曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く
政宗は、永禄十年、伊達輝宗の嫡子として米沢城に誕生しました
母は最上義光の妹。幼名は梵天丸。幼時に疱瘡にかかり、右目を失明します。右目を病んだ政宗は陰険な性格となっていましたが、政宗の養育を任されていた片倉小十郎景綱が右目を抉り取ると、政宗は暗い性格から快活で文武両道に精進する少年に変貌したといいます。
伊達政宗の異名である「独眼竜」は、中国の後唐の第一世昭宗・李克用が、片目でありながら英傑で独眼竜とよばれた故事に発しています。政宗の領土拡大侵攻は凄まじく、家督相続からわずか六年ほどで、東北地方に福島の浜通り地方を除く福島、宮城両県から岩手県にまたがる広大な一大勢力を築きあげました。
最後まで油断のならぬ人物と映った政宗でありましたが天下争奪を競うには、あまりにも出自が遅すぎました。天下をほぼ手中に収め、最後の関東・奥州だけと成っていた秀吉は、朝廷から関白の地位を得て、天皇から全国の統治をまかされたとして、「惣無事令」を発しました。これによって大名間の領土紛争などは、私戦とみなして禁じ、調停は全て豊臣政権がその最高機関として処理にあたり、これに違反する大名には厳しい処分を下す事を宣言したものです。
帰参命令が出されていた政宗でしたが、それを無視して秀吉麾下を盟約していた会津の蘆名氏を攻め滅ぼしました。このことで政政宗は秀吉から怒りをかうことになります。政宗は白装束で秀吉の前に現れ、巧みに危機を脱しました。天下人となった秀吉から、謀反の疑いをかけられますが、秀吉を驚かせるような機転の利いた対処で難を乗り切っています。結果秀吉は三度も政宗を許しています。
昌宗は秀吉、家康でさえその勢力と野望に一目置き、危険人物として畏れられた人物であります。豊臣政権下でも、徳川政権下でも、重用されつつも、常に警戒されていました。晩年は徳川幕府の体制も磐石になったため、天下取りの野望もなくなっていたようです。三代将軍・家光の時代まで仕え、家光からは多大な信頼を得て、幕府や他の大名からも一目置かれています。
享年七十歳。江戸で死去。政宗が築いた仙台藩は東北地方の有力勢力として存在し続けました。
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