雨と月見団子

戦国武将の名言

武田信玄の名言です。其の四

人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり 信玄は、人の力がないと城があっても役に立たない。信頼できる「人」の集まりは 強固な「城」に匹敵すると考えていたそうです。 人は、情をかけると味方になる一方、権力で抑えつけれたり不信感を与える...
戦国武将の名言

武田信玄の名言です。其の三

老人には経験という宝物がある。 若いころはかなり武名を高めた武将に信玄が「私の話し相手になってもらえませんか」とお願いすると、年老いた武将は「私は年をとって隠居した身です。もはや何もはなすことはありません」と断りましたが、信玄は「いや、そう...
戦国武将の名言

武田信玄の名言です。其の二

渋柿を切って甘柿を継ぐのは小心者のすることだ。国持ち大名にあっては、渋柿は渋柿として役に立つものだ。 渋柿は干せば干し柿として甘くなる。自国の弱みや、嫌な部下も使い方によっては良くも悪くもなるという、人はその性質に沿って使うことが大事である...
戦国武将の名言

武田信玄の名言です。其の一

百人のうち九十九人に誉められるは、善き者にあらず。 戦国時代の名将軍。武田信玄の名言です。 同じような内容で孔子の「真の善人とは、十人のうち五人がけなし、五人がほめる人物」という名言もあります。百人いれば性格や考え方、好き嫌いの好みがある中...
戦国武将 辞世の句

伊達政宗 辞世の句です。

曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く 政宗は、永禄十年、伊達輝宗の嫡子として米沢城に誕生しました 母は最上義光の妹。幼名は梵天丸。幼時に疱瘡にかかり、右目を失明します。右目を病んだ政宗は陰険な性格となっていましたが、政宗の...
戦国武将 辞世の句

豊臣秀吉 辞世の句です。

名もなき庶民から織田信長の配下になり、 清洲城の普請奉行、台所奉行などを率先して引き受けて大きな成果を挙げ頭角を現すことになります。 優れた才能を発揮し、斎藤氏と戦った際は墨俣に一夜にして城を築いたとされ、信長に重用されました。その後も数々...
戦国武将 辞世の句

井伊直政 辞世の句です。

徳川四天王の一人です。井伊直政は、1561年に今川家の名門譜代、井伊直親の子として生まれました。幼名を虎松といいます。 井伊直親の長男。祖父・直盛は今川義元に仕えて合戦で戦死。父・直親は、直正が二歳の時に謀反の嫌疑をかけられ今川氏真に誅殺さ...
戦国武将 辞世の句

本多忠勝 辞世の句です。

本多忠勝は、松平広忠家臣本多忠高の長男として三河に生まれました。幼名を平八郎といいます。 三河譜代の最古参の生まれで幼い頃から徳川家康に仕え、十三歳で初陣を飾り初首は十五歳の時です。今川氏真の武将の小原備前と戦ったとき、叔父の忠真が倒した敵...
戦国武将 辞世の句

清水宗治 辞世の句です。

「浮世をば今こそ渡れ武士(もののふ)の名を高松の苔に残して」 秀吉の高松城水攻めで城兵の命と引き換えに、また恩義のある毛利家に報いるため自刃した清水宗治の辞世の句です。 水上に舟を漕ぎ出し、そして切腹の前にひとさし舞ったのち潔く腹を切り、介...
戦国武将の名言

本多忠勝の名言です。其の三

槍は自分の力に合うものが一番 戦国時代を通して名槍として語り継がれた天下三名槍と呼ばれる槍があります。 天下三名槍 「蜻蛉切」(とんぼきり)穂先に止まった蜻蛉(とんぼ)が真っ二つになったという逸話からこの名が付き、「天下三名槍」の一つに数え...