戦国武将 辞世の句

真田信繁 辞世の句です。

定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候。我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候。 大坂夏の陣直前の3月19日に書かれた小山田茂誠に送った手紙の一節です。明日のこともどうなるかはわかりません。私たちはこの世にいないものと...
戦国武将の名言

真田信之の名言です。

一番首は自分一人が手柄を立てようという行為だ。だが一番乗りは自分の属する軍全体に勝ちをもたらそうとする行為だ。だから身構えが違う。一番首は敵一人の戦い方に目を向けるが、一番乗りはどこから城壁に取りついて攻めれば、味方を引き入れることができる...
戦国武将の名言

真田信繁(幸村)の名言です。其の三

いざとなれば損得を度外視できるその性根、世のなかに、それを持つ人間ほど怖い相手はない 信繁は恩義のある豊臣家を守るべく大坂の陣の劣勢下でも孤軍奮闘したことは有名です。信繁は寡兵でもって徳川家康の本陣に迫り窮地に立たせます。真田の武名を残した...
戦国武将の名言

真田信繁(幸村)名言です。其の二

関東勢百万も候へ、男は一人もいなく候 大坂夏の陣、道明寺の戦いでの名言です。 大阪冬の陣以降、大阪城の堀を埋められた豊臣方は、籠城することが困難になっていました。後藤基次は城を出て徳川軍を迎え撃つことを主張。 大和方面から進軍してくる徳川軍...
戦国武将の名言

真田信繁(幸村)の名言です。其の一

部下ほど難しい存在はない 人材育成には、[ほめる」「叱る」「教える」ことが必須です。管理職の使命は、部下が成果を上げられるように導くことです。 職場のモチベーションは、上司の資質に左右されることが多く、それだけで部下のやる気を萎えさせてしま...
戦国武将 辞世の句

足利義輝 辞世の句です。

足利義輝は、室町幕府十三代の将軍です。1536年に、父である十二代義晴の子として生まれました。生まれた後には近衛尚通の猶子(ゆうし・親戚関係にある人や他人と親子の関係になる制度)になりました。 子どもの頃から京の地にあって、義輝も政治的ない...
剣豪の紹介

上泉信綱の名言です。

人は天地の塵ぞ。塵なればこそのいのちを思いきわめ、塵なればこその重さを知れ。 塵となりつくして天地に呼吸せよ。池波正太郎「剣の天地」より 上泉信綱は上野国に、大胡城主・秀継の次男として生を受けたとされています。幼名を秀長と言い、その後秀綱と...
剣豪の紹介

塚原卜伝の逸話です。

塚原卜伝は常陸の国(現在の茨城県)の鹿島で生まれた剣豪です。父の名は吉川左京覚賢(よしかわさきょうあきたか)で、卜部氏でありました。この卜部氏というのは、鹿島神宮に使えていた神官でした。そしてこの卜部氏は、古くから鹿島の土地に伝わる『鹿島の...
幕末の人物

岩崎弥太郎の名言集です。

岩崎弥太郎といえば、武士から実業家に転身して、三菱の創業者として非常に有名です。大企業となった三菱ですが、そのルーツとは。 岩崎弥太郎は1835年、土佐に生まれます。幼いころから文才を発揮して、頭脳明晰だったようです。 十二歳ときには儒者小...
幕末の人物

勝海舟の名言集です。

勝海舟というと信念と行動の男という印象があるかもしれません。 1823年、江戸本亀沢町にて生まれます。曽祖父は越後生まれで盲目ながらも、江戸で高利貸しとして成功。巨万の富を築きます。海舟も幼き頃から裕福な家庭で育ちました。幼少期より剣術を学...