「さらぬだに 打ぬる程も 夏の夜の 夢路をさそう ほととぎすかな」
この歌は、戦国時代を生きた絶世の美女、お市の方が、燃え盛る城の中で詠んだとされる辞世の句です。「戦国一の美女」と称されながらも、政略の波に翻弄され、二度の落城を経験したお市の方。その生涯は、美しさと聡明さゆえに、一層悲劇的な色彩を帯びています。この短い歌には、彼女のどのような想いが込められているのでしょうか。
戦国一の美女、乱世に咲いた花 – お市の方の生涯
お市の方は、尾張の風雲児・織田信長の妹として生まれました。その美貌は広く知れ渡り、兄・信長の天下統一への道を切り開くための駒として、若くして近江の戦国大名・浅井長政のもとへ嫁ぎます。政略結婚ではありましたが、夫婦仲は睦まじく、三人の娘(茶々、初、江)と二人の息子に恵まれ、しばしの幸福な時を過ごしました。
しかし、天下統一を急ぐ信長が、浅井家の盟友であった朝倉家を突如攻撃したことで、その運命は暗転します。夫・長政は、信義を重んじ朝倉方につくことを決断。兄と夫が敵対するという、お市の方にとって最も恐れていた事態が現実となります。
有名な「小豆袋」の逸話は、この時のものとされます。お市の方は、袋の両端を固く縛った小豆袋を信長に送り、浅井・朝倉による挟み撃ちの危機を密かに知らせたと言われています。兄への情と、嫁ぎ先である浅井家への想いの間で、彼女がいかに苦悩したかがうかがえます。
やがて、姉川の戦いを経て浅井家は追い詰められ、長政は居城・小谷城で自害。お市の方は三人の娘と共に織田家に戻され、兄・信長の庇護下に入ることになりました。
再嫁、そして炎の中へ – 柴田勝家との最期
本能寺の変で信長が斃れた後、織田家の実権を握ったのは羽柴(豊臣)秀吉でした。お市の方は、織田家の筆頭家老であった柴田勝家と再婚し、越前北ノ庄城へ移ります。当時お市の方三十六歳、勝家は六十一歳。年の差はありましたが、戦国の世を生き抜いてきた者同士、互いを支え合う存在となったのかもしれません。
しかし、天下を狙う秀吉と、旧来の織田家を守ろうとする勝家の対立は避けられませんでした。1583年(※諸説あり)、賤ヶ岳の戦いで勝家は秀吉に敗北。秀吉の大軍に北ノ庄城を包囲され、勝家は最期を覚悟します。
勝家は、お市の方と三人の娘たちに城を落ち延びるよう勧めました。しかし、お市の方はこれを毅然と断ります。最初の夫・長政との別れ、そして兄・信長の死を経て、彼女は再び夫と共に死ぬ道を選んだのです。三人の娘たちの将来を秀吉に託し、城から送り出した後、勝家と共に自害して果てました。
誇りと愛、悲劇の選択 – お市の方の人物像と心情
お市の方の生涯は、まさに戦国という時代の激しさに翻弄されたものでした。しかし、その中で彼女が見せたのは、単なる美しさだけではありません。
兄・信長への情、夫・長政への愛、そして嫁いだ柴田勝家への敬意と絆。彼女は常に、自身の置かれた立場で誠実であろうと努めたのではないでしょうか。特に、二人の夫の最期に寄り添い、自らも死を選んだ姿には、戦国女性としての強い意志と誇りが感じられます。
最も心を砕いたのは、三人の娘たちのことであったでしょう。自らは夫と共に死を選びながらも、娘たちには生き延びてほしいと願い、敵将である秀吉に託す決断をしました。その母としての深い愛と覚悟は、胸を打たずにはいられません。
夏の夜の夢 – 辞世の句に込められた想い
「さらぬだに 打ぬる程も 夏の夜の 夢路をさそう ほととぎすかな」
(そうではない時でさえ、うとうと眠る束の間にも、夏の短い夜の夢へといざなうホトトギスの声であることよ)
燃え盛る城の中、死を目前にして詠まれたこの歌。「ほととぎす」は、古来より死出の山路を超える鳥、あるいは魂をあの世へ導く存在とも言われます。お市の方は、迫りくる死を、まるで夏の夜の短い夢のように、儚く、そしてある種の静けさをもって受け入れようとしていたのかもしれません。「さらぬだに」(そうではない平穏な時でさえ)という言葉には、これまでの人生で常に死の影を感じながら生きてきた、彼女の述懐が込められているようにも聞こえます。
これに対し、夫・勝家は次のように返したと伝えられます。
「夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ ほととぎす」
(夏の夜の夢のように儚い人生ではあるが、我らがこの世に残した名を、雲の上まで高く伝えよ、ホトトギスよ)
二人の歌は、死を静かに受け入れつつも、武士としての、そして人としての誇りを最期まで失わなかった魂の交感を示しているようです。
お市の方の生涯が現代に伝えるもの
お市の方の生き方は、現代を生きる私たちに、いくつかの大切なことを教えてくれます。
- 困難な状況での選択: 自身の意志ではどうにもならない状況下でも、最後には自らの意志で道を選び取る強さ。それは、現代社会で様々な制約の中で生きる私たちにも、尊厳を保つことの大切さを教えてくれます。
- 家族への愛: 時代の波に翻弄されながらも、娘たちの未来を案じ、最善を尽くそうとした母としての姿は、時代を超えて共感を呼びます。
- 運命と向き合う覚悟: 悲劇的な運命を受け入れ、最期まで誇りを失わなかったお市の方の姿は、人生の困難に直面した時に、いかにそれと向き合うべきかを考えさせます。
- 儚さの中の美しさ: 夏の夜の夢に例えられた人生観は、限られた時間の中で精一杯生きることの意味や、儚いからこそ美しいものの存在を私たちに気づかせてくれます。
終わりに
戦国一の美女と謳われ、二人の戦国武将に嫁ぎ、最後は夫と共に炎の中に散ったお市の方。その生涯は悲劇に彩られていますが、彼女が示した誇り、愛、そして覚悟は、今もなお多くの人々の心を捉えます。彼女が命を懸けて守った三人の娘たちは、その後、豊臣家、京極家、そして徳川家へと嫁ぎ、その血筋は日本の歴史に深く刻まれていくことになります。お市の方の短い夏の夜のような人生は、儚くも鮮烈な光を放ち続けているのです。
この記事を読んでいただきありがとうございました。
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