戦国の世に、「忠臣」として語り継がれる武将は数多くいますが、その最期の言葉にまで主君への深い思いやりを込めた人物がいます。蒲生大膳(がもう だいぜん)、あるいは蒲生郷舎(さといえ)、蒲生頼郷(よりさと)、横山喜内(よこやま きない)など、複数の名で知られるこの武将は、智勇兼備の名将・蒲生氏郷(うじさと)に仕え、その信頼厚き重臣でした。
しかし、関ヶ原の戦いという時代の大きな転換期において、蒲生大膳は複雑な立場に置かれ、最後は処刑されるという運命を辿ります。死を目前にしたその時、大膳が遺したとされる辞世の句は、自らの死の恐怖よりも、後に残る主君を気遣う、驚くほどに温かく、そして潔いものでした。
まてしばし 我ぞ渉りて 三瀬川 浅み深みも 君に知らせん
名将・蒲生氏郷を支えた忠臣:蒲生大膳(郷舎)
蒲生大膳(郷舎)は、近江国(現在の滋賀県)の出身とされ、若き日の蒲生氏郷に見出されて家臣となりました。もとは横山喜内と名乗っていましたが、その忠勤と能力を高く評価され、蒲生姓と「郷」の一字(氏郷の郷)を与えられたと言われています。これは、主君からの絶大な信頼の証でした。
大膳は、蒲生氏郷が織田信長、豊臣秀吉に仕えて活躍した数々の戦に従軍し、武勇を発揮しました。特に、小田原征伐や奥州仕置など、氏郷が会津若松へ移封された後の重要な局面で、重臣として蒲生家を支えました。
しかし、文禄4年(1595年)に名君・氏郷が若くして亡くなると、蒲生家の状況は一変します。跡を継いだ蒲生秀行(ひでゆき)はまだ若く、家臣団の対立や、秀吉による会津120万石から宇都宮18万石への減転封など、蒲生家は苦難の時期を迎えます。蒲生大膳(郷舎)は、この困難な時期にあっても、先代からの重臣として、若き主君・秀行を支え続けました。
関ヶ原、そして最期の時
慶長5年(1600年)、天下分け目の関ヶ原の戦いが勃発します。主君・蒲生秀行は、徳川家康率いる東軍に与しました。しかし、この時、蒲生大膳(郷舎)がどのような行動を取ったかについては、記録が錯綜しており、はっきりしません。一説には、石田三成方の西軍に加担し、会津の上杉景勝と連携して旧領回復を図ろうとしたとも、あるいは東軍として行動していたものの、西軍への内通を疑われたとも言われています。
いずれにせよ、関ヶ原の戦いは東軍の勝利に終わり、蒲生大膳(郷舎)は敗軍の将として捕らえられました。そして、同年10月1日、石田三成らと共に京都の六条河原において斬首されることになったのです。主君が勝利した側(東軍)にいるにも関わらず、家臣である大膳が敗軍の将として処刑されるという、非常に皮肉で複雑な状況下での最期でした。
辞世の句に込められた心境:主君への深い思いやり
処刑を目前にし、蒲生大膳(郷舎)が詠んだとされるのが、「まてしばし 我ぞ渉りて 三瀬川 浅み深みも 君に知らせん」という句です。
「(主君・秀行様)どうか、しばしお待ちください。この私めが先に、あの世とこの世の境にある三瀬川(三途の川)を渡って、その川の浅い所も深い所も(つまり、あの世の様子や、死出の旅路の困難さなどを)、後から来られるあなた様のために、詳しくお知らせいたしましょう」。
この句には、自らの死に対する恐怖や無念といった感情よりも、後に残される主君・蒲生秀行への深い思いやりと忠誠心が溢れています。死出の旅路という未知の世界へ、自分が先に偵察に行き、主君が安心して渡れるように情報を伝えよう、というのです。なんと健気で、細やかな配慮でしょうか。
「三瀬川の浅み深みも」という具体的な表現には、死への不安を和らげようとする優しさ、あるいは死すらも主君への奉公の機会と捉える、武士としての矜持が感じられます。たとえ生前、関ヶ原で主君と異なる道を歩んだ(あるいはそう見なされた)としても、大膳の心の中には、最期の瞬間まで、若き主君・秀行への揺るぎない忠義と愛情があったことを、この句は雄弁に物語っています。
蒲生大膳(郷舎)の最期の言葉は、時代を超えて、人としての心のあり方について、私たちに多くのことを教えてくれます。
- 他者を思いやる心: 自分の命が終わるその瞬間にさえ、他者(主君)のことを気遣い、その未来を案じる。この深い思いやりは、人間関係において最も大切なことの一つではないでしょうか。
- 忠誠心と献身: 主君のために身を捧げるという武士の忠誠心は、現代社会とは異なりますが、自分が属する組織や、信頼するリーダー、あるいは家族や友人のために、誠実に尽くすという姿勢は、今も変わらず尊いものです。
- 死への向き合い方: 死を単なる恐怖の対象としてではなく、後に続く人のために何かを残す機会と捉える。蒲生大膳の潔い態度は、死生観について深く考えさせるとともに、残される人への配慮という視点を与えてくれます。
- 先駆者の役割: 未知の世界へ先に進む者が、後に続く者のために道筋を示す。これは、死後の世界に限らず、新しい分野への挑戦や、困難な状況を切り開く際にも通じる、リーダーシップやフォロワーシップにおける重要な役割です。
名将・蒲生氏郷の薫陶を受け、若き主君・秀行を支えながらも、時代の波に翻弄され、悲劇的な最期を遂げた蒲生大膳(郷舎)。しかし、その最後の言葉は、忠臣の鑑とも言うべき、主君への限りない思いやりに満ちています。「三瀬川の道案内」を申し出たその温かな心は、戦国の世に咲いた、健気で美しい花のように、私たちの胸を打ちます。
この記事を読んでいただきありがとうございました。
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