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誇り高き忠臣の最期:高橋紹運と共に散った猛将・三原紹心 辞世の句

戦国武将 辞世の句

戦国時代の九州を揺るがした「岩屋城の戦い」。 大友氏の忠臣・高橋紹運(たかはし じょううん)が、わずか763名の兵で島津軍5万を相手に玉砕したこの戦いには、主君と運命を共にした多くの家臣たちの壮絶なドラマがありました。

その中に、「三原紹心(みはら じょうしん)」という名の武将がいます。自らの武勇と忠義の証を天に刻むかのような、力強い辞世の句を遺した人物です。

 猛将・三原紹心と岩屋城の最期

三原紹心は、高橋紹運に仕えた家臣の一人です。彼に関する記録は多くありませんが、その最期は主君・紹運にも劣らぬ壮絶なものであったと伝わっています。

天正14年(1586年)、島津の大軍が岩屋城に押し寄せた際、紹心もまた主君と運命を共にすることを決意。圧倒的な兵力差の中、紹運率いる城兵たちは文字通り鬼神のごとき戦いぶりを見せ、島津軍に多大な犠牲を強いました。

伝承によれば、三原紹心もまた「きらびやかな入道姿」で「四尺余りの大太刀」を振りかざし、敵陣に何度も突撃。獅子奮迅の働きで敵兵をなぎ倒したとされます。

しかし、衆寡敵せず。城が陥落し、主君・紹運も自刃する中、紹心もまた最期の時を迎えます。死を前に、彼が遺したのが、先の辞世の句でした。

うつ太刀の かねのひゞきは 久かたの 天つ空にも 聞えあぐべき

「(主君・紹運公が、そして我ら岩屋城の兵たちが)激しく振るう太刀の、この金属音の響きは、はるか彼方の天上の空にまで鳴り響き、必ずや神仏にも、そして後世の人々にもはっきりと聞こえることだろう!」

この句には、死を前にした悲しみや嘆きは一片もありません。 あるのは、自らの主君と、共に行動した仲間たちの戦いが、いかに正しく名誉あるものであったかという強烈な誇りです。

これは、女性が夫を想う「烈女の魂」ではなく、主君に殉じる「武士(もののふ)の魂」そのものの叫びです。

紹心は、この句を詠んだ(あるいは柱に書き付けた)後、最後の力を振り絞って再び敵中に突撃し、敵兵と組み合いながら谷底へと転げ落ち、壮絶な最期を遂げたと伝えられています。

奇しくも、主君である高橋紹運も、 「屍(かばね)をば岩屋の苔に埋みてぞ 雲井(ゐ)の空に名をとどむべき」 (私の体は岩屋城の苔に埋もれても、その名は天高く残るだろう) という辞世の句を遺しています。

主君と家臣が、死を前にして、共に自らの戦いと忠義の意味を「後世に残る名誉」に見出していたのです。三原紹心の句は、主君・紹運の辞世の句と見事に響き合っています。
この記事を読んでいただきありがとうございました。

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