戦国武将の名言

島津義久の名言です。其の二

肝要のところに気を配れ。どうでもよいところに気をつけるものではない。小板葺きにして立派になっても、百姓が疲れきっているようでは、使者は国主の政治が良くないことを見抜くだろう。使者になるほどの者は、様々なことに気付く者だ。途中、当国の地を通っ...
戦国武将 辞世の句

毛利元就 辞世の句です。

友を得て なおぞ嬉しき 桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は毛利元就は安芸の小規模な国人領主から中国地方のほぼ全域を支配下に置くまでに勢力を拡大し、一代で中国地方を制覇します。傑出した戦略家・謀略家。戦国時代最高の智将、「謀神」とも呼ばれ、用...
戦国武将 辞世の句

上杉謙信 辞世の句です。

極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし越後国の武将で、越後の虎とも越後の龍とも呼ばれた武将です。上杉謙信は私欲の少ない、清廉の人として知られています。戦国時代屈指の戦上手であり、野戦においては戦国武将の中でも最高の指揮統率力を持...
戦国武将 辞世の句

大谷吉継 辞世の句です。

石田三成との友情を取り、勝ち目のない戦に身を捧げた義の武将です。羽柴秀吉の小姓として仕え馬廻衆として数々の戦いに従軍します。本能寺の変で、織田信長が亡くなると、羽柴秀吉と柴田勝家が対立。賤ヶ岳の戦いで、先懸衆として石田三成らと共に活躍し、七...
戦国武将 辞世の句

石田三成 辞世の句です。

筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり石田三成ほど相反する人物像があり、しかもその評価が曖昧な人物はいません。かつては豊臣政権中枢で権勢を振るって危うくし、滅亡に導いた奸臣という評価が多数を占めています。ではこうし...
戦国武将の名言

栗山利安のエピソードです。

通称は善助。最初仕官した時は黒田家の下働きでしたが、のちに黒田二十四騎の中で最も優秀な功績を残した八人。黒田八虎にも選ばれています。黒田氏の筆頭家老で黒田官兵衛を支え、苦難を共に乗り越えて来た家臣です。黒田官兵衛が亡くなる時、息子の長政に「...
戦国武将 名言集

軍師の名言

知略を尽くして戦国の世を駆けた軍師の名言集です。知略・計略を巡らせ参謀を担った智将たちが活躍していました。自分の才覚によって確実に組織を勝利へと導き、主を助ける知恵者にあこがれるひとは少なくないはずです。
戦国武将の名言

黒田長政の名言です。 其の一

刀や脇差などの目利きを心掛けるように、人の目利きも常に心掛け、普段から人を観察してよく学べば、人の見極めで外れることもなくなる。父の官兵衛と比べると知略で采配をする人物ではなく、武勇に優れ先陣を指揮する武将でしたが人の見極めは正しかったよう...
戦国武将の名言

武田信繁の名言です。其の三

合戦が近くなったら、兵を荒っぽく扱え。兵はその怒りを戦いにつなげて、激しく戦うからである。兵の心理を知り尽くした信繁の名言です。怒ることも、時にはよい結果をもたらします。相手をなぎたおしていく程の力、やられたらやり返す不屈の心、新しいことを...
戦国武将の名言

武田信繁の名言です。其の二

何ごとにつけても、つねに堪忍の二字を忘れてはならぬ。昔の物語にも「韓信という人は、初め家が貧しく、少年のころに他人から股の下をくぐらせられりなどして辱めを受けたが、よく堪忍してついには漢の大将軍となって成功した」ということが伝えられている。...