古は門司の夢の月、いざ阿弥陀寺の海へ ~木付統直、異郷に散った忠臣の望郷歌~

戦国武将 辞世の句

戦国時代、九州にその名を轟かせた名門・大友氏。その激動の時代を、忠臣として支え続けた武将がいました。木付統直(きつき むねなお)。主家の栄光と衰退、そして滅亡という悲運に立ち会い、最後は豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍し、異国の地で非業の最期を遂げた人物です。

故郷を遠く離れた朝鮮の地で、主君の失態の責任を負う形で命を絶った(あるいは病に倒れた)とされる統直。その胸中には、どのような思いが去来していたのでしょうか。遺された辞世の句は、過ぎ去りし日々への尽きせぬ郷愁と、死を受け入れ西方浄土へ向かおうとする、静かな決意を物語っています。

古(いにしえ)を 慕うも門司(もじ)の 夢の月 いざ入りてまし 阿弥陀寺(あみだじ)の海

大友家に尽くした生涯:木付統直とは

木付統直は、豊後国(現在の大分県)の有力国人であり、大友氏の庶流でもある木付氏の当主です。木付氏は国東半島に拠点を持ち、代々大友宗家に忠実に仕えてきました。統直も、主君である大友宗麟(そうりん)、そしてその子・義統(よしむね)の二代にわたり、家臣として忠誠を尽くしました。

統直が生きた時代は、大友氏にとって栄光と没落が交錯する激動の時期でした。キリシタン大名としても知られる宗麟の代には、九州六ヶ国の守護職を兼ねるなど、九州北部に広大な版図を築き上げましたが、薩摩(鹿児島県)の島津氏との耳川の戦い(1578年)での大敗北を機に、その勢力には急速に陰りが見え始めます。跡を継いだ義統の代には、さらに衰退が進み、豊臣秀吉の九州平定によってかろうじて豊後の領地は安堵されたものの、かつての威勢は失われていました。

そのような困難な状況の中でも、木付統直は大友家を支え続けました。そして文禄元年(1592年)、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄の役)が始まると、統直は主君・大友義統に従い、一族や家臣を率いて海を渡り、朝鮮半島へと赴きます。大友軍は、秀吉の命令により、小西行長らと共に平壌方面まで進軍しました。故郷を遠く離れ、異国での厳しい戦いに身を投じることになったのです。

異郷での無念の最期

しかし、朝鮮での戦いは、大友氏にとって、そして木付統直にとって、決定的な悲劇をもたらします。文禄2年(1593年)、明の援軍の南下など戦況が悪化する中、大友義統は持ち場であった鳳山城(ほうざんじょう、現在の北朝鮮黄海北道)から、総大将である秀吉の許可を得ずに無断で撤退するという、軍律違反、すなわち敵前逃亡の失態を犯してしまいます。

この報告を受けた秀吉は激怒し、義統に対して厳しい処分を下します。名門・大友氏は改易、すなわち領地である豊後国を全て没収され、大名としての地位を失うことになりました。義統自身は死罪こそ免れたものの、幽閉の身となります。

主君の許されざる失態は、家臣である統直の運命にも暗い影を落としました。統直が具体的にどのようにして最期を迎えたかについては諸説ありますが、主君・義統の不名誉な行動の責任を負う形で、朝鮮の陣中にて自害したという説が有力視されています(過労や心労による病死説もあり)。いずれにせよ、故郷の土を踏むことなく、望郷の念を抱きながら、異国の地で無念の死を遂げたことは間違いありません。

辞世の句に込められた:過去への郷愁と浄土への憧憬

故郷を遠く離れた朝鮮の地で、主家の改易という悲報に接し、自らの死を覚悟した木付統直。その胸に去来した思いが、この辞世の句に凝縮されています。「古へを 慕うも門司の 夢の月 いざ入りてまし 阿弥陀寺の海」。

「過ぎ去った古き良き時代(大友氏が栄光に輝いていた頃や、故郷・豊後国東での平和な日々)をどれほど懐かしく思い出しても、それはもう、故郷への玄関口である門司の海峡に浮かぶ月のように、美しくはかない幻(夢の月)に過ぎないのだ。さあ、(現世への未練や執着を断ち切り)阿弥陀如来がいらっしゃる西方浄土という広大で安らかな世界(阿弥陀寺の海)へ、入っていこうではないか」。

前半の「古を慕うも門司の夢の月」には、失われた栄光や二度と帰れない故郷への尽きることのない郷愁が、切々と滲み出ています。「門司」という具体的な地名は、朝鮮へ渡る際に通過したであろう関門海峡を指し、日本本土への強い望郷の念をかき立てます。しかし、統直はその輝かしい過去も、もはや手の届かない「夢の月」であると、厳しい現実を冷静に見つめ、諦観の境地に至っています。

そして後半、「いざ入りてまし 阿弥陀寺の海」では、死への恐怖や異郷で果てる無念を乗り越え、来世、すなわち阿弥陀如来の西方浄土に救いと希望を見出そうとしています。「阿弥陀寺」は、下関に実在し、壇ノ浦の戦いで滅んだ平家一門や安徳天皇を祀る寺院です。この名を詠み込むことで、統直は自らの悲劇的な死を、歴史上の有名な悲劇や、阿弥陀如来による救済の物語へと重ね合わせ、心を昇華させようとしたのかもしれません。「海」という言葉は、浄土の無限の広がりや慈悲深さ、あるいは死という未知の世界の深淵さを表しているとも考えられます。

理不尽な運命に翻弄され、望郷の念に駆られながらも、過去への執着を断ち切り、最後は仏の救済に安らぎを見出そうとした、統直の敬虔で潔い心境が、美しい情景と共に伝わってくるようです。

異郷の地で非業の最期を遂げた木付統直の生涯と辞世の句は、現代を生きる私たちに、人生の様々な局面における心の持ちようを教えてくれます。

  • 過去との向き合い方: 輝かしい過去や楽しかった思い出は、時に私たちを慰めてくれますが、それに囚われすぎると現在や未来を生きる力を失うことがあります。統直のように、過去は大切な思い出(夢の月)として心に留めつつも、それとは区切りをつけ、今ここにある現実、そしてこれから向かうべき先を見据える強さが必要です。
  • 理不尽な状況への対処: 自分の責任ではないことで困難な状況に陥ったり、他者の失敗の責任を負わされたりすることは、現代社会でも起こり得ます。そうした理不尽な状況に直面したとき、怒りや絶望にただ沈むだけでなく、統直のように心の平静を保ち、別の価値観(信仰、希望、あるいは自分なりの哲学)に救いや意味を見出すという対処法もあります。
  • 希望を見出す力: どんなに絶望的に見える状況の中にあっても、人は希望を見出すことができます。統直にとってそれは西方浄土という信仰の世界でしたが、私たちにとっても、未来への目標、信じる価値観、愛する人との繋がり、あるいは美しい自然などが、困難な時期を乗り越えるための希望の光となり得ます。
  • 望郷の念と故郷の価値: 故郷を離れて暮らす人々にとって、統直の句に込められた望郷の念は、深い共感を呼ぶでしょう。自分のルーツである故郷や、そこで育まれた人間関係、文化を大切に思う気持ちは、人生を豊かにし、時に心の支えとなる重要な要素です。

主家への忠誠を貫き、異国の戦場で散った木付統直。その無念の最期に詠まれた辞世の句は、過去への切ない郷愁と、死を受け入れ浄土へ向かおうとする静かな決意が、美しい言葉の中に溶け合っています。統直の悲運の生涯と、最後にたどり着いた安らかな境地は、私たちの心に深く響き、人生の儚さと、その中で見出す希望について考えさせられます。

この記事を読んでいただきありがとうございました。

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