戦場で過ごした、まさに戦国武将の鑑のような人物です。勇猛果敢さだけでなく、知略にも...
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空よりきたり 空に帰れば――北条氏政の辞世に寄せて

戦国という激動の時代。その終焉を見届け、静かにその生涯を閉じた一人の武将がいます。北条氏政――小田原北条氏の四代目当主。彼が遺した辞世の句は、戦国という時代の儚さと、人としての真摯な在り方を、現代に生きる私たちにもそっと語りかけてきます。戦...
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蝉の声に託した覚悟 ― 北条氏康の辞世の句

夏は来つ 音に鳴く蝉の 空衣 己己の 身の上に着よ戦国の世を生き抜いた武将たちは、最期の瞬間に自身の生涯を一首の歌に託しました。その中でも、北条氏康の辞世の句は、静かにして深く、読む者の心を揺さぶります。氏康のこの句は、どこか涼しげで、そし...
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戦国の世に響く、最後の問いかけ – 斎藤道三の辞世の句

「捨ててだに この世のほかは なき物を いづくかつひの すみかなりけむ」この一句は、戦国の世を激しく駆け抜け、「美濃のマムシ」と恐れられた武将、斎藤道三が遺した辞世の句です。下剋上が常であった時代に、一介の身から成り上がり、美濃一国を手中に...
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戦国の荒波を越えて──最上義光の辞世に込められた心

戦国という名の嵐が吹き荒れる時代、その渦中を生き抜いた武将・最上義光(もがみ よしあき)。多くの人々には、伊達政宗の宿敵として、あるいは巧みな調略を操る「羽州の狐」としての印象が残っているかもしれません。しかし、その実像はもっと複雑で、人間...
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浅井長政の最後の手紙が示した忠義と覚悟、片桐直貞の未来を照らした深い意図

戦国時代の激動の中で、数々の名将たちが命を落とし、歴史の流れに名を刻みました。その中でも、浅井長政の最期を迎える際の一幕は、今なお多くの人々に語り継がれています。特に彼が家臣である片桐直貞に宛てた最後の手紙は、深い人間味と、忠義に対する強い...
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戦国の世に咲いた一輪の花 ― 細川ガラシャの辞世の句

「散りぬべき時 知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」この辞世の句を残し、静かに炎の中に身を投じた女性がいました。細川ガラシャ。戦国武将・明智光秀の娘であり、細川忠興の正室として激動の時代を生き抜いた彼女は、まさにその名のとおり、恩...
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戦国の世に咲いた悲劇の花 – お市の方、最後の歌

「さらぬだに 打ぬる程も 夏の夜の 夢路をさそう ほととぎすかな」この歌は、戦国時代を生きた絶世の美女、お市の方が、燃え盛る城の中で詠んだとされる辞世の句です。「戦国一の美女」と称されながらも、政略の波に翻弄され、二度の落城を経験したお市の...
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権謀術数の中に貫いた、静かな忠義の道 ― 本多正信の辞世の句

戦国の知将、本多正信の足跡本多正信は、1538年、三河国に生まれました。通称・弥八郎。徳川家康の忠臣として知られていますが、その人生は一筋縄では語れません。正信は、家康が今川義元の命で丸根砦を攻めた際に従軍し、家康の家臣として活躍します。し...
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瀬戸内のジャンヌ・ダルク、悲恋に散る – 大祝鶴姫の辞世の句

「わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ」この切ない歌は、「瀬戸内のジャンヌ・ダルク」とも称される戦国の女性武将、大祝鶴姫(おおほうり つるひめ)が遺したとされる辞世の句です。伊予国(現在の愛媛県)大三島の大山祇神社...
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武田信玄の辞世の句が伝える、生き様と覚悟

武田信玄の辞世の句が伝える、生き様と覚悟戦国乱世を駆け抜けた名将・武田信玄。その辞世の句には、静かでありながらも、重く深い余韻が漂っています。大ていは 地に任せて 肌骨好し紅粉を塗らず 自ら風流この句には、信玄の人生観が凝縮されています。「...
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偉大な父の影、悲劇の終焉 – 武田勝頼、最後の望み

「おぼろなる月もほのかに 雲かすみ はれてゆくえの 西の山の端」この歌は、戦国最強と謳われた武田信玄の後継者でありながら、名門・武田家を滅亡へと導いた悲劇の武将、武田勝頼が最期に詠んだ辞世の句です。「虎の子」として期待を背負い、一時は父をも...
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槍の弾正、乱世を生き抜く – 保科正俊、安寧への道

「万代(よろずよ)と いはひ来(き)にけり 会津山 高天(たかま)の原の 住み家求め」この歌は、「槍の弾正(やりのだんじょう)」と称えられた戦国武将、保科正俊(ほしな まさとし)が遺したとされる辞世の句です。武田信玄、勝頼に仕え、武田家滅亡...
戦国武将 辞世の句

「信長公にはご用心を」―竹中半兵衛、最期に遺した静かなる忠言

戦国の世を駆け抜けた名軍師、竹中半兵衛重治。策略に長け、知略で敵を翻弄した彼は、華々しい武功の陰に、静かな信念と人間味を持つ人物でした。人の心を見抜いた軍師竹中半兵衛は、斎藤家に仕えていた頃、主君・斎藤龍興の暗愚さに業を煮やし、稲葉山城を乗...
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悲劇の関白、月花に散る – 豊臣秀次、無念か達観か

「月花(つきはな)を 心のままに 見尽くしぬ 何か浮世(うきよ)に 思い残さん」この歌は、天下人・豊臣秀吉の甥であり、一時はその後継者として関白の地位にまで昇りつめながら、叔父・秀吉によって非業の最期を遂げた豊臣秀次(とよとみ ひでつぐ)が...
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不滅の魂 – 真田信繁、最後の戦場へ向かう覚悟

戦国時代の最後を彩り、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と称賛される伝説的な武将、真田信繁(さなだ のぶしげ)。一般には「幸村(ゆきむら)」の名で広く知られています。彼の劇的な生涯は、多くの人々の心を捉えて離しません。今回は、彼が最後...
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剣豪将軍の悲壮な最期 – 足利義輝、雲の上への叫び

室町幕府十三代将軍、足利義輝は、将軍という最高位にありながら、戦国の激しい権力闘争の渦中で、自ら刀を振るい、壮絶な最期を遂げた異色の人物です。「剣豪将軍」とも称される彼の生き様と、その胸に秘めた想いが込められた辞世の句を紐解いていきましょう...
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鬼島津、その素顔 – 島津義弘、無常観に込めた慈愛

戦国時代の九州を席巻し、関ヶ原の戦いでは敵中突破という離れ業を演じ、「鬼島津」として敵味方から恐れられた猛将、島津義弘。しかし、その勇猛なイメージの裏には、家臣を深く慈しみ、敵兵の冥福をも祈る、人間味あふれる素顔がありました。今回は、85年...
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真田家を守り抜いた知将 – 真田信之、九十三年の生涯と達観

「何事も 移ればかわる 世の中を 夢なりけりと 思いざりけり」この歌は、戦国時代の激流を乗り越え、真田家を江戸時代へと繋いだ大功労者、真田信之(さなだ のぶゆき)が遺した辞世の句です。父・昌幸や弟・信繁(幸村)の華々しい武勇伝の影に隠れがち...
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逆臣か、理想家か – 明智光秀、辞世の句に込めた真意

日本の歴史上、最も有名な謀反の一つ「本能寺の変」。その中心人物として、明智光秀(あけち みつひで)の名を知らない人はいないでしょう。「裏切り者」「逆臣」というレッテルを貼られる一方で、優れた知性と教養を持つ武将であったとも言われています。彼...
戦国武将 辞世の句

毛利元就 辞世の句 ― 戦国時代の智将の最後の言葉

毛利元就 辞世の句 ― 戦国時代の智将の最後の言葉毛利元就は、安芸の小さな国人領主から一代で中国地方を制覇し、戦国時代最高の智将として名を馳せました。彼は「謀神」とも呼ばれ、数々の戦略や謀略を駆使して、毛利家を最強の大名家へと育て上げました...
戦国武将 辞世の句

友への誓い、義に殉じた生涯 – 大谷吉継、魂の約束

「契りあれば 六つの衢(ちまた)に 待てしばし 遅れ先だつ ことはありとも」この歌は、戦国時代の数多の武将の中でも、特に「義」に厚い武将として知られる大谷吉継(おおたに よしつぐ)が、関ヶ原の戦いで自害する間際に遺したとされる辞世の句です。...
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忠臣か、奸臣か – 石田三成、篝火に消えた義

「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり」この歌は、豊臣秀吉の股肱の臣でありながら、関ヶ原の戦いで敗れ、天下分け目の敗将となった石田三成が、その最期に詠んだとされる辞世の句です。豊臣政権を滅亡に導いた奸臣として長く...
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鬼柴田、最期の願い – 柴田勝家、夏の夜の夢と後の名

織田信長の重臣として、「鬼柴田」の異名をとるほどの勇猛さで知られた戦国武将、柴田勝家(しばた かついえ)。信長の天下統一事業を支え、数多の戦場で武功を重ねた歴戦の勇士です。しかし、主君・信長の死後、時代の大きなうねりの中で、彼は宿敵・羽柴(...