真田信繁 辞世の句です。

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戦国武将 辞世の句
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定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候。我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候。

大坂夏の陣直前の3月19日に書かれた小山田茂誠に送った手紙の一節です。明日のこともどうなるかはわかりません。私たちはこの世にいないものと考えてくださいと親族に伝えています。
戦いに挑む信繁の心情が表れています。真田隊はいつでも死ぬ覚悟を決めていました。大坂夏の陣が始まると後藤又兵衛や木村重成など、豊臣方の主要な武将が激戦の末に戦死していきます。徳川軍の猛攻に対して豊臣方の毛利勝永や大野治房が正面から戦うと、信繁は家康の本陣に突っ込む行動をとりました。
信繁は獅子奮迅の働きで家康の本陣まで食い込んでいきます。家康に自害を覚悟させたほど追い詰めますが、あと一歩のところで力尽きました。死を覚悟した突撃によって敗軍の将でありながら後世に名を残します。
自分が輝ける場所はどこだろうと考えたことはありませんか。仮に今の場所でうまくいかないことがあっても、他の場所には輝ける場所があるかもしれません。自分の良さを発揮できる場所で、自己肯定感を高められる場所を見つけること。そのきっかけは人によってさまざまです。
自分の良さを発揮できる場所を偶然に見つけることができた人。
長い時間をかけて努力の末にその場所に辿り着いた人。
得意分野が仕事と一致している人。
仕事や立場を変えることで力を発揮できた人。
全く違う業種で別人のように大活躍をする人。
社長、上司、同僚、部下、会社が変わっても順応する人

など、自分の輝ける場所は探すことをあきらめない限り必ずあります。
自分が輝ける場所がないと思っている人は、自分の適性がわからなくて自分の長所を把握していないだけです。
自分の長所を考えても、よくわからない人は周りの人から褒められたり、認められたりしたことを思い出してみましょう。自分では気がつかなかった才能に気づくことがあります。また、自分ではできないと思っていても、才能や能力があると判断してくれてチャンスを与えてくれる人との出逢いが人生を変えていきます。
九度山で幽閉の身となって四十代半ばとなっていた信繁は、歴史に名を残すような武勲や業績もないままでした。幽閉から十四年が経ち、大坂城からの使者から要請を受けて信繁は決起します。いつ輝くチャンスが訪れるのかはわかりません。チャンスを活かすために日頃から準備は大切です。

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