戦国時代という混乱の時代にあって、名目上の日本の最高権力者でありながら、実権をほとんど持たず、時の権力者である織田信長に擁立され、そして追放されるという、数奇な運命をたどった人物がいます。室町幕府第15代将軍、足利義昭(あしかがよしあき)です。将軍としての尊厳と権威が失墜した時代に生まれ、不本意な生涯を送った義昭。その最期に詠んだとされる辞世の句は、彼の複雑な心境と、夢と現(うつつ)の間で揺れ動いた思いを映し出しています。
将軍の座と、追放の憂き目
足利義昭は天文6年(1537年)、室町幕府第12代将軍・足利義晴の子として生まれました。兄に第13代将軍となる足利義輝がいましたが、義昭自身は幼くして奈良の興福寺に入り、一時は僧侶となっていました。しかし、永禄8年(1565年)に兄・義輝が暗殺されるという悲劇が起こると、義昭は還俗し、武士たちに擁立されて将軍となることを目指します。
各地を転々とした後、永禄11年(1568年)、織田信長を頼って上洛を果たし、信長の力によって第15代将軍に就任します。将軍としては名目上の権威を取り戻しましたが、実権は信長に握られ、両者の間には次第に溝が生じます。義昭は信長に対抗するため、各地の有力大名に働きかけ、「信長包囲網」を築こうとしましたが、信長の圧倒的な力の前にそれは叶いませんでした。
天正元年(1573年)、義昭は信長によって京都から追放され、室町幕府はここに事実上滅亡しました。将軍の地位を追われた義昭は、その後も毛利輝元などを頼りながら各地を転々としますが、再び将軍職に就くことはありませんでした。豊臣秀吉の時代には一時期大坂に迎えられますが、もはや政治的な力はなく、将軍としての不本意な生涯を終えることになります。権威は失墜し、時代に取り残されたかのような寂寥の中で、義昭は何を思ったのでしょうか。
夢と現(うつつ)の間で
将軍という地位にありながら実権を持てず、最終的には追放されるという数奇な生涯を送った足利義昭が、慶長2年(1597年)に大坂で亡くなる際に詠んだとされる辞世の句には、彼の複雑な心境がにじみ出ています。
辞世の句:
「夢の世に 思いを残す うつし世の 月に心を かさぬるぞかし」
かつて将軍として過ごした日々、あるいは将軍に就任する前の希望に満ちた時期は、「夢のような世」であった。その「夢の世」で、成し遂げられなかったことや、かつての輝きへの「思い残し」を抱いているのだ。そして、現実のこの世(「うつし世」)においては、もはやどうすることもできず、ただ夜空の月を見上げて、その月明かりに自身の心と複雑な思いを重ね合わせているのだ。将軍としての無念さ、過去への郷愁、そして現在の境遇への諦めが込められています。
句に込められた、失意と感傷
この辞世の句からは、足利義昭が人生の終わりに達した、深い失意と感傷が伝わってきます。
- 「夢の世」としての将軍時代: 義昭にとって、将軍として権威を持っていたはずの日々は、実権を伴わない「夢のような世」であったという認識がうかがえます。それは、自身の理想と現実との大きなギャップに対する、深い諦めと虚無感の表れでしょう。
- 「思いを残す」無念さ: 「思いを残す」という言葉に、将軍として為すべきことを為せなかった、あるいはかつての栄光を失ったことへの、拭いきれない無念さがにじみ出ています。権威を取り戻そうと画策しながらも叶わなかった、彼の苦悩が感じられます。
- 「うつし世の 月に心をかさぬる」感傷: 現実の世(「うつし世」)においては、もはや政治的な力も、自身の居場所もない。そんな中で、唯一心を寄せられるのが夜空の月であり、そこに自身の寂しさや悲しみを重ね合わせているのです。これは、権力の座を追われ、漂泊の生涯を送った彼の、孤独で感傷的な心境を表しています。
足利義昭の辞世の句は、名ばかりの将軍として生き、権力の座を追われた人物が、最期に過去の夢と現実の無力感の間で揺れ動き、静かに自身の運命を受け入れた、哀切な言葉なのです。
足利義昭の生涯と辞世の句
足利義昭の生涯と辞世の句は、現代を生きる私たちにどのような示唆を与えてくれるでしょうか。
- 理想と現実のギャップへの向き合い方: 義昭は将軍という理想の地位に就きながら、現実には実権を持てず、追放されました。私たちは人生で、理想と現実の大きなギャップに直面することがあります。彼の句は、そのギャップから生じる失意や無力感と、どのように向き合い、受け入れていくのかを考えるきっかけを与えてくれます。
- 失われたものへの「思い残し」と現在: 過去の成功や地位、あるいは果たせなかったことへの「思い残し」は、多くの人が経験することです。義昭の句は、そうした過去の思いを抱えながらも、現在の状況(「うつし世」)で自身の心と向き合うことの重要性を示唆しています。過去への執着と、今を生きることのバランスを考えるヒントとなります。
- 無力感の中での感情の機微: 政治的な力を失い、無力な立場に置かれた義昭は、自然(月)に心を寄せました。困難な状況や無力感に直面した時でも、人間の心には感傷や悲哀といった感情の機微が残りうることを、彼の句は教えてくれます。自身の感情を否定せず、それを受け入れ、静かに向き合うことの尊さを示唆しています。
足利義昭の辞世の句は、将軍として、そして一人の人間として、波乱の生涯を送った彼の魂の記録です。それは、夢のような過去への思い残しと、現実の寂寥を抱えながらも、静かに自身の運命を受け入れた彼の姿を通して、現代に生きる私たちの心にも深く響くメッセージなのです。
この記事を読んでいただきありがとうございました。
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