生涯無傷の猛将、最期の叫び ~本多忠勝 辞世の句に寄せて~

戦国武将 辞世の句

戦乱の世にあって、その武勇を天下に轟かせた英雄たちがいます。彼らが遺した辞世の句は、時に激しく、時に静かに、その魂の在り様を私たちに伝えます。今回は、徳川家康を支え、「戦国最強」とも謳われた武将、本多忠勝の最期の言葉に光を当てます。

死にともな 嗚呼死にともな 死にともな 深きご恩の君を思えば

生涯五十数度の合戦でかすり傷一つ負わなかったとされる伝説の猛将が、なぜこれほどまでに生への執着を見せるような句を遺したのでしょうか。彼の輝かしい戦歴と共に、その真意を探ってみましょう。

「家康に過ぎたるもの」と呼ばれた武勇

三河武士の誇り

本多忠勝は、徳川家(当時は松平家)が本拠とした三河国の、古くから仕える譜代家臣の家に生まれました。幼い頃から徳川家康に仕え、十三歳という若さで初陣を飾ります。十五歳の時には、叔父が手柄を譲ろうとしたにも関わらず、「他人の力を借りて手柄を立てるなど、武士の誉れではない」と、自ら敵陣に切り込み、敵将の首を挙げるほどの気骨を見せました。その勇猛さと実直さを認めた家康は、「ただ、勝つのみ」との願いを込めて「忠勝」の名を与えたと言われています。

若くしてその才能を開花させた忠勝は、榊原康政らと共に、家康直属の精鋭部隊である旗本先手役に抜擢され、徳川家の中核を担う武将へと成長していきます。

戦場を駆ける「蜻蛉切」

忠勝の武勇を語る上で欠かせないのが、その圧倒的な戦歴と装備です。生涯で五十数回もの合戦に出陣しながら、ただの一度も傷を負わなかったという伝説は、彼の卓越した武技と強運を物語っています。愛用した槍「蜻蛉切(とんぼきり)」は、穂先に止まった蜻蛉が真っ二つになったという逸話を持つ名槍。これを軽々と振り回し、敵陣を蹂躙する姿は、敵味方双方から畏敬の念を集めました。鹿の角を模した兜や、黒糸威胴丸具足(くろいとおどしどうまるぐそく)といった特徴的な武具も、彼の存在感を際立たせていました。

その武勇は数々の戦で証明されています。武田信玄との「一言坂の戦い」では、圧倒的な兵力差の中、殿(しんがり)を務めて家康本隊を見事に撤退させ、敵将である信玄からも賞賛されました。「姉川の戦い」では、劣勢の徳川軍の中で単騎敵陣に突撃し、それを救おうとした家康軍の反撃のきっかけを作るという離れ業を演じ、織田信長に「花も実も兼ね備えた勇士」とまで言わしめました。

主君への絶対的な忠義

忠勝の強さは、単なる個人の武勇に留まりません。彼の行動原理の中心には、常に主君・徳川家康への絶対的な忠誠心がありました。本能寺の変の後、堺で孤立し自害しようとした家康を諌め、危険な伊賀越えを進言し、無事に三河岡崎城まで送り届けたのは、忠勝の功績です。「小牧・長久手の戦い」では、わずかな手勢で豊臣秀吉の大軍の進軍を食い止めるという驚くべき活躍を見せ、秀吉自身に「東国無双の本多忠勝」と称賛されました。

その活躍ぶりは、「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の首(忠勝の兜)に本多平八(忠勝の通称)」という落首(風刺や揶揄を込めた匿名の歌)が詠まれるほど、当時の人々にも広く知れ渡っていました。これは、主君である家康をも凌ぐほどの存在感を放っていたことの証左と言えるでしょう。

辞世の句に込められた、偽らざる心

「死にともな 嗚呼死にともな 死にともな」

生涯無傷を誇った猛将が、なぜこれほどまでに「死にたくない」と繰り返すのか。一見すると、死への恐怖や生への執着のように聞こえるかもしれません。しかし、続く下の句を読むと、その意味合いは大きく変わってきます。

「深きご恩の君を思えば」

この句の核心は、後半の「深きご恩の君」、すなわち主君・徳川家康への想いにあります。忠勝は、死ぬこと自体が怖いのではなく、「家康公から受けたあまりにも深いご恩を思うと、このまま死んでしまうことがあまりにも心残りで、死にきれない」と嘆いているのです。幼い頃から自分を見出し、重用し、数々の活躍の場を与えてくれた家康への感謝の念が、死の間際にあっても彼の心を占めていたことがうかがえます。

生涯をかけて忠義を尽くしてきた主君への、最後の、そして最大の感謝の表明。それは、戦場での勇猛さとは対照的な、非常に人間的で、深い情愛に満ちた言葉と言えるでしょう。歴戦の勇士が見せた、偽らざる忠誠心の叫びなのです。

受けた恩を胸に刻む

本多忠勝の辞世の句は、私たちに「恩義」の大切さを改めて教えてくれます。人から受けた親切や助け、育ててもらった恩を忘れずに、常に感謝の気持ちを持ち続けること。忠勝の生き様は、損得を超えた深い人間関係こそが、人を強くし、人生を豊かにすることを示唆しています。彼の「死にたくない」という言葉は、恩返しをしたいという強い思いの裏返しなのです。

一つの道に生涯を捧げるということ

家康に仕え、その天下取りのために生涯を捧げた忠勝。彼の生き方は、一つの信念や目標、あるいは特定の人物に対して、全身全霊で尽くすことの尊さを物語っています。移り変わりが激しく、多様な価値観が認められる現代社会において、忠勝のような一途な生き方は、私たち自身の「軸」となるものは何かを問いかけてきます。

強さとは何か

「戦国最強」「生涯無傷」といった伝説を持つ忠勝ですが、その最期の言葉は、驚くほど人間味にあふれています。本当の強さとは、単に物理的な力や、傷を負わないことだけではありません。深い感謝の念を持ち、他者を思いやる心、そして自らの信念を貫く精神的な強靭さこそが、真の強さを形作るのではないでしょうか。忠勝の辞世の句は、そのことを静かに教えてくれます。

結び

「死にともな 嗚呼死にともな 死にともな 深きご恩の君を思えば」。本多忠勝が遺したこの句は、戦国の世を駆け抜けた猛将の、主君への限りない感謝と忠誠心の表れです。彼の揺るぎない生き様と、最期に吐露された偽らざる心情は、時代を超えて私たちの胸を打ちます。

この記事を読んでいただきありがとうございました。

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