鍋島直茂の辞世の句|智勇を併せ持った肥前の名将の終曲

戦国武将 辞世の句

乱世を巧みに生き抜き、肥前佐賀藩の実質的な祖となった一人の智将がいました。鍋島直茂(なべしまなおしげ)です。主家である龍造寺家の家臣ながらも、その危機を救い、ついには鍋島家を大名へと押し上げました。武勇だけでなく、内政や外交にも優れた手腕を発揮し、多くの戦国武将が志半ばで散る中で、八十歳を超える長寿を全うしました。波乱に富んだ人生の終わりに、直茂が詠んだとされる辞世の句は、百戦錬磨の智将だからこそたどり着いた、人間の本質といのち、そして覚悟に関する深い洞察を示しています。

龍造寺を支え、鍋島を興す

鍋島直茂は天文11年(1542年)、龍造寺家の一門である鍋島清房の子として生まれました。早くからその才能を龍造寺隆信に見いだされ、家臣として重用されます。隆信のもとで武将としての頭角を現し、数々の戦で武功を立てました。特に天正12年(1584年)の沖田畷(おきたなわて)の戦いでは、大友家を破ったものの島津軍に敗れ、主君・隆信が討ち死にするという龍造寺家最大の危機に直面します。この窮地にあって、直茂は冷静に事態を収拾し、島津家との和睦を実現させ、龍造寺家の存続に尽力しました。

隆信の死後、幼い跡継ぎを補佐する形で龍造寺家の実権を握った直茂は、豊臣秀吉、次いで徳川家康という天下人たちの下で、巧みな外交手腕を発揮し、龍造寺家、そして自身の鍋島家の地位を確立していきます。秀吉の九州征伐や文禄・慶長の役にも従軍し、家康の天下平定戦である関ヶ原の戦いでは東軍に味方して、佐賀藩鍋島家の礎を築きました。武将としてはもちろん、政治家、外交官としても一流の人物だったと言えるでしょう。

多くの同世代の武将が若くして、あるいは壮年期に戦死する中、直茂は長生きし、時代の大きな移り変わりを見届けました。この長い経験が、彼の人生観や死生観に深い影響を与えたと考えられます。

経験に裏打ちされた、いのちの真理

乱世を生き抜いた智将・鍋島直茂が、晩年あるいは最期に詠んだとされる辞世の句には、彼が人生を通して見いだしたであろう、いのちと覚悟に関する深い洞察が込められています。

辞世の句:

「いのちをば 惜しむもことの はじめなり 惜しまぬときに おもひ知らせん」

人間というものは、まず最初に自分の命を惜しむものだ。それは自然なことであり、あらゆる物事の始まりである。しかし、その命を惜しまず、覚悟を決めて投げ出す時、そこにこそ、その人間の本当の「思い」や「覚悟」が明らかになるのだ、と詠んでいます。

句に込められた、覚悟の重み

この句は、単なる死を恐れないという勇敢さを示すものではなく、人間の本質を見据えた、哲学的な深みを持っています。

  • 人間の本質への洞察: 「いのちをば惜しむもことのはじめなり」という前半の句は、生きる者ならば誰しもが持つ、自己保存の欲求、すなわち命を大切に思う気持ちを肯定しています。これは、数多の生死の場面を見てきた直茂だからこそ語れる、普遍的な人間の真理への深い理解です。
  • 覚悟が示す真価: しかし、句の後半では、その「命を惜しまぬとき」、つまり死を覚悟し、自らを投げ出す決断をした時にこそ、その人間の本当の価値や信念(「おもひ」)が明らかになる、と説きます。これは、言葉や表面的な行動ではなく、極限状況での「覚悟」こそが、その人物の真の姿を映し出すという、厳しい現実を生き抜いた者の視点です。
  • 経験に裏打ちされた死生観: 多くの戦場を経験し、主君や仲間、そして敵の死を見てきた直茂は、命のはかなさと同時に、その命の使い方、つまり「いかに死ぬか」が「いかに生きるか」を決定づけることを知っていたのでしょう。この句は、彼がたどり着いた、いのちと死に対する達観した境地を表しています。

鍋島直茂の辞世の句は、戦国の智将の経験と、人生の黄昏時に至った者만이が持ちうる深い洞察が結びついた、重みのある言葉なのです。

鍋島直茂の生涯と辞世の句

鍋島直茂の生涯と辞世の句は、現代を生きる私たちに、どのようなメッセージを投げかけてくれるでしょうか。私たちが戦場で命を投げ出すような状況に直面することは稀ですが、人生には様々な「覚悟」が求められる場面があります。

  • 「命を惜しむ」自分を肯定する: まず、命を惜しむこと、大切なものを失うことを恐れるのは自然な感情であると、彼の句は教えてくれます。無理に強がったりせず、そうした自分自身の感情を受け入れることから、すべてが始まります。
  • 真価が問われる「惜しまぬとき」: しかし、それと同時に、何か大きな決断をする時、困難に立ち向かう時、あるいは自身の信念を貫くためには、「惜しまぬ」覚悟が必要な時があることを示唆しています。自分の立場、時間、労力など、何かを犠牲にする覚悟を決めた時にこそ、自分自身の本当に大切にしている「思い」や、人間としての強さが明らかになるのです。
  • 死を意識することの効用: 直茂のように死を身近に感じていなくとも、人生には必ず終わりがあるということを意識することは、今をどう生きるか、何に価値を置くのかを考える上で重要な視点を与えてくれます。限りある命だからこそ、何を「惜しみ」、何を「惜しまない」のかという問いは、日々の生き方にも通じます。

鍋島直茂の辞世の句は、乱世を生き抜いた智将の経験に裏打ちされた、人間の本質といのち、そして覚悟に関する普遍的なメッセージです。それは、現代に生きる私たちが、自身の人生と深く向き合い、困難な状況でも真の「思い」を持って立ち向かうための勇気と示唆を与えてくれるのではないでしょうか。

この記事を読んでいただきありがとうございました。

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