当方滅亡、必至なり ~太田道灌、非業の最期と謎めいた言葉~

戦国武将 辞世の句

江戸城を築いたことで、その名を現代にまで知られる武将、太田道灌。室町時代後期、関東の戦乱の中で、文武両道にわたる卓越した才能を発揮し、主家である扇谷上杉家を支えた名将です。

しかし、その輝かしい功績とは裏腹に、道灌の最期は主君による暗殺という、あまりにも非業なものでした。道灌の死に際して語られたとされる言葉は、その悲劇性を象徴すると共に、誰が発した言葉なのか、様々な説が飛び交う謎めいたものとして伝わっています。

当方滅亡 必至なり

(とうほうめつぼう ひっしなり)

江戸城を築いた名将:太田道灌とは

太田道灌は、室町時代後期に関東で勢力を持った扇谷上杉家の家宰(家老職)を務めた人物です。父・太田資清(すけきよ)も有能な家宰であり、道灌はその才能を受け継ぎ、さらに開花させました。

最も有名な功績は、現在の皇居の地に江戸城を築城したことです。当時、江戸はまだ小さな拠点でしたが、道灌は戦略的な重要性を見抜き、後の大都市・東京の礎となる城を築き上げました。築城術に長けていただけではなく、軍略家としても優れた手腕を発揮。享徳の乱や長尾景春の乱といった関東の長期にわたる戦乱の中で、主君・上杉定正(さだまさ)を補佐し、数々の戦いで勝利を収め、扇谷上杉家の勢力拡大に絶大な貢献をしました。その活躍ぶりは、まさに関東における扇谷上杉家の柱石でした。

また、道灌は武勇だけでなく、和歌にも通じた当代一流の文化人でもありました。「山吹の里」の逸話(雨具の蓑を借りようとしたところ、娘が黙って山吹の花を差し出した。これは『後拾遺和歌集』の「七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞかなしき(=蓑ひとつだに 無きぞ悲しき)」に掛けたものだと後で知り、無学を恥じて歌道に励んだという話)は、道灌の向学心と風流な一面を伝えています。まさに文武両道を地で行く人物だったのです。

非業の最期と謎めいた言葉

文武にわたり主家を支え、その名を関東中に轟かせた道灌でしたが、その卓越した能力と人望が、かえって主君・上杉定正の猜疑心を招くことになります。「道灌に謀反の心あり」という讒言(ざんげん:事実を曲げて悪く言うこと)を信じた定正は、文明18年(1486年)、道灌を相模国糟屋(現在の神奈川県伊勢原市)の館に招き、入浴中を襲わせ、暗殺してしまいました。長年の功績に対する、あまりにもむごい仕打ちでした。

この非業の死に際して、あるいはその直後に語られたとされるのが「当方滅亡 必至なり」という言葉です。「こちら側(=扇谷上杉家)の滅亡は、もはや避けられないだろう」という意味になります。

しかし、この言葉が誰によって発せられたのかについては、確かな記録はなく、諸説あります。

  • 道灌自身の最後の言葉とする説:自分という柱を失うことが、いかに主家にとって致命的な損失となるかを予見し、無念と共に言い放った、あるいは主家の将来を憂えた言葉。
  • 道灌の父・資清が、息子の死と扇谷上杉家の将来を嘆いて言ったとする説:有能な息子の死が、家の衰退に直結すると考えた親の悲痛な叫び。
  • 道灌を暗殺した主君・上杉定正が、後にその愚行を後悔して漏らしたとする説:自らの判断ミスを悔いる言葉。

もしこれが道灌自身の言葉であったなら、それは自らの死を悼むだけでなく、忠誠を尽くした主家の行く末を憂い、その滅亡を予見した、冷静かつ痛烈な最後の警告だったのかもしれません。事実、扇谷上杉家は道灌という柱を失った後、次第に衰退の道を辿り、後に関東に進出してきた後北条氏に滅ぼされることになります。

「かねて無き身と思ひ知らずは」:道灌の覚悟

一方で、道灌が暗殺者に襲われた際に詠んだとされる有名な和歌も伝わっています。

かかる時 さこそ命の 惜しからめ かねて無き身と 思ひ知らずは

(かかるとき さこそいのちの おしからめ かねてなきみと おもいしらずは)

「このような(不意に襲われる)時に死ぬのは、さぞかし命が惜しいことだろう。もし私が、かねてよりこの身は無いものと覚悟していなかったならば」。この歌からは、いつ死んでもおかしくない戦国の世を生きる武将としての覚悟、そして自らの才能が招くかもしれない危険を予期していたかのような、冷静さ、あるいは深い無念さが伝わってきます。「当方滅亡~」の言葉とはまた違う、道灌自身の心境が垣間見えるようです。

道灌の生涯とその最期は、現代を生きる私たちにも多くの教訓を投げかけています。

  • 組織における「出る杭」: 卓越した能力や功績が、必ずしも正当に評価されるとは限らず、時には嫉妬や疑念、警戒心を生むことがあります。これは現代の組織においても起こりうる、個人の才能と組織力学の間の悲劇です。
  • 人材の価値とマネジメント: 太田道灌という稀有な才能を失った扇谷上杉家の衰退は、組織にとって有能な人材がいかに重要であるか、そしてその人材を活かし、信頼関係を築くマネジメントがいかに大切かを示しています。人材は組織の最も重要な資産です。
  • 逆境における冷静さ: 不意の死に直面しても和歌を詠んだとされる道灌の姿は、予期せぬ困難や理不尽な状況に陥ったとしても、感情的にならず、冷静さを保ち、自分を見失わないことの重要性を教えてくれます。
  • 信頼関係の脆さ: 長年忠誠を尽くしてきた家臣であっても、讒言や猜疑心によって、いとも簡単に信頼関係が崩壊してしまう危険性。日頃からのコミュニケーションと相互理解の欠如が招く悲劇は、現代の人間関係にも通じます。

江戸城という偉大な遺産を残しながらも、非業の最期を遂げた太田道灌。「当方滅亡 必至なり」という謎めいた言葉と共に、その悲劇は、組織と個人の関係、才能と嫉妬、信頼と裏切りといった、時代を超えた普遍的なテーマを私たちに問いかけているのです。

この記事を読んでいただきありがとうございました。

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