吉田松陰の名言集です。

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幕末の人物

吉田松陰は、松下村塾という塾で武士、町人の隔たりなく学問を教えていました。高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文など幕末から明治初期にかけて活躍した人物を輩出しています。
松陰は、1830年に長州の萩城の近くで生まれます。幼少期より、叔父が設立した松下村塾で指導を受けます。11歳の時には、山口藩主毛利義親へ御前抗議をしたところ、あまりにも見事な講義をしたといわれています。
アヘン戦争で清がイギリスに敗戦したことを知ると、今まで学んできた学問は通用しないことを痛感し、九州へ遊学し西洋兵学を学びます。ついで、江戸へ遊学。佐久間象山に師事します。
松陰の転機
1853年。ペリーが浦賀に来航すると、松陰は佐久間とともに視察に向かいます。西洋の先進文明を直接見ることができた松陰は、海外留学の希望を胸に抱きます。松陰は何度も海外へ行こうと常識外れの行動をしていました。まずは長崎で寄港していたロシア艦隊に乗り込もとします。しかし当時勃発していたクリミア戦争のため、予定より早く出向してしまったため失敗に終わりました。
ペリーが再来航したときには、伊豆下田港に停泊中のポーハヘン号へ向かい密航を訴えますが、当然拒否されてしまいます。ポーハヘン号に乗り込むことに失敗してしまった松陰は、証拠が見つかる前に自首します。松陰は取り調べを受けた後に投獄されました。この際に死罪にするという案も出ましたが、当時の老中であった阿部正弘が反対して、長州の牢獄に移されることになりました。
55年に出獄し、57年に松下村塾を引き継ぎます。そこでは高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤博文や山形有朋など、のちの日本に大きな影響を与える人物たちを育てます。松下村塾は身分に関係なく入塾できたため、下級武士や町人も学ぶことができました。実際に倒幕運動にかかわった人物たちは下級武士の家に生まれた人が多かったようです。松陰の教育方針は、一人一人の個性を大事にしていくというものでした。学問を学ぶだけのものではなく実行するものだと教え、松陰自身もそれを実践していました。
安政の大獄
松陰は、58年に井伊直弼が天皇の勅許なしで日米通商修好条約を結んだことに対して激怒します。当時の老中首座である間部詮勝を暗殺しようとて、幕府が日本最大の障害だと批判しました。その結果、捕らえられて処刑されてしまいます。
この時期に幕府の批判をしたものは大名や町人、学者でも身分を関係なく処罰されていました。安政の大獄と呼ばれる大規模な処刑で、松陰は最後の処罰者と言われています。
松陰の死後、多くの教え子たちが活躍します。松陰のことを奇人だと形容されますが、松陰の残した功績というのは一言だけでは語りつくせません。松陰が残した多くの名言は現代人にも影響を与え、愛されています。松陰はたくさんの名言を残しました。
過ちがないことではなく、過ちを改めることを重んじよ
どんなに仕事ができる人でも過ちを犯すことがあります。自分の過ちに気づいたときは、すぐ改めるべきです。体面や人の思惑を考えて、過ちを正当化してしまったときは、いつまでも事態が改善されずに苦しみます。過ちを改めることはなかなかできません。とくに歳や地位を重ねていくと、余計にそう思ってしまいます。
過ちを犯してからの態度で、その人なりがわかります。過ちに気づいても、否を認めない。過ちをおかしても何も変わらない、否定されたことを素直に聞き入れられない、受け入れることができないなど、自分を守ろうとする気持ちが働くからです。
小人の過ちは必ず飾る
器の小さい小人は必ずそれを認めず取り繕うという中国の故事もありますが、このような態度は自分の度量を狭めてしまう原因になります。自分の過ちを知ることは難しいことではありません。過ちを犯してしまったときは、また同じ状況になったとしても何か対策ができるように過ちを理解することです。自分が成長するためには欠かせないことです。長い目で見れば、その積み重ねが大きな差になります。
どんな過ちも犯さない人は、常に何事も為さない人である。
挑戦するビジネスマンに過ちはつきものです。過ちをどう補うか取り戻すかでビジネスマンの値打ちが決まります。
小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。
宜しく先ず一事より一日より始むべし。
志をたてたなら、まず一つのことから、思いついた日から始めるべきである。
決心して断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない。大事なことを思い切って行おうとすれば、まずできるかできないかということを忘れなさい。
心ある立派な人の務めは、自分の身を修め、まごころを尽くすことにある。
大事なことを任された者は、才能を頼みとするようでは駄目である。知識を頼みとするようでも駄目である。必ず志を立てて、やる気を出し努力することによって上手くいくのである。
失敗をしないことが素晴らしいのではない。失敗を改めることが素晴らしいのだ。
利をうとんずるといふ事は、必ずしも富を厭ひ貧を欲するといふ事ではない。
貧富によりて少しも心をみださないといふことである。
学問の上で大いに忌むべきことは、したり止めたりである。したり止めたりであっては、ついに成就することはない。
学問ばかりやっているのは、腐れ儒者であり、もしくは専門馬鹿、または役立たずの物知りに過ぎず、おのれを天下に役立てようとする者は、よろしく風の荒い世間に出て、なまの現実を見なければならない。
至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり。
人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。

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