陶晴賢の謀反によって命を落とした有力大名です。
文弱とされてはいますが、さすがの内政力で山口を西京都と呼ばれるほどに隆盛させました。
ただの暗愚でなかったのは間違いありません。
誕生から家督相続まで
1507年、大内義興の長男として誕生しました。
この時期は義興は足利義稙を報じて上洛の最中であり、義興が帰還するのは十年ほどしてのことですので、幼少期は父元からは離れて過ごしていたことになります。
1524年になると父と共に尼子氏との戦いに出陣しましたが、毛利元就の夜襲を受けて敗北を喫しています。
それから五年後、義興が亡くなったことで、大内氏の三十一代当主につきます。
陶興房時代
父の代で無類の功績を残した忠臣が陶興房でした。
興房は義隆を託されていて、興房も終生、義隆を補佐して大内氏の全盛期を実現しました。
大内氏では家督相続の際に跡目争いが起きることがいつものことでしたが、興房の支えもあってそういった混乱とも無縁だったと言います。
義隆は興房に九州での戦いを任せると、興房は少弐氏、大友氏を一度に相手取って奮戦し、最終的には少弐氏を滅亡に追いやり、大内氏とも条件のいい講和を結びました。
しかし、この興房が亡くなった頃から、次第に雲行きが怪しくなっていきます。
陶晴賢時代
興房の子で、陶氏の家督を継いだのが、陶隆房(晴賢)でした。
男色の趣味があったという義隆は、隆房ともそういう関係にあり、馬を飛ばして会いに行ったものの、寝ていたので寝顔だけ見て帰ってきたなどという逸話も残されています。
だから、というわけではないでしょうが、まだ二十歳の隆房も大内軍を預けられて、味方になっていた毛利氏の救援に差し向けられたりしています。
この戦いは無事に大内方の勝利に終わり、尼子氏から離反者が相次ぐなど、明らかに優勢となりました。
しかし、そこで深入りして尼子氏の本領に対する大規模攻勢が失敗に終わり、養子の大内晴持を事故で失ったことで、義隆は政治に対する意欲を失ってしまいます。
以後の義隆は戦争を避け続け、軍備をおろそかにして、内政に注力しました。
そのせいで、重用した相良武任と隆房の間で争いが絶えず、暗殺騒ぎにまで発展します。
最終的には戦国時代で生き残る力のない大内家に見切りをつけた隆房が謀反を起こし、義隆は大寧寺に追い詰められて自害して果てることになります。
1551年、義隆四十一歳の時です。
西の京都
戦争を避けたと言うだけあって、お膝元の山口は非常に発展した町並みだったと言います。
越前朝倉氏でも義景の時代は平和で、町が発展したと言われていますし、同じような事情でしょう。
義隆は海上交易を盛んに行い、明や西洋からの技術を積極的に取り入れました。
後にこの地では、フランシスコ・ザビエルに布教の許可が与えられます。
実は一度ザビエルは無礼者として追い返されたことがあるのですが、二度目の拝謁の際には礼を正し、様々な贈り物を用意しました。
その中にはメガネもあったようです。
どうやら、このメガネが日本で最古のメガネのようで、おそらくは、最初にメガネをかけた日本人も義隆だったと思われます。
荒廃した京に代わって発展した山口も越前も、戦争をする気のない大名が統治していました。
戦国時代に町を発展させるには、そのくらい極端な君主を持たないと無理かもしれません。
織田信長もまた交易に力を入れ、商業政策を重視しましたが、方向性は違えども極端な人物です。
もう少し義隆にバランス感覚があったら、戦争に対する嫌悪感からではなく、戦略として内政に力を入れる時期という立場であったなら、あるいは歴史に偉大な人物として名を残せたかもしれません。
大内義隆 辞世の句です。
討つ者も 討たるる者も 諸ともに 如露亦如電 応作如是観
- 武田義信 辞世の句です。
- 水野忠邦 辞世の句です。
- 黒田官兵衛 辞世の句です。
- 波多野秀治 辞世の句です。
- 別所長治 辞世の句です。
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- 細川ガラシャ 辞世の句です。
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- 武田勝頼 辞世の句です。
- 保科正俊 辞世の句です。
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