勤王派としても佐幕派としても大きな活動をしており、どこを目指していたのかが分かりづらい人物です。この多面性が思想によるものなのか、酒によるものなのかも判断に困るのが特徴です。
活躍をはじめるまで
1827年の生まれです。容堂の生まれた山内南家は分家に当たり、山内一門の序列としては最も下にありました。通常であれば容堂に藩主の座が回ってくることはあり得ないのですが、十三代、十四代と当主が相次いで急死してしまったため、容堂が後継候補となりました。十四代当主には弟がいたのですが、まだ赤子でした。
このままでは世継ぎがいなくなったと見なされ、改易処分となる可能性もありました。ここで動いたのが、十三代当主豊煕夫人の実家の島津家と、島津斉彬と交友のあった伊達宗城でした。彼らは幕府の老中阿部正弘に働きかけ、容堂の藩主就任を認めてもらったのです。名目上は、十二日の在位期間で亡くなった十四代豊惇を隠居とし、容堂が家督を継ぐこととなりました。
容堂は継承順位があまりにも低かったため、このようなことになるとは思っても見ず、若い頃から酒ばかり飲んで過ごしていたことを悔い、読書に励むようになったといいます。
安政の大獄まで
容堂は革新的な政治を行いました。その手始めが吉田東洋の抜擢です。東洋は開国論者であり、外国との交流を強めて、技術を学び、富国強兵に繋げるという、当時の先進的な考え方を持っていました。
容堂と東洋の下で、土佐藩は様々な改革を実施します。洋式軍備の採用、財政改革、身分制度の改革など、ごく短期間での改革は守旧派からは敵視されました。
島津斉彬、松平春嶽、伊達宗城らと並び四賢候と呼ばれた容堂もまた、幕政にも関与し、阿部正弘を通して幕政改革を訴えました。その中には将軍継嗣問題もあります。四賢候は一橋慶喜を次期将軍として推薦していましたが、大老井伊直弼によって阻まれ、徳川家茂が将軍となります。直弼は政敵をまとめて処分するという安政の大獄を行い、容堂もまた謹慎を命じられることとなります。
ここで容堂は隠居して、家督を先代の弟豊範に譲りました。
公武合体と倒幕の狭間で
四賢候の例に漏れず、容堂も公武合体派でした。藩政を任せていた吉田東洋とも一致しており、藩論も公武合体が主流だったのですが、容堂の謹慎中に大きな動きが起きていきます。
土佐藩士の武市半平太が興した土佐勤王党によって、東洋が暗殺されます。一時はお尋ね者となった土佐勤王党でしたが、藩内部からの強い協力により、かえって藩政を牛耳ることとなります。
半平太は急進的な尊王攘夷派の中ではまだ穏健な立場を取っていましたが、数々の暗殺に関わっており、同じく過激な尊皇攘夷思想を持つ長州藩士とも深い交流がありました。公武合体派である容堂としては土佐勤王党の動きは不快なものであり、藩士に対して他藩士との交流を禁止する通達も出しています。
京で薩摩藩と会津藩によって長州勢力と、そこに与する公卿が追放されるという事件が起きると、尊皇攘夷という思想自体が一気に劣勢となっていきました。この流れの中で、謹慎を解かれた容堂は半平太を東洋暗殺容疑で捕らえるに至り、最終的に半平太に切腹を命じました。
参与会議の解散によって公武合体がうまくいかないとなったあと、土佐藩は武力倒幕を考えはじめます。最後まで幕府に対して同情的であった容堂ですが、このときには倒幕のための装備の購入を許可しています。
その後、坂本龍馬の船中八策を知らされた後藤象二郎から大政奉還というアイデアを進言され、将軍となっていた徳川慶喜にも伝えました。これにより、徳川家は大政を奉還することとなります。
明治維新後
容堂は最後まで徳川家の存続と、参政を主張していました。しかし、重要な会議にまで泥酔状態で出席したことにより、論理的な主張を行うこともできず、失言を咎められて発言力を失いました。
容堂は自ら鯨海酔候と名乗るほどの酒浸りで、重要な場面ででも自重しない性格だったようです。「酔えば勤王、覚めれば佐幕」と揶揄されることもありました。
その後は内国事務総裁をはじめ、いくつかの職を与えられては見るものの、すぐに辞任しています。内国事務総裁に至っては、在職一週間という短さです。晩年も酒色に溺れて、それでよいと押し通したのは、もうやりたいこともなかったのかもしれません。
1872年に、飲み過ぎのため脳溢血で倒れました。
晩年、新政府に土佐藩の発言力が及ばないことを嘆き、半平太を切腹させたことを悔やんだそうです。
山内容堂の名言 其の一
天なお寒し、自愛せよ
山内容堂の名言 其の二
酒は固より欠くべからず。吾言わず、之を温む
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