戦国時代の激しい動乱は、武将たちだけでなく、仏教における悟りの世界に生きた人々の生き様にも深い影響を与えました。今回ご紹介するのは、室町時代後期から戦国時代にかけて、美濃国(現在の岐阜県)を中心に活動した臨済宗の禅僧、徹岫宗九(てっしゅうそうきゅう)です。厳しい禅の修行を通して到達した境地は、死の間際に遺された「末期の偈(まっきのげ)」と呼ばれる一句に、力強く凝縮されています。それは、乱世にあってなお揺るがなかった、禅者の峻厳(しゅんげん)な精神の表明でした。
美濃における禅の灯
徹岫宗九は、文明12年(1480年)頃の生まれとされています。詳しい出自は定かではありませんが、美濃国の出身と言われています。妙心寺(京都にある臨済宗妙心寺派の大本山)の悟渓宗頓(ごけいそうとん)に師事し、厳しい禅の修行に励みました。悟渓宗頓は、妙心寺の中でも特に厳しい禅風で知られる龍泉派の流れを汲む高僧です。
師の教えを受け継いだ徹岫宗九は、故郷である美濃に戻り、禅の教えを広めることに尽力します。現在の岐阜県可児市にある大仙寺などを開いたと伝えられています。当時の美濃は、斎藤道三などに代表される戦国大名たちがしのぎを削る、まさに戦乱の只中にありました。そのような不安定な社会情勢の中、禅宗は、武士たちの精神的な支柱となったり、あるいは人々に心の安寧をもたらしたりと、重要な役割を担っていたと考えられます。徹岫宗九もまた、そうした時代の要請に応え、禅の教えを通して人々の心を導いたのでしょう。
厳しい禅風とその精神
徹岫宗九が属した臨済宗、特に妙心寺派の禅は、師から弟子へと法を受け継ぐ師資相承(ししそうじょう)を重んじ、坐禅や公案(禅の修行者が悟りを開くために与えられる課題)などを通して、自己の内面と徹底的に向き合い、悟りを目指す厳しいものでした。徹岫宗九自身も、その厳格な禅風を受け継ぎ、妥協を許さない求道者であったことが、遺された偈からも窺い知ることができます。
魂の咆哮、末期の偈
弘治2年(1556年)、徹岫宗九は77歳(数え年)でその生涯を閉じます。死に臨んで、禅僧が自らの悟りの境地や最後の教えを示すために遺す言葉を「遺偈(ゆいげ)」あるいは「末期の偈」と呼びます。徹岫宗九が遺したとされる偈は、短くも強烈な響きを持っています。
「殺仏殺祖 遊戯神通 末期一句 猛虎舞空」
(現代語訳:仏をも殺し、祖師をも殺す(=既成の権威や固定観念を打ち破る)。その境地にあれば、自由自在に神通力を現すことができる。死に臨んで最後に示す一句、それは、あたかも猛虎が何ものにもとらわれず大空を舞うがごとし。)
この四句からなる偈は、徹岫宗九が生涯をかけて到達した禅の境地を見事に表しています。
- 「殺仏殺祖(さつぶつさっそ)」:非常に衝撃的な言葉ですが、これは禅の有名な句「逢仏殺仏、逢祖殺祖(仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺す)」に基づいています。仏や祖師といった外的な権威や偶像、あるいは自分自身の中にある固定観念や執着を打ち破らなければ、真の自己(仏性)には到達できない、という禅の根本的な姿勢を示すものです。
- 「遊戯神通(ゆげじんづう)」:悟りを得た者が、まるで子供が無心で遊ぶかのように、何ものにもとらわれず自由自在に生きる境地を表します。「神通」は超人的な力を意味しますが、ここでは生死や迷いといった束縛から完全に解放され、世界と一体となった自由闊達な精神状態を示唆しています。
- 「末期一句(まっきのいっく)」:まさにこの偈そのもの、徹岫宗九が死に際して放つ最後の言葉を指します。
- 「猛虎舞空(もうこぶくう)」:力強さや気迫の象徴である「猛虎」が、物理的な法則さえ無視するかのように「空を舞う」。これは、徹岫宗九自身の生命力、あるいは死をも超越した自由な精神を、ダイナミックなイメージで表現したものです。常識的な枠組みや限界を打ち破り、どこまでも自由であろうとする禅者の気概が感じられます。
この偈は、死を目前にした悲壮感や諦念とは無縁です。むしろ、自己の到達した境地への絶対的な確信と、生死を超越した力強い生命力、そして何ものにも縛られない自由な精神を、高らかに宣言しているかのようです。
禅僧の言葉が照らす、現代の「自由」
“殺仏殺祖” – 固定観念からの解放
徹岫宗九の「殺仏殺祖」という言葉は、現代を生きる私たちにも重要な問いを投げかけています。私たちは、社会的な常識、権威、メディアの情報、あるいは自分自身が作り上げた「こうあるべき」という思い込み(内なる”仏”や”祖”)に、どれほど縛られているでしょうか。この言葉は、外部から与えられた価値観や情報に盲従するのではなく、それらを批判的に見つめ、鵜呑みにせず、自らの頭で考え、本質を見抜くことの重要性を教えてくれます。真の自由は、まず固定観念を打ち破ることから始まるのかもしれません。
“遊戯神通”と”猛虎舞空” – しなやかで力強い生き方
「遊戯神通」や「猛虎舞空」が示す境地は、困難な状況や変化の激しい現代社会を生きる上で、大きなヒントを与えてくれます。「遊戯」のように、起こる出来事に過剰に反応したり執着したりせず、しなやかに、あるがままに受け止め、対応していく心の持ちよう。そして、「猛虎」のように、自分自身の内なる力や可能性を信じ、逆境や常識の壁(空)をも恐れず、力強く、自分らしく生き抜いていく姿勢。これらは、単なる楽観主義ではなく、自己の内面と深く向き合うことから生まれる、確かな強さに基づいた生き方と言えるでしょう。徹岫宗九の偈は、物質的な豊かさだけではない、精神的な自由を獲得することの大切さを、時代を超えて私たちに示唆しています。
徹岫宗九の末期の偈は、戦国の乱世を生きた一禅僧の、ただならぬ覚悟と到達点を示すものです。その力強い言葉は、現代に生きる私たちの心にも深く響き、自らの生き方や「自由」について、改めて考えるきっかけを与えてくれるのではないでしょうか。
この記事を読んでいただきありがとうございました。
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