太刀音は天へ響け! ~三原紹心、夫と共に散った烈女の誇り~

戦国武将 辞世の句

戦国時代、夫である武将と共に戦場に生き、あるいは城を守り、時には夫と運命を共にした気丈な女性たちがいました。三原紹心(みはら じょうしん、宋雲尼(そううんに)とも)も、そんな一人です。紹心は、「武士の鑑」と称えられた大友氏の忠臣・高橋紹運(たかはし じょううん)の妻であり、後に「西国無双」と謳われる名将・立花宗茂(たちばな むねしげ)の母でもあります。

天正14年(1586年)、九州統一を目指す島津氏の大軍に夫・紹運が守る岩屋城が包囲された際、紹心もまた城内に留まり、夫と共に壮絶な最期を遂げました。死を前にして、三原紹心が遺したとされる辞世の句は、悲しみや嘆きではなく、夫と一族の武勇、そして自らの覚悟を、天上の神仏や後世の人々に向けて高らかに宣言するような、誇りと気概に満ち溢れています。

うつ太刀(たち)の かねのひゞきは 久かた(ひさかた)の 天つ空(あまつそら)にも 聞(きこ)えあぐべき

高橋紹運を支え、宗茂を育てた妻:三原紹心

三原紹心の生年や詳しい出自については不明な点もありますが、筑前国(現在の福岡県西部)の国人領主であった三原氏の娘として生まれ、後に大友氏の重臣・高橋紹運(当時は鎮種)に嫁いだとされています。紹運との間には、長男・千熊丸(後の立花宗茂)と次男・統増(むねます、後の立花直次)の二人の息子を儲けました。

夫・紹運が筑前国の岩屋城主となると、紹心も城に入り、奥向きのこと一切を取り仕切りながら、夫を内から支えました。また、息子たちの養育にも心を配り、特に長男・宗茂が後に類まれな名将として成長した背景には、母である紹心の影響も大きかったのかもしれません。紹運が、同じく大友氏の重臣であった立花道雪と深い信頼関係を結び、宗茂が道雪の養嗣子となる際にも、紹心はその縁組を支えたことでしょう。

紹心が生きた時代は、主家である大友氏が島津氏の攻勢によって衰退していく困難な時期でした。夫・紹運は、盟友・立花道雪と共に、傾きかけた大友家を支えるべく、筑前の最前線で戦い続けました。紹心もまた、武将の妻として、常に戦乱の緊張感の中で暮らし、夫の無事を祈り、留守を守り続けていたと考えられます。

岩屋城、夫と共に迎えた最期

天正14年(1586年)、九州統一を目指す島津義久の大軍が、ついに筑前国へ侵攻します。この時、既に立花道雪は亡くなっており、高橋紹運は、わずか763名の兵と共に、最後の砦である岩屋城に籠城することを決意しました。圧倒的な兵力差であり、玉砕は必至の状況でした。

城内には、紹運と共に最後まで運命を共にすることを誓った家臣たち、そしてその家族たちがいました。三原紹心もまた、夫と共に岩屋城に残り、落城の時を待つことを選びました。息子たちは既に立花家にいたため、後顧の憂いはなかったのかもしれませんが、それでも自らの命を夫に捧げるという、壮絶な覚悟でした。

約半月に及ぶ凄惨な籠城戦の末、岩屋城は島津軍の総攻撃を受け、陥落します。高橋紹運は、奮戦の末に自刃。そして、紹心もまた、夫の後を追うように、あるいは敵兵に捕らわれることを潔しとせず、城内の他の婦女子たちと共に自害した、あるいは薙刀を取って敵陣に突撃し、壮絶な討死を遂げたとも伝えられています。いずれにしても、夫への愛と武家の妻としての誇りを貫き、岩屋城の露と消えたのです。

辞世の句に込められた:天に響く誇り

夫と共に、そして城兵たちと共に、壮絶な最期を遂げる覚悟を決めた三原紹心。その辞世とされるのが、「うつ太刀の かねのひゞきは 久かたの 天つ空にも 聞えあぐべき」という句です。

「(我が夫・紹運が、そして我ら岩屋城の者たちが)振るう太刀の、激しく打ち合う金属の響き(=我らの壮絶な戦いぶり、そして潔い最期の覚悟)は、はるか彼方の天上の空にまで鳴り響き、必ずや神仏にも、そして後世の人々にもはっきりと聞こえることであろう!」

この句には、死を前にした悲しみや恐怖は一片も感じられません。むしろ、夫・紹運が率いた岩屋城の戦いが、いかに壮絶で、いかに名誉あるものであったかを、高らかに宣言するような、強い誇りと気概に満ちています。「うつ太刀のかねのひびき」という聴覚的なイメージは、岩屋城での激しい戦闘の音、あるいは自刃する際の覚悟の鋭さ、硬質さを鮮烈に伝えます。

そして、「久かたの 天つ空にも 聞えあぐべき」という結びには、自分たちの戦いと死は決して無駄ではなく、その忠義と武勇は、時空を超えて永遠に語り継がれ、天上の神仏さえもが聞き届けるに違いない、という揺るぎない確信が込められています。これは、夫・紹運が辞世の句で「埋もれぬ名」「雲ゐの空に名をとゞむべき」と詠んだことと、見事に響き合っています。夫婦は、死を前にして、共に自らの生き様と死の意味を、後世に残る「名誉」に見出していたのです。

紹心の句は、単に夫を賛美するだけでなく、自らもまたその壮絶な運命を受け入れ、共に戦い、共に死ぬことへの誇りを表明しています。戦国の世を生きた女性の、凛とした強さと、深い夫婦愛が感じられる、力強くも美しい一句です。

夫婦や家族のあり方、そして人間の尊厳について

夫と共に壮絶な最期を遂げ、誇り高い辞世の句を遺した三原紹心の生き様は、現代を生きる私たちにも、夫婦や家族のあり方、そして人間の尊厳について、多くのことを教えてくれます。

  • 夫婦の絆と相互の尊敬: 紹運と紹心のように、互いを深く尊敬し合い、困難な状況においても運命を共にしようとする夫婦の絆の強さ、そしてその美しさ。現代においても、パートナーシップにおける相互理解と支え合いの重要性を示唆しています。
  • 困難な時代を生き抜いた女性の強さ: 戦乱という過酷な時代にあって、ただ守られる存在ではなく、夫を支え、家を守り、最後は自らの意志で誇り高い死を選んだ紹心の姿は、時代や性別を超えた、人間の持つ精神的な強さと気概を感じさせます。
  • 誇りを持って生き、死ぬということ: 自らの生き様や、大切な人の行動に誇りを持ち、それを最後まで肯定し続ける姿勢。結果がどうであれ、自分が信じる価値観に基づいて誇り高く生き、そして最期を迎えることの尊厳。
  • 後世へ伝えたいメッセージ: 自分の人生や経験した出来事、あるいは大切な人の功績が、後の世にどのように伝わり、記憶されるのかを意識すること。紹心の句は、未来へ向けて自らの生きた証を残そうとする、人間の普遍的な願いを表しています。
  • 死をも恐れぬ覚悟を生むもの: 深い愛情、強い信念、あるいは守るべき誇りといったものが、人間から死への恐怖を取り払い、潔い覚悟へと導く力を持つこと。紹心の句は、そうした精神的な力の源泉について考えさせます。

岩屋城で夫・高橋紹運と共に玉砕した三原紹心。その辞世の句は、戦国の世に生きた一人の女性の、夫への深い愛と尊敬、そして自らの運命に対する誇り高い覚悟を、力強く伝えています。「うつ太刀のかねのひびき」が天にまで響き渡るように、紹心の気高い魂の響きもまた、時代を超えて私たちの心に深く、そして強く鳴り響くようです。

この記事を読んでいただきありがとうございました。

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