井伊直弼の名言です。

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幕末の人物
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人は上なるも下なるも楽しむ心がなくては一日も世を渡ることは難しい。

直弼は幕末の譜代大名で近江彦根藩の第十五代藩主です。江戸幕府に最も影響を与えた人物です。直弼がいなければ、日本は永久に鎖国をしていたかもしれません。
井伊直弼は1815年10月29日、近江彦根藩藩主である、井伊直中の十四男として誕生しました。母親は正妻ではなく側室の女性であったこと、兄弟が多かったこともありあまり良い扱いではありませんでした。しかし、若いころから国学や茶道を学び、特に茶道の分野では茶人として大成するなど、大いに才能を発揮していました。
転機が訪れたのは1846年、井伊が三十一歳の時でした。十四代藩主、井伊直元(直弼の兄、十一男)が死去。直弼は兄の養子となる形で、彦根藩の後継者となり、51年に正式に彦根藩藩主となります。52年には丹波亀山藩主、松平信豪の次女、昌子と結婚します。
藩主時代
彦根藩藩主になってからは若いときに学んだことを活かし、藩政改革に力をいれます。その手腕から名君と呼ばれるようになり、その能力は江戸でも発揮されることになります。1853年に黒船が襲来した際には、老中・阿部正弘に対して開国を主張。
また第十三代将軍徳川家定の後継者問題では、紀伊藩主の徳川慶福を推挙。一橋家の一橋慶喜を推挙する薩摩藩主の島津斉彬や福井藩主の松平慶永らと対立します。
阿部の死後、井伊と同じく徳川慶福を推す南紀派の工作により、井伊は大老に就任します。一橋派を押しのけて慶福を十四代将軍に任命(慶福は家茂と改名)
さらにアメリカと治外法権や関税自主権などを日本が持たないなどといった日米修好通商条約を天皇の勅許なしで調印してしまいます。勅許とは、いわゆる天皇の許可のことなのですが、その許可を取らずに調印しました。
当初は直弼も天皇の勅許なしで調印するのは反対だったのですが、当時の幕府内には「朝廷が反対するのは国体を損なわないようにするための配慮」という考えが広まっており、直弼もその認識のもと、条約に調印したようです。直弼の行動に対して、天皇を尊び開国に反対するという尊王攘夷運動が全国に広まりました。
桜田門外の変
桜田事変絵巻
天皇の勅許なしで日米修好通商条約に調印した直弼に対して不満を持つ人たちを直弼は次々に処分してしまいます。将軍継嗣問題で一橋派だった大名たちを次々に謹慎処分。処分の対象は大名たちだけでなく、町人や学者などへも及びます。幕府の批判をした人は身分に関係なく全員処分しました。これが安政の大獄です。
直弼に対しての不満は最高潮に達しました。その反動を受けて直弼は江戸城桜田門の近くで元水戸藩士に暗殺されます。井伊は安政の大獄で、幕府の権威を誇示しようとしました。その独裁政治的な振る舞いは多くの人に不満を持たせる結果となります。将軍継嗣問題で対立していた薩摩藩は、もともと公武合体論を解いていました。公武の公は朝廷、つまり天皇のことです。それに対して武は武士、つまり幕府や諸藩のことを言っています。
公武合体論は天皇と幕府、諸藩が一体となり、富国強兵をめざし諸外国に打ち勝つ国力をつけようという考えです。直弼が行った勅許なしでの条約の調印や安政の大獄は、幕府が絶対であるという印象を与えます。天皇のことをないがしろにしています。
真の公武合体を目指すには今の幕府は邪魔になります。直弼が行ったことは皮肉にも討幕運動を助長してしまいました。安政の大獄で吉田松陰などを代表とする反対派の雄藩大名、公卿、幕臣、藩士たちを次々と弾圧して日本の開国近代化を断行します。この事件をきっかけに川幕府の終焉へと時代は大きく変わりました。
あらゆることにおいて好きなことを選ぶことができれば、自分のやる気が出て一日が楽しくなるものです。好きなことを選ぶ習慣があれば、最優先に集中すべきことが見えて全体がうまくいき始めます。分自身の声に耳を傾けて、自分がやりたいことを考えるための時間をつくることをおすすめします。自分にとっての楽しい人生、幸せな人生が明確には存在しません。今まで選んできた選択が今の自分をつくっています。
人生の方向性を決定しなければならないときに、好きなことよりも安定性や将来性で選ぶことがあります。遠回りになっても、まず自分の好きなこと選ぶことです。選択はいずれ、時間の経過と共に大きな変化となって現れます。急な病気で万全な体調に戻れなくなってしまったときに、自分のやりたいことや好きなことができなかったと後悔することがあるかもしれないので、自分のことを後回しにしてはいけません。

井伊直弼の名言です。
春浅み野中の清水氷り居てそこの心を汲む人ぞなき

世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は

足る事を知りて楽しむ快楽ならでは実の楽しみにあらず

重罪は甘んじて我等一人に受候決意

茶の湯の交会は、一期一会といひて、例えば幾度同じ主客交会するとも、今日の会に再びかえらざることを思えば、実に我が一世一度の会なり

あふみの海 磯うつ浪の いく度か 御世に心を くだきぬるかな

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