戦国の世、群雄が割拠し、命の価値が軽んじられた時代にあっても、志ある者たちはその最期の言葉に深い思いを込めました。筒井順慶もまた、そんな一人でした。
二歳で家督を継いだ少年当主
筒井順慶は1549年、大和の地で生を受けます。しかし、父・順昭は間もなく病に倒れ、わずか二歳の順慶が家督を継ぐこととなりました。
戦国の時代において、幼少の当主は家の弱体と見なされ、外敵だけでなく内紛の火種にもなりかねません。順昭はそのことを見越し、死の間際に影武者を立てて自らの死を隠し、叔父・順政に託して家を守らせました。
その判断が功を奏し、筒井家は辛くも存続の道をたどります。ここから、順慶の苦難に満ちた人生が始まるのです。
仇敵・松永久秀との因縁
1559年、松永久秀が筒井領に侵攻を開始します。順政の死や味方勢力の相次ぐ降伏により筒井家は劣勢に追い込まれ、ついには筒井城を奪われてしまいます。
しかし順慶は諦めませんでした。三好三人衆と結び久秀と戦い、城を奪還します。やがて久秀が信長に臣従すると、順慶もその流れに従い、明智光秀の仲介を得て信長の家臣となります。
因縁は続きます。久秀が再び謀反を起こすと、その攻撃の主力を担ったのが他でもない筒井軍でした。城内への潜入、主力家臣の討ち取りなど、順慶の働きは目覚ましいものでした。
洞ヶ峠――日和見か、冷静な判断か
1582年、本能寺の変が起きると、光秀は旧知の順慶に加勢を求めます。順慶は一度は兵を出すも、最終的には動かず、籠城の構えを取りました。この決断は光秀の命運を分けるものとなり、のちに「洞ヶ峠」として、日和見の代名詞とされるようになります。
しかし、その選択は単なる保身ではなかったのかもしれません。筒井家の存続、民の命、若き日の苦労の中で育まれた慎重な思慮が、順慶を静かに現実へと導いたのでしょう。
辞世の句に込められた想い
根は枯れじ筒井の水の清ければ
心の杉の葉は浮かぶとも
「杉の葉は浮かんでも、根は枯れない」。これは表面的に流されているように見えても、根本の志は決して失われていないという静かな決意を感じさせる句です。
戦国の荒波に揉まれながらも、自らを見失わず、家の存続と民の平穏を守ろうとした順慶の信念が、ここに滲んでいます。
現代を生きる私たちへの教訓
現代社会においても、外からの圧力や予期せぬ出来事に翻弄されることは少なくありません。そんな時、感情に流されず、冷静に判断し、根を保ち続ける強さが求められます。
たとえ浮かんで見えても、決して根を枯らさぬように――。順慶の辞世の句は、私たちに「本質を見失わない生き方」の大切さを教えてくれます。
まとめ
- 筒井順慶は、わずか二歳で家督を継ぎ、幾多の困難を乗り越えました。
- 仇敵との戦い、時流に飲まれず判断を下す姿勢に、武将としての芯の強さが表れています。
- 辞世の句には、見かけに惑わされず、内なる清らかさと信念を保ち続ける心が詠まれています。
- 私たちもまた、どんな波に飲まれても、自らの「根」を信じて生きていくべきなのかもしれません。
この記事を読んでいただきありがとうございました。
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