豊臣秀吉の甥(養子)として関白となりながら、後に謀反の疑いをかけられ非業の最期を遂げた豊臣秀次。その秀次に傅役(もりやく)・宿老として仕え、最後まで忠誠を尽くし、運命を共にした武将がいました。その名は、前野長康(まえの ながやす)。秀次の無実を訴え、弁護に努めながらも、秀次事件の嵐に巻き込まれ、切腹を命じられた忠臣です。
理不尽な死を前にして、前野長康が遺したとされる辞世の句は、自らの限りある命を自覚しつつも、武士としての誇りを胸に、最後の瞬間まで力の限りを尽くし、その魂を未来へ、あるいは彼方へと届けようとするかのような、強い意志と覚悟に満ちています。
限(かぎり)ある 身(み)にぞ あづさの 弓張(ゆみはり)て とどけまいらす 前(まえ)の山々(やまやま)
秀次の傅役、そして連座の悲劇へ:前野長康
前野長康は、尾張国(現在の愛知県)の出身とされ、一説には織田信長の家臣であった生駒氏に仕えた後、早くから羽柴(豊臣)秀吉の家臣となった、古参の武将の一人です。その実直な人柄と確かな能力を秀吉に認められ、秀吉の姉・ともの子であり、後に養子となって関白職を継承することになる豊臣秀次(当時は三好信吉)の傅役(もりやく:教育係兼後見役)、そして宿老(家中の最高幹部)という、極めて重要な役割に抜擢されました。これは、秀吉からの長康への深い信頼を示すと同時に、豊臣家の次代を担う後継者の育成という、政権の根幹に関わる重責を託されたことを意味します。
長康は、若き秀次の側近くにあって、その成長を見守り、政務を補佐しました。秀次が関白となると、長康も但馬国(現在の兵庫県北部)の出石(いずし)に5万3千石の領地を与えられ、出石城主として大名に列します。秀次政権の中枢にあって、聚楽第の造営や運営など、豊臣政権の重要な事業にも深く関与していたとされます。温厚で誠実な人柄で、秀次からの信頼も非常に厚かったと言われています。
しかし、文禄2年(1593年)に秀吉に実子・秀頼が誕生すると、秀吉と、既に関白となっていた秀次との関係には微妙な影が差し始めます。そして文禄4年(1595年)、秀吉は、秀頼への権力継承を盤石にするためか、あるいは秀次自身の不行跡や、周囲の讒言(ざんげん)などもあってか、秀次に対して「謀反の疑いあり」として、その地位を剥奪します(秀次事件)。前野長康は、主君・秀次の無実を固く信じ、秀吉に対して必死に弁明し、助命を嘆願したと伝えられています。
しかし、長康の忠義の訴えも虚しく、秀次は高野山へ追放され、そこで切腹を命じられてしまいます。さらに、秀吉による粛清の嵐は、秀次の側近たちにも容赦なく襲いかかりました。前野長康もまた、「秀次謀反の共謀者」として連座させられ、京都・伏見の六漢寺(現在は廃寺)において、切腹を命じられたのです。主君の潔白を信じ、最後までその身を案じ、支えようとした忠臣の、あまりにも理不尽で悲しい結末でした。
辞世の句に込められた:最後の力を振り絞りて
主君の無実を訴えながらも聞き入れられず、自らもまた理不尽な死を賜ることになった前野長康。その切腹の座で詠まれたとされるのが、「限りある 身にぞ あづさの 弓張りて とどけまいらす 前の山々」という句です。
「人の命というものは限りがあるものだ。この限りある我が身ではあるが、それでもなお、(武士としての最後の意地にかけて)梓弓(あずさゆみ)を、力の限りいっぱいに引き絞って、(我が魂よ、あるいはこの無念の思いよ、または忠義の心よ)目の前にある山々(あるいは、あの世にあるという前方の山々、はたまた我が前野一族が待つであろう場所)に向かって、届け申し上げようではないか」。
この句からは、まず「限りある身」という言葉に、自らの命が有限であり、今まさにその終わりを迎えようとしているという事実を、冷静に受け止めている様子がうかがえます。しかし、それは決して無力感や絶望ではありません。続く「あづさの弓張りて」という、非常に力強く、意志的な表現には、たとえ残された時間がわずかであっても、最後の瞬間まで、武士としての本分を全うし、精神を集中させ、持てる力の全てを出し切ろうとする、強い意志と気概が込められています。「梓弓」は武門の象徴であり、弓を力いっぱい引き絞る姿は、長康の不屈の精神そのものを表しているかのようです。
そして、「とどけまいらす 前の山々」という結びの句には、長康の様々な思いが凝縮されているように感じられます。「前の山々」が具体的に何を指すのかは、解釈が分かれるところです。文字通り、切腹する場所から見える景色に、自らの最後の思いを託したのかもしれません。あるいは、死後に魂が向かうであろう、あの世の世界(山々の彼方)を思い描き、そこへ自らの魂を届けようとしているのかもしれません。さらに、「前野」という自らの姓を掛け、「前(=前野家)の山々」と読み、自らの魂や、主君・秀次の晴らせぬ無念の思い、あるいは一族の行く末への願いを、故郷や先祖、そして後に続く者たちに届けたい、託したいという切実な気持ちを表しているとも解釈できます。「まいらす」という謙譲語からは、その届けたい対象(亡き主君、仏、先祖、一族など)に対する、深い敬意と真摯な祈りの心がうかがえます。
いずれの解釈を取るにしても、この句には、理不尽な死を前にしてもなお、最後まで武士としての誇りを失わず、自らの魂や思いを、力の限り未来へ、あるいは彼方へと解き放とうとする、前野長康の潔く、そして切実な心が、強く表れていると言えるでしょう。
人生との向き合い方や、大切にすべき価値観について
主君への忠誠を貫き、理不尽な運命の中で最期を迎えた前野長康の辞世の句は、現代を生きる私たちにも、人生との向き合い方や、大切にすべき価値観について、多くの示唆を与えてくれます。
- 誠実さと忠誠心の価値: 仕える相手(上司、組織、あるいは家族や友人など)や、自らが信じる理念に対して、誠実であり、困難な状況にあっても最後まで責任を果たそうとする姿勢。その一途な思いは、深い信頼関係の礎となり、時として大きな力を生み出します。
- 理不尽な状況に屈しない精神力: 自分の力ではどうにもならない理不尽な状況や、不当な扱いに直面したとしても、それにただ打ちのめされるのではなく、最後まで自分の信念や誇りを持ち続け、精神的な尊厳を失わないこと。長康の最期の句は、そうした心の強さを示しています。
- 限りある命(時間)を意識し、全力を尽くす: 人生の時間は有限です。「限りある身」であることを自覚することは、今この瞬間をどう生きるか、何にエネルギーを注ぐべきかを真剣に考えるきっかけとなります。そして、限られた時間だからこそ、「あづさの弓張りて」のように、自分の持てる力の限りを尽くして物事に取り組むことに価値があるのかもしれません。
- 全力を尽くすことの意義そのもの: 結果がどうであれ、自分の信じることに対して、力の限りを尽くすという行為そのものに、大きな意味と価値があるということ。そのプロセスが、たとえ報われなかったとしても、自己肯定感や人生の充実感に繋がることがあります。
- 思いを未来へ、あるいは他者へ託すこと: 自分の命や活動には終わりがありますが、その思いや意志、成し遂げたこと、あるいは果たせなかった願いを、未来や他者、あるいは何か象徴的なもの(長康にとっては「前の山々」)に託すこと。それは、死や終わりに対する一つの向き合い方であり、自分の生きた証を残し、次の世代へと繋いでいく方法とも言えます。
豊臣秀次事件という、豊臣政権下の権力闘争の暗部に巻き込まれ、忠誠を尽くした主君と共に非業の最期を遂げた前野長康。その辞世の句は、理不尽な死を前にしてもなお、武士としての誇りを失わず、限りある命の最後の力を振り絞り、その純粋な魂を未来へと、あるいは彼方の世界へと解き放とうとした、忠臣の潔い覚悟と切実な願いを伝えています。「あづさの弓張りて」――その力強い響きは、私たちに、人生の最期まで、あるいはどんな困難な状況に置かれても、自分らしく、持てる力を尽くして生きることの尊さを、強く教えてくれるようです。
この記事を読んでいただきありがとうございました。
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