妙玖の辞世の句|毛利家を支えた智将の妻、愛と誇りの一言

戦国武将 辞世の句

戦国時代、夫や息子たちの活躍によって歴史に名を刻んだ武将たちの影には、激動の時代を共に生き、家を支えた女性たちの存在がありました。毛利元就の正室、妙玖(みょうきゅう)もまた、そうした女性の一人です。安芸国の小豪族に過ぎなかった毛利家が、中国地方十一カ国を支配する大大名へと発展する過程で、妙玖は夫・元就を陰で支え、後に「毛利両川」と呼ばれることになる二人の息子をはじめ、子供たちの教育に心を砕きました。そんな妙玖には、その人物像と役割をよく表しているとして、ある句が伝承あるいは創作され、紹介されることがあります。今回は、その句を通して、戦国を生き抜いた賢妻、妙玖の思いに触れてみましょう。

毛利家飛躍の時代を共に

妙玖は永正13年(1516年)、安芸国の有力国人である吉川国経の娘として生まれました。若き日の毛利元就に嫁いだ頃、毛利家は周囲の有力大名に挟まれた厳しい状況にありました。しかし、妙玖は夫・元就の才能と器量を見抜き、良き理解者として、また精神的な支えとして彼を支えました。元就が家督を継ぎ、毛利家を危機から救い、勢力を拡大していく過程には、常に妙玖の存在がありました。

妙玖は、元就との間に生まれた多くの子供たち、特に次男・吉川元春と三男・小早川隆景の教育に心を砕きました。この二人の息子は、後に毛利家の重臣として元就を支え、「毛利両川(もうりりょうせん)」と呼ばれ、毛利家が中国地方の覇者となる上で不可欠な存在となります。妙玖は単に子を育てるだけでなく、家の未来を担う人材を育成するという重要な役割を果たしたのです。

残念ながら、妙玖は大永6年(1526年)に若くして病でこの世を去りますが、その死は元就にとって大きな痛手となりました。しかし、妙玖が生前に築いた毛利家内部の結束や、子供たちへの教育は、その後の毛利家の発展に大きく寄与しました。妙玖は、武力をもって直接戦うことはありませんでしたが、知恵と愛情、そして精神的な強さで毛利家という「家」を支えた、まさに見えない「柱」のような存在だったと言えるでしょう。

「家の柱」に込めた、ある思い

毛利元就を支え、子供たちを育てた妙玖には、彼女の人生観や毛利家における役割を示唆する、ある句が辞世の句として伝承あるいは創作され、紹介されることがあります。これは史実として確定している辞世ではありませんが、後世の人々が妙玖という人物を理解し、その貢献を称えるために生まれた言葉と考えられます。

伝承・創作される句:

「子を送り 夫に道を授けけり 我が名残こそ 家の柱ぞ」

(この句は毛利元就の妻・妙玖の辞世として紹介されることがありますが、創作や伝承と考えられており、史実として確定したものではありません。)

この句は、妻として、母として、そして毛利家の一員として生きた妙玖の人生を振り返り、自身の役割の大きさを静かに、しかし力強く表現しています。

句(伝承・創作)にみる、賢妻の心境

この伝承あるいは創作された句から、妙玖がどのような思いを抱いていたのか、想像を巡らせてみましょう。

  • 母として子に託した未来: 「子を送り」という言葉には、息子たち、特に「毛利両川」に毛利家の未来を託し、彼らが立派に成長して家を支えていく姿を見届けた、母としての深い愛情と満足感が込められていると考えられます。
  • 妻として夫を支えた自負: 「夫に道を授けけり」という表現からは、夫である元就の良き理解者として、時に知恵を貸し、困難な局面で進むべき道を共に考えた、妻としての自負が感じられます。元就が「謀将」として名を馳せた背景には、妙玖の賢明な助言があったのかもしれません。
  • 自身の存在価値への確信: そして「我が名残こそ 家の柱ぞ」という言葉に、自身の存在が、物理的な力ではなく、精神的な支えとして毛利家という「家」をしっかりと支えていたという、確信や願いが込められています。自分が亡くなった後も、自身の遺したものが毛利家の強固な柱であり続けることを願ったのでしょう。

この句は、もし妙玖自身が詠んだものならば、彼女が自身の生涯の役割を深く理解し、その貢献に静かな誇りを持っていたことを示唆しています。たとえ後世の創作だとしても、毛利家にとって妙玖がどれほど重要な、欠かせない存在だったのかを物語る言葉と言えるでしょう。

妙玖という女性の生涯

妙玖という女性の生涯と、彼女に伝わるこの句(創作・伝承)は、現代を生きる私たちにどのような示唆を与えてくれるでしょうか。

  • 「支える力」の重要性: 妙玖は、戦場の表舞台で活躍する夫や息子たちを、家庭の中から、精神的な面から支えました。現代社会においても、組織や家庭において、表立って活躍する人だけでなく、それを陰で支える人々の力は不可欠です。妙玖の姿は、「支える力」が持つ偉大さと重要性を教えてくれます。
  • 見えない貢献の価値: 妙玖の功績は、合戦での武功のように目に見える形では残りません。しかし、夫や子への影響、そして家全体の精神的な支えとしての貢献は、毛利家の発展に不可欠でした。これは、日常の中で行われる子育て、介護、あるいは職場で同僚をサポートすることなど、一見地味に見える「見えない貢献」が持つ、計り知れない価値を示唆しています。
  • 自身の「家の柱」となる: 「家の柱」という言葉は、物理的な家だけでなく、家族やコミュニティ、あるいは自分が属する組織における、精神的な拠り所となる存在を指すとも解釈できます。妙玖のように、自身の言動や存在そのものが、周囲の人々にとっての支えとなること、困難な状況でも揺るがない「柱」となることの大切さを教えてくれます。

毛利元就を陰から支え、毛利家の礎を築く上で重要な役割を果たした女性、妙玖。その人生と、彼女に伝わる句(創作・伝承)は、戦国の時代を生き抜いた女性たちの強さ、そして物理的な力だけではない、「支える力」の尊さを、時代を超えて私たちに語りかけてくるメッセージなのです。

この記事を読んでいただきありがとうございました。

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