お市の方は織田信秀の娘として生まれました。兄は織田信長です。戦国一の絶世の美女で聡明だったといわれています。天下統一をめざす信長は、近江の浅井長政と同盟を結ぶためにお市と長政を結婚させられました。二十一歳のときでした。この婚姻は政略結婚でしたが、夫婦の仲は円満で、万福丸、万寿丸、茶々、初、お江、二男三女の子宝に恵まれます。
ところが、信長は長政の了解なく、浅井家の同盟国である朝倉家を攻めました。これに対し長政は先祖代々の盟友、朝倉方について信長と対決することになります。
お市の方は浅井家による裏切りを信長に知らせます。密告が怪しまれないよう、小豆を袋に入れて袋の端を紐でくくり、織田家の陣営に送りました。これを受け取った織田信長は、織田家が袋の中のねずみであることを察し、朝倉家と挟み撃ちにされた信長は即座に撤退。被害を最小限にとどめました。
織田信長は、朝倉・浅井方と対した姉川の戦い後、朝倉義景を倒します。その後、長政の居城・小谷城を攻めました。長政は、お市の方に、茶々、お初、お江を託し、信長のもとに届け自害。長政の長男、万福丸はやがて殺害され、万寿丸は一説によると寺に預けられたといわれています。お市の方と娘は、信長の弟、織田信包のもとに預けられました。
本能寺の変のあと、羽柴秀吉が明智光秀を討つと、次期の政権を狙う秀吉は織田家の後継者として信長の孫、三法師を擁しました。清洲会議を経て秀吉が織田家の実力者となります。
お市の方は、織田家の筆頭家老だった柴田勝家と三人の娘を連れて再婚。北ノ庄城に移ります。勝家は六十一歳、お市は三十六歳。二十五歳も年上の再婚相手でした。
1582年、次期の政権を狙う秀吉に対抗姿勢をとっていた勝家が、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れます。勝家は北ノ庄城に戻りましたが、秀吉に包囲され窮地に陥ります。
勝家はお市の方に娘とともに城を出るように勧めました。お市の方は勝家の申し出を断り、三人の娘を秀吉に託します。娘を城から出すと勝家とともに自害して果てました。
お市の方 辞世の句は、
「さらぬだに 打ぬる程も 夏の夜の 夢路をさそう ほととぎすかな」
それに対して勝家の返歌です。
「夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ ほととぎす」
「ほととぎす」は、あの世からの使い、死出の田長などともいわれ、夏の夜のように、はかないこの世との別れを、ほととぎすに託しています。
その後、娘の茶々は豊臣秀吉の側室となり、初は京極高次に、お江は佐治一成室、豊臣秀勝室、豊臣秀勝の死後は、徳川秀忠正室となります。お江により天皇家、徳川家にその血筋は受け継がれました。
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