雨と月見団子

戦国武将 辞世の句

今川氏親 辞世の句です。

有名な今川義元の父に当たります。また、北条早雲の甥でもあり、後北条氏躍進の第一歩を支援した人物でもありますので、後世に与えた影響も計り知れません。 誕生から家督相続まで 1470年代前半に誕生したとみられています。父は今川義忠。 義忠は応仁...
戦国武将の名言

水野勝成の名言です。

すべての士に、身分の貴い、賤しいはない。主君となり、従者となって、互いに頼み合ってこそ、世は立つ習いである。 だから、大事の時は身を捨てて忠義をなすのだ。汝らは我をば親と思われよ。我は汝らを子と思わん。 福山藩初代藩主。「鬼日向」の異名を持...
幕末の人物

ジュール・ブリュネ

幕府の軍制改革を助けるためにフランスから送られてきた軍事顧問です。フランス政府の命令に背いてまで旧幕府軍と行動を共にし、五稜郭まで参戦しました。 来日 1866年、幕府軍は第二次長州征伐で手痛い敗北を喫しました。将軍となった徳川慶喜は、旧態...
戦国武将の名言

雑賀孫一のエピソードです。

雑賀衆を味方にすれば必ず勝ち、敵にすれば必ず負ける 雑賀衆は紀伊半島の南西部を支配していた勢力で戦国最強の鉄砲傭兵集団 「雑賀衆」と呼ばれる傭兵集団です。雑賀孫一は雑賀衆の棟梁や有力者が代々継承する通し名のようなもので、複数の武将が雑賀孫一...
幕末の人物

伊庭八郎の名言集です。

隻腕の剣士と知られ、重傷を負っても片腕になっても闘志を失わなかった武人です。武士の中でも、剣術道場師範の血を引く、剣術の名門の出でした。 活躍を始めるまで 1844年、伊庭秀業の子として誕生しました。秀業は江戸四大道場の一つ、練武館を運営し...
戦国武将の名言

柴田勝家の名言です。

城の水、わずかにこればかりなり。兵士の渇死は疑いない。いまだ力の疲れを知らないうちに必死の戦いをしようではないか。 勝家は信長の重臣。先駆けに強い武勇絶倫の猛将です。信長の朝倉氏攻めの際、水の調達が不便な長光寺城に籠城した柴田軍は、朝倉氏と...
戦国武将の名言

島津忠良の名言です。

善くも悪しくも善なりなせばなす 心よこころ恥よおそれよ 島津忠良が孫の義久に大将としての心得を書いた手紙に送りました。手紙の冒頭に書かれている歌です。 良いことも悪いことも良いことだと思えばそうなる。似た言葉で「ものは考えよう」ということわ...
サブスク

大河ドラマファン必見!見逃した作品を楽しむ方法とおすすめ配信サービスは?

本ページはプロモーションが含まれています。 大河ドラマは1年にわたって放送されるため、中には見逃してしまう回もあるのではないでしょうか? 動画配信サービスでは、PC・スマートフォン・タブレット・TVで、見逃してしまった作品や、もう一度見たい...
幕末の人物

徳川斉昭の名言です。

藩主としては、最も過激な攘夷思想の持ち主でした。道半ばで没しますが、その思想は幕末全体に影響を与えています。 誕生から家督相続まで 1800年、水戸藩主徳川治紀の三男として生まれました。水戸藩には水戸学があり、将軍家の一門でありながら、幕府...
幕末の人物

藤田東湖の名言集です。

徳川斉昭に仕えた水戸藩士であり、その活躍と思想を補佐した人物です。黒船来航から間もない時期に亡くなってしまったために、大きな活躍の場は与えられませんでした。 出自 1806年、水戸学の学者であった藤田幽谷の次男として誕生しました。兄が早世し...