戦国武将 辞世の句

井伊直政 辞世の句です。

徳川四天王の一人です。井伊直政は、1561年に今川家の名門譜代、井伊直親の子として生まれました。幼名を虎松といいます。井伊直親の長男。祖父・直盛は今川義元に仕えて合戦で戦死。父・直親は、直正が二歳の時に謀反の嫌疑をかけられ今川氏真に誅殺され...
戦国武将 辞世の句

本多忠勝 辞世の句です。

本多忠勝は、松平広忠家臣本多忠高の長男として三河に生まれました。幼名を平八郎といいます。三河譜代の最古参の生まれで幼い頃から徳川家康に仕え、十三歳で初陣を飾り初首は十五歳の時です。今川氏真の武将の小原備前と戦ったとき、叔父の忠真が倒した敵の...
戦国武将 辞世の句

清水宗治 辞世の句です。

「浮世をば今こそ渡れ武士(もののふ)の名を高松の苔に残して」秀吉の高松城水攻めで城兵の命と引き換えに、また恩義のある毛利家に報いるため自刃した清水宗治の辞世の句です。水上に舟を漕ぎ出し、そして切腹の前にひとさし舞ったのち潔く腹を切り、介錯人...
戦国武将の名言

本多忠勝の名言です。其の三

槍は自分の力に合うものが一番戦国時代を通して名槍として語り継がれた天下三名槍と呼ばれる槍があります。天下三名槍「蜻蛉切」(とんぼきり)穂先に止まった蜻蛉(とんぼ)が真っ二つになったという逸話からこの名が付き、「天下三名槍」の一つに数えられて...
戦国武将の名言

本多忠勝の名言です。其の二

わが本多の家人は、志からではなく、見た目の形から、武士の正道に入るべし。普段の生活の中で、身だしなみがいつもだらしなく、相手に不快感を与えている場合は、仕事のやる気があったとしても、外見が相手に与える影響は、話す言葉や取る行動以上に大きいこ...
戦国武将の名言

本多忠勝の名言です。其の一

思慮のある者も、思慮のない者も功名を立てる。思慮のある者は兵を指揮して大きな功名を立てる。だが、思慮のない者は槍一本の功名であって、大きなことはできぬ。徳川家家臣。徳川四天王の一人。本多忠勝の名言です。本多平八郎忠勝は、その武勇から『家康に...
戦国武将の名言

藤堂高虎の名言です。其の四

己の立場を明確にできない者こそ、いざというときに一番頼りにならない。よくみかける日本人特有の処世術に周りの様子をみながら態度を変える。事なかれ主義。ものごとを明確に言わない。いつも逃げ道を用意している。ものごとを中途半端のままにしている。質...
戦国武将の名言

藤堂高虎の名言です。其の三

我が軍のいたらぬところを教えてください。関ヶ原の戦いが東軍勝利で終わり石田三成が捕えられると、大津本陣の門前に座らされた三成に多くの大名たちは侮蔑した態度をとりました。三成の軍勢と激しい戦いを繰り広げていた高虎が三成に近づくと、「この度の合...
戦国武将の名言

藤堂高虎の名言です。其の二

主人に指図はならじ私自身は社長が決めたことは、実行する以外ないと思っています。社長が目標として掲げたことは、従業員も同じ目的意識を持たなければなりません。社長は経営者です。社長は会社の未来や社員の生活を一身に背負っている経営者としての立場が...
戦国武将の名言

藤堂高虎の名言です。其の一

つねに良き友と咄(はな)し、異見を請け申すべく候。善悪は友によると、聞こえ候事。築城の名手として有名な藤堂高虎の名言です。常に良き友と付き合い、異なった考えでも受け入れるようにすべきである。人はその友達によって、良くも悪くもなるのである。と...