幕末の薩摩藩にあって名君と呼ばれた、富国強兵を目指し、後の倒幕の力の基礎を築いた人物です。
活躍を始めるまで
斉彬の生まれは1809年。父は島津斉興、曾祖父は島津重豪です。斉彬は幼少より才を認められたと言われており、四歳にして曾祖父から次代の当主に指名されたほどです。とんでもない借金を作って財政を破綻させた重豪に似て外国への興味が強く、洋学を学びました。しかしこのことが斉興や重臣達に心配され、なかなか家督継承とはなりませんでした。
それがあだとなり、四十歳の頃にお由羅騒動が起きてしまいます。これは斉彬と、弟の久光の派閥闘争であり、斉彬派の藩士が久光とその母、斉興の側室であったお由羅の方を暗殺しようとした事件です。
暗殺は未然に発覚して斉彬派は切腹や遠島など、厳しく罰せられ、家督継承権も斉彬からは離れていきそうでしたが、島津氏の縁戚であった福岡藩主から幕府に事態の収拾が要請されました。
斉彬の名望は幕府にも届いており、老中阿部正弘らの活動により、将軍より斉興に隠居が勧告されました。これにより一騒動あったものの、斉彬が家督を継ぐことになりました。
開明的な政策
ただの西洋かぶれではなかった斉彬は、様々な産業を興します。反射炉・溶鉱炉を建てて冶金技術を発展させ、外国から帰還して間もないジョン万次郎を招いて造船技術を高めて西洋式の帆船を作らせました。地雷に水雷、ガラスなどの工場も多数作り出され、これらの近代式工場群は集成館事業と呼ばれました。
これに遡ること三百年ほど前、幕末時代には長州と呼ばれる地を治めていた大名に大内義隆という人物がいました。義隆も外国との交流を行い、技術も積極的に取り入れ、日本で最初にメガネをかけた人物と伝わっていますが、斉彬もまた日本で最初に写真撮影を受けた大名と言われています。やはり、外国の技術をとり入れることに熱心な権力者は、最新技術の体験も早いものなのでしょう。
先進性は人事にも見られます。幕末時代の薩摩藩を扱った書物であれば、およそ登場しないことが考えられないのが西郷隆盛や大久保利通だと思いますが、彼らを登用して重く用いたのが斉彬でした。
公武合体
黒船といえばペリー来航を意味しますが、これによって日本は方針を迫られます。当時の名高い有力者は四賢候と呼ばれますが、松平春嶽、山内容堂、伊達宗城と並び斉彬もその一人に数えられます。
斉彬等は幕府のこれからの方向性として、公武合体を推奨しました。武家と公家、すなわち幕府と朝廷の関係を改善し、政府を再調整、再構築して強化しようという政策です。これは後に和宮の降嫁という一つの形にはなりますが、四賢候が期待した形にはなりませんでした。
しかしいずれにせよ、斉彬は公武合体の結末を知ることはありませんでした。
十三代将軍、徳川家定は幼少から病弱で、この頃はなおさら具合も悪く、幕政をとれる状態ではありませんでした。世継ぎもいなかったため、後継者の問題はたびたび議論されてしましたがここへ来て本格化しました。
四賢候は水戸の一橋慶喜を後継者として推薦し、大老井伊直弼は紀州の徳川慶福を推薦していました。結果は直弼の勝利におわり、慶福が家茂と名を改めて将軍位を継ぐことになりました。直弼はまた、朝廷に背いて外国と条約を結んだことを非難されていた時期で、そこかしこに政敵を抱えていました。ここで安政の大獄が行われ、直弼は自分に反対する有力者を処罰して回ったのです。その中には斉彬を除く四賢候の名もありました。処罰者名簿の中に斉彬の名はありません。処罰されるまでもなく、亡くなってしまったのです。
斉彬は直弼の専横に抗議すべく、薩摩より五千の兵を率いて上洛しようとしました。しかし出兵間近の七月。炎天下の中の閲兵で病気を発して程なくして亡くなりました。コレラによる病死とされていますが、政治的状況が不穏であったことや症状が不自然なこともあり、毒殺説も広まっています。
斉彬に見いだされた隆盛などは殉死も考えたと言われており、後々まで久光と仲が悪かったのは隆盛が毒殺と考えていたからではないかという話もあります。
1858年、斉彬のあとは、遺言により久光の子、忠義が継ぎました。斉彬の言葉として、その人事感を表したものが残されています。その中の一つに、「十人が十人とも好む人材は非常事態に対応できないので登用しない」という言葉があります。
島津斉彬の名言集です。
「君主は愛憎で人を判断してはならない」
「十人が十人とも好む人材は非常事態に対応できないので登用しない」
「国政の成就は衣食に窮する人なきにあり」
「勇断なき人は事を為すこと能はず」
「民が富めば君主が富むの言は、国主たる人の一日も忘れてはならぬことである」
「天下の政治を一変しなければ外国との交渉もできない」
「人身の和は政治の要諦である」
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