戦国武将の名言

戦国武将の名言

後藤又兵衛の名言です。

次勝てばそれでよし ビジネスは相手があってのことなので、勝ち続けるということはありえません。勝つこともあれば、負けることもあります。一時の勝敗の結果に神経をすり減らしていては、疲れて果て、仕事の本質も見失います。自分が負けを認めないうちは負...
戦国武将の名言

北条早雲の名言です。

少しでも暇があらば、物の本を見、文字のある物を懐に入れて、常に人目を忍んで見るようにせよ。 後北条氏の祖で、戦国大名の先駆けとも言われる北条早雲(伊勢 盛時)の名言です。早雲は大器晩成タイプの武将で人生五十年が当たり前だった時代に、五十七歳...
戦国武将の名言

長宗我部元親 の名言です。

一芸に熟達せよ 多芸を欲張るものは巧みならず 槍、刀、弓、馬など武士の心得るべき技が多いが、いくつもの技を身につけようとしても中途半端になってしまう。一つの技に秀でる者のほうが役に立つといった意味です。 幼少の頃は色白でおとなしく、軟弱な性...
戦国武将の名言

鍋島直茂の名言です。其の二

上下によらず、時節がくれば家は崩れるものである。その時、崩すまいとすれば、汚く崩れる。だから潔く崩すが良い。そうすればあるいは残る事もあろう。 売上高が減少傾向にあるのなら、先を見据えた計画作成が必要になります。だらだらと続けて少しずつ追い...
戦国武将の名言

鍋島直茂の名言です。其の一

「我が気に入らぬことが、我ためになるものなり」 鍋島直茂は肥前国を根拠地として九州に割拠し、「肥前の熊」と呼ばれた竜造寺隆信の重臣です。 知略と統率力で、強大な豊後国の大友氏、薩摩国の島津氏らと並ぶ勢力までに主家を導きました。大友氏が竜造寺...
戦国武将の名言

細川忠興の名言です。

「齢八十にして、親父の云うことようやく心得たり」 足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時の有力者に仕えて戦国の世を生き抜き、肥後五十二万石の基礎を築きました。父・幽斎と同じく、教養人・茶人としても有名な、細川忠興の名言です。 正室は明...
戦国武将の名言

佐々成政の名言です。

馬廻からキャリアをスタートさせて、数々の戦功あげて信長の親衛隊である「黒母衣衆」に抜擢された武将です。厳冬期の北アルプス登攀「さらさら越え」などの伝説を数多く持つ猛将、佐々成政の名言です。 信長が朝倉義景、浅井久政・長政父子を滅ぼしたことを...
戦国武将の名言

加藤清正の名言です。

上一人の気持ちは、下万人に通ずる。 豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。知勇合わせ持つ名将として知られ、朝鮮出兵においても先鋒を務めた。加藤清正の名言です。 朝鮮出兵の際、仲間が清正の陣地を訪れると、占領した地域にもう敵はいない...
戦国武将の名言

島津義久の名言です。其の一

「良いことの五つは真似しやすく、悪いことの一つはなかなかやめられない」 当時九州最大の勢力を誇った豊後の大友氏、九州西部の有力大名である龍造寺氏に打ち勝ち、九州統一目前まで勢力を広げ、島津氏を大きく躍進させた人物です。そんな島津義久の名言で...
戦国武将の名言

立花宗茂の名言です。

戦いは兵が多いか少ないかで決まるのでなく、一つにまとまっているかどうかである。人数が多いからといって勝利できるものではない。 関ヶ原で西軍につき、旧領に返り咲いた唯一人の武将 立花宗茂の名言です。 「東に本田忠勝、西に立花宗茂あり」と謳われ...