「虎退治」の逸話で知られ、築城の名手としても名高い戦国武将、加藤清正。福島正則らと共に豊臣秀吉子飼いの猛将として、「賤ヶ岳の七本槍」に数えられ、その生涯を秀吉への忠誠に捧げました。熊本城をはじめとする壮麗な城郭は、清正の武威と才覚を今に伝えています。
秀吉亡き後も、その遺児・秀頼の後見役として豊臣家の存続に心を砕いた清正。徳川家康との間を取り持つなど、困難な立場にありながらも、最後まで忠義を貫こうとしました。そんな加藤清正が病に倒れ、死を目前にした際に遺したとされる辞世の句は、主君・秀吉への揺るぎない敬愛と、死をも恐れぬ潔い武士の心意気に満ちています。
死出の旅 迷はでゆかむ 大王の おましを先に たのみと思へば
虎退治の猛将、築城の名手:加藤清正とは
加藤清正は、尾張国(現在の名古屋市中村区)に生まれ、福島正則と同じく豊臣秀吉の縁戚にあたります。幼い頃から秀吉に仕え、その薫陶を受けて成長しました。秀吉からは子飼いの武将として、深い愛情と期待を寄せられていました。
賤ヶ岳の戦いでは、弱冠22歳ながら目覚ましい活躍を見せ、「七本槍」の一人として勇名を馳せます。その後、秀吉の天下統一事業において、各地の合戦で武功を重ね、特に朝鮮出兵(文禄・慶長の役)では、先鋒として朝鮮半島に渡り、数々の武勇伝を残しました。中でも、蔚山城(うるさんじょう)での籠城戦で見せた奮戦ぶりや、有名な「虎退治」の逸話は、清正の勇猛さを象徴しています。
一方で、清正は優れた築城家でもありました。肥後熊本城をはじめ、江戸城、名古屋城などの天下普請(幕府による城郭工事)にも参加し、その石垣普請の技術は高く評価されています。「清正流」と呼ばれる独特の石垣は、見た目の美しさだけでなく、防御機能にも優れていました。また、肥後熊本藩の初代藩主としては、領内の治水事業や新田開発、産業振興にも力を注ぎ、領民から「清正公(せいしょこ)さん」と呼ばれ、現在でも深く慕われています。
秀吉の死後は、福島正則らと共に武断派の中心となり、石田三成ら文治派と対立。関ヶ原の戦いでは東軍(徳川方)に与し、九州において西軍勢力と戦いました。戦後、肥後熊本52万石の大名となります。
しかし、清正の心は常に豊臣家にありました。秀吉の遺児・秀頼の成長を見守り、その将来を案じ続けます。徳川家康と秀頼の間に漂う不穏な空気を和らげるため、両者の会見(二条城会見)実現に奔走しました。この会見が無事に終わった直後、清正は肥後への帰路の船中で発病し、まもなく熊本で死去。その死因については、病死のほか、会見の席で毒を盛られたとする毒殺説も根強く囁かれています。
辞世の句に込められた心境:「大王」への絶対的信頼
豊臣家への忠義と、新たな支配者である徳川家との間で、難しい舵取りを迫られながらも、最後まで主家への思いを貫いた清正。その最期の言葉とされるのが、「死出の旅 迷はでゆかむ 大王の おましを先に たのみと思へば」です。
「これから向かう死への旅路も、私は迷わずに行くことができる。なぜなら、我が敬愛する主君、大王(=豊臣秀吉公)が、先にあの世で待っていてくださることを、頼りに思うからだ」。
この句からは、死に対する恐怖や未練はほとんど感じられません。むしろ、そこにあるのは、敬愛してやまない主君・秀吉の元へ行けることへの、安堵感や希望にも似た感情です。「大王」という秀吉への呼びかけには、清正の絶対的な忠誠心と、まるで神仏に対するかのような深い敬愛の念が込められています。清正にとって秀吉は、生涯を通じて仰ぎ見る唯一無二の存在でした。
「迷はでゆかむ」という決然とした言葉には、幾多の死線を乗り越えてきた武将としての潔さ、覚悟が見て取れます。また、熱心な日蓮宗の信者であった清正にとって、死は終わりではなく、敬愛する主君との再会へと続く新たな旅立ちであったのかもしれません。その篤い信仰心が、死への迷いを払拭させたとも考えられます。来世での主君との再会を信じる心が、死の恐怖を超越させたのです。
清正の生き様と、忠誠心に貫かれた辞世の句は、現代を生きる私たちに、人として大切にしたい心のあり方を教えてくれます。
- 揺るぎない忠誠心と敬愛: 誰か特定の人や、あるいは理念や目標に対して、深い敬愛の念や忠誠心を持つこと。それは、人生に一本の芯を通し、困難な状況でもブレない強さを与えてくれる源泉となり得ます。
- 心の支えを持つことの価値: 清正にとって秀吉がそうであったように、心から信頼し、頼りにできる存在(人、信仰、理念など)を持つことは、人生の苦難や、いつか訪れる死に直面した時に、大きな心の支えとなります。
- 責任感と使命感: 秀頼の後見役としての責任を果たそうとした清正の姿は、自らに与えられた役割や使命を、最後まで誠実に果たそうとする姿勢の大切さを示しています。それは、現代社会においても求められる重要な資質です。
- 希望を持って死と向き合う: 死を単なる終わりや恐怖の対象として捉えるだけでなく、清正のように、何かへの希望(来世での再会など)を持って、穏やかに受け入れるという死生観も、私たちに一つの示唆を与えてくれます。心の持ちようで、死の捉え方も変わるのかもしれません。
生涯を主君・豊臣秀吉への忠義に捧げ、その最期まで「大王」への思いを貫いた加藤清正。その清々しいまでの忠誠心と、死をも恐れぬ潔い生き様は、時代を超えて多くの人々の心を打ち、深い感動を与え続けています。
この記事を読んでいただきありがとうございました。
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