戦国時代。それは、勇ましい武将たちの活躍が語られる一方で、その陰で多くの人々が時代の荒波に翻弄され、悲劇的な運命を辿った時代でもあります。特に女性たちは、自らの意思とは関わりなく、家の存亡や夫の運命に深く左右されることが少なくありませんでした。今回は、天下分け目の戦い、関ヶ原の合戦の余波の中で命を落としたとされる女性、小野木重勝室(おのぎ しげかつ しつ)の辞世の句に触れ、その悲痛な叫びに耳を傾けてみましょう。
関ヶ原の戦いと小野木家の悲劇
小野木重勝室は、その名の通り、戦国武将・小野木重勝(または公郷とも)の妻です。夫である小野木重勝は、豊臣秀吉に仕え、その才能を認められて丹波国福知山(現在の京都府福知山市)の城主となった人物でした。秀吉亡き後、天下の覇権を巡って徳川家康率いる東軍と、石田三成らを中心とする西軍が対立を深めていきます。
1600年、運命の関ヶ原の戦いが勃発すると、小野木重勝は西軍に与しました。これは、豊臣家への恩義を重んじた結果であったと考えられます。しかし、関ヶ原での本戦はわずか一日で東軍の圧勝に終わり、西軍に属した諸将は厳しい運命を辿ることになります。
小野木重勝が守る福知山城も、関ヶ原の戦いの後、東軍方の細川忠興(細川幽斎の子)らによって攻撃を受けました。城主である重勝は、奮戦むなしく自害したとも、捕らえられて処刑されたとも言われています。いずれにせよ、小野木家の命運は、関ヶ原の敗北によって尽きてしまったのです。
そして、城に残された妻、重勝室。夫が敗れ、城が落城するという絶望的な状況の中で、彼女もまた、自らの命を絶つ道を選んだと伝えられています。敵の手にかかる屈辱を避けるため、あるいは夫の後を追うため。戦乱の世にあって、武家の女性が強いられた悲しい選択でした。
死出の山へ、痛切なる願い
落城の際、あるいは自害の直前に、小野木重勝室が詠んだとされる辞世の句がこれです。
「鳥啼きて今ぞおもむく死出の山 関ありとてもわれな咎めそ」
(とりなきて いまぞおもむく しでのやま せきありとても われなとがめそ)
この句には、どのような想いが込められているのでしょうか。
「鳥啼きて今ぞおもむく死出の山」。鳥の声が聞こえる中、いよいよ今、死後の世界へと続く険しい道(死出の山)へと旅立つのだ、という情景が描かれています。聞こえてくる鳥の声は、最期の瞬間の静けさを際立たせると共に、この世への別れを告げるもの悲しい響きを持っているようにも感じられます。死を目前にした、静かな、しかし揺るぎない覚悟が伝わってきます。
続く「関ありとてもわれな咎めそ」という言葉には、彼女の痛切な願いが込められています。死後の世界には、生前の罪を裁く関所があると言われています。もしそのような関所があったとしても、どうか私を罪人として咎めないでほしい、というのです。これは、自ら命を絶つという行為に対する、宗教的な罪の意識の表れかもしれません。しかしそれ以上に、戦乱という抗いがたい運命によって死を選ばざるを得なかった無念さ、自分には何の落ち度もないのだという魂の叫びが聞こえてくるようです。武家の妻としての矜持を保ち、潔く死を選んだ自分を、どうか責めないでほしい、という切実な祈りとも解釈できます。
夫を失い、城も失い、自らの命も絶たねばならない。そんな極限状況の中で絞り出されたこの言葉は、戦国という時代の非情さと、その中で生きた一人の女性の深い悲しみ、そして微かな抵抗の意志を私たちに伝えています。
運命に翻弄されても失われぬ、心の叫び
小野木重勝室の辞世の句は、歴史の大きなうねりの中で生きた名もなき人々の声なき声を、私たちに届けてくれます。
- 抗いがたい運命と個人の尊厳: 関ヶ原の戦いのような大きな出来事は、多くの人々の運命を否応なく変えてしまいます。小野木重勝室のように、個人の力ではどうすることもできない状況に置かれたとしても、人は最後まで自分の感情や意志(咎められたくないという想い)を持ち続けます。その心の叫びは、人間の尊厳そのものです。
- 歴史の陰にいた女性たちの想い: 歴史はしばしば男性中心に語られがちですが、その陰には、多くの女性たちの苦悩や覚悟がありました。重勝室の句は、戦乱の世における女性の過酷な立場と、その中で示された強さや悲しみを私たちに教えてくれます。
- 死を前にした人間の真情: 死を目前にしたとき、人は何を思うのでしょうか。重勝室の句には、死への覚悟と共に、罪への恐れ、無念さ、そして「咎められたくない」という根源的な願いが表れています。それは、時代を超えて共感を呼ぶ人間の真情と言えるでしょう。
- 悲劇の中の祈り: 絶望的な状況の中にあっても、人は祈ります。重勝室の「われな咎めそ」という言葉は、救いを求める切実な祈りです。その祈りに耳を傾けることで、私たちは歴史の悲劇から目をそらさず、そこに生きた人々の想いに寄り添うことができます。
関ヶ原の戦いの後、歴史の片隅で静かに散っていった小野木重勝室。その最期の言葉は、戦乱の世の悲劇を痛切に伝えながら、どんな状況にあっても失われることのない人間の心の叫びとして、私たちの胸に深く響くのです。
この記事を読んでいただきありがとうございました。
コメント