天地の清きへ還る ~北条氏照、自然に溶けゆく武将の魂~

戦国武将 辞世の句

戦国時代、約100年にわたり関東地方に君臨した名門・後北条氏。その屋台骨を支え、武勇と知略で一門を牽引した武将がいました。北条氏照(ほうじょう うじてる)。三代当主・北条氏康(うじやす)の子として生まれ、兄である四代当主・氏政(うじまさ)を補佐し、後北条家が築いた最大版図の維持・発展に欠かせない存在でした。

しかし、天下統一を目指す豊臣秀吉の圧倒的な力の前に、関東の覇者・後北条氏も滅亡の時を迎えます。天正18年(1590年)の小田原征伐において、最後まで徹底抗戦を主張した氏照は、敗北後、兄・氏政と共に切腹を命じられました。誇り高き武将の、悲劇的な最期。しかし、氏照が遺したとされる辞世の句は、敗北への無念や現世への執着とは無縁の、驚くほどに穏やかで、そして広大な自然の摂理に身を委ねるかのような、スケールの大きな死生観を示しています。

天地(あめつち)の 清き中より 生(うま)れ来(き)て もとのすみかに かへるべらなり

関東の雄・後北条氏を支えた柱:北条氏照

北条氏照は、天文11年(1542年)頃、相模国(現在の神奈川県)を本拠に関東に覇を唱えた後北条氏の三代当主であり、「相模の獅子」と称された名将・北条氏康の三男(一説には次男)として生まれました。兄には四代当主となる氏政、弟には鉢形城(埼玉県寄居町)主の氏邦、韮山城(静岡県伊豆の国市)主の氏規らがおり、氏照を含めた兄弟たちは、父・氏康亡き後も、互いに協力し合いながら、広大な関東の領国経営と防衛にあたりました。

氏照は、若くして武蔵国(現在の東京都・埼玉県)の有力国人であった大石氏の名跡を継ぎ、その拠点であった滝山城(現在の東京都八王子市)の城主となります。後に、より堅固な八王子城を新たに築城し、そこを拠点としました。氏照が担当したのは、甲斐の武田信玄や越後の上杉謙信といった強敵と境を接する、関東西部の防衛と統治という極めて重要な役割でした。実際に、永禄12年(1569年)の武田信玄による小田原侵攻の際には、氏照は滝山城で奮戦し(三増峠の戦い)、また、上杉謙信が関東に出兵した際にも、主力部隊を率いてこれを迎え撃つなど、数々の戦場でその武勇を発揮しています。

武勇に優れるだけでなく、領国経営や外交交渉においても優れた手腕を発揮したとされ、兄である当主・氏政を補佐する一門の重鎮として、家中における発言力も非常に大きかったと言われています。まさに、後北条家の柱石たる存在でした。

小田原征伐と、誇り高き最期

天下統一事業の総仕上げとして、豊臣秀吉の目は、関東に独立した巨大勢力を維持する後北条氏に向けられました。秀吉は再三にわたり上洛を促しますが、北条氏はこれを拒否。ついに天正18年(1590年)、秀吉は徳川家康、上杉景勝、前田利家ら全国の諸大名を動員し、20万を超えるとも言われる空前の大軍で、北条氏の本拠地・小田原城へと侵攻を開始しました(小田原征伐)。

開戦前、北条家中では、秀吉に恭順(降伏)すべきか、それとも徹底抗戦すべきかで激しい議論が交わされました。北条氏照は、当主である兄・氏政と共に、最後まで戦い抜くことを強く主張する主戦派の中心人物でした。北条家の100年の栄光と誇りを守るため、そして関東の独立を守るため、安易な降伏は許されないと考えたのでしょう。氏照は、自らの居城である八王子城の守りを家臣たちに託し、自身は一族の中心である小田原城に籠城して、秀吉の大軍を迎え撃つ道を選びました。

しかし、秀吉軍の兵力と物量は圧倒的でした。小田原城は難攻不落の堅城でしたが、秀吉は力攻めを避け、城を完全に包囲して兵糧攻めを行うと共に、石垣山一夜城を築いて北条方の士気を挫くなど、巧みな戦術で追い詰めていきました。そして、氏照が守りを任せた八王子城も、上杉景勝・前田利家・真田昌幸らの猛攻を受け、城に残った婦女子までもが戦って玉砕するという、凄惨な戦いの末にわずか一日で落城してしまいます。

支城が次々と陥落し、小田原城内でも厭戦気分が広がる中、約3ヶ月間にわたる籠城の末、ついに北条氏は開城・降伏を決断します。

戦後処理において、豊臣秀吉は、既に家督を子の氏直に譲り隠居していたとはいえ、事実上の最高権力者であった前当主・氏政と、最後まで徹底抗戦を主張した氏照の二人に、開戦の責任を問い、切腹を命じました。同年7月11日、北条氏照は、兄・氏政と共に、小田原城下の医師・田村安栖(あんせい)の宿所において、従容として自刃して果てました。関東に100年の長きにわたり君臨した名門・後北条氏の栄光は、ここに完全に終わりを告げたのです。

辞世の句に込められた自然への回帰

関東の覇者として生まれ育ち、一族の重鎮として活躍し、最後まで誇りを失わずに戦い、そして切腹という最期を迎えた北条氏照。その辞世とされるのが、「天地の 清き中より 生れ来て もとのすみかに かへるべらなり」という句です。

「この広大な天と地、万物を育む清らかな大自然の中から、私はこの世に生を受けてやって来た。そうであるならば、(死んで)自分が元々いた場所、すなわちこの清浄な自然の根源へと還っていくのは、ごく当たり前の道理であるようだ」。

この句には、戦いに敗れ、家が滅び、自らも死ぬという、武将にとっては最も無念であるはずの状況にありながら、驚くほどに個人的な感情(恨み、後悔、悲しみ、恐怖など)が抑制されています。氏照の心は、人間社会の狭い枠組みである戦いや権力争いといった次元を超越し、もっと広大で、もっと根源的な「天地自然」の摂理へと向けられています。

「清き中より生れ来て」という表現には、自らの生命が、この清浄で偉大な宇宙、あるいは父祖代々守り育んできた関東の美しい自然の中から授かった、尊いものであるという認識が示されています。そして、「もとのすみかにかへる」という言葉は、死を恐ろしい終焉や断絶としてではなく、自分が生まれた場所、生命の源である大自然の大きな循環の中へと、穏やかに還っていく自然なプロセスとして、静かに受け入れている心境を表しています。

「べらなり」という、やや古風で客観的な響きを持つ結びの言葉は、「~であるようだ」「きっと~なのだろう」という、静かな確信、あるいは自然の道理に対する深い納得の念を示唆しています。そこには、恐怖や悲しみといった感情はなく、むしろ安らぎや、全てを達観した上での解放感すら感じられます。あたかも、長年の務めを果たし終え、安らかな故郷へと帰っていくかのような、穏やかで揺るぎない心境です。

戦国の世の激しい生存競争の只中に身を置き、最後まで武将としての誇りを貫こうとした氏照が、その最期にこのような広大で静謐な自然観に基づいた境地に至ったことは、深く印象的です。それは、代々関東の地に深く根を下ろし、比較的安定した領国経営を行ってきた後北条氏ならではの、どこか鷹揚(おうよう)として、大陸的なスケールを感じさせる気風や文化と無縁ではないのかもしれません。

人間存在のあり方や、穏やかな死生観について

北条氏照の辞世の句は、自然との繋がりが希薄になりがちな現代社会を生きる私たちに、人間存在のあり方や、穏やかな死生観について、大切な気づきを与えてくれます。

  • 人間も自然の一部であるという謙虚な視点: 私たちは、科学技術の進歩によって、あたかも自然をコントロールできるかのように考えがちですが、本来、人間も地球という星に生きる一つの生命であり、広大な自然の一部です。氏照の句は、その大きなサイクルの中で生かされているという、謙虚な視点を取り戻すことの大切さを教えてくれます。
  • 死を自然なプロセスとして穏やかに受け入れる: 死を過度に恐れたり、タブー視したりするのではなく、生まれてきたものが元の場所(自然)へ還るという、自然な生命の循環の一部として捉えること。そうした穏やかで普遍的な死生観は、死への無用な恐怖を和らげ、心を安らかにするための大きな助けとなるかもしれません。
  • 執着からの解放と大きな視野: 日々の仕事や人間関係における悩み、成功や失敗へのこだわり、地位や名誉、財産といった現世的な価値への執着も、天地自然という壮大なスケール、あるいは生命の循環という大きな視点から見つめ直せば、その重みが相対化され、小さなことに感じられるかもしれません。氏照のように、視点を高く、広く持つことで、様々なこだわりから解放され、心の自由を得ることができます。
  • 潔く運命を受け入れる精神的な強さ: 自分の力ではどうにもならない運命や、避けられない現実を前にした時、嘆き悲しむだけでなく、それをあるがままに受け入れ、静かに向き合うという精神的な強さ。氏照の最期の態度は、困難な状況との向き合い方の一つとして、深い感銘を与えます。
  • 自然の中に心の安らぎを見出すこと: 忙しく、ストレスの多い現代社会だからこそ、時に雄大な自然の中に身を置き、その静けさや美しさ、あるいは厳しさに触れることは、心を落ち着かせ、本来の自分を取り戻し、生命の根源との繋がりを再確認するための良い方法です。氏照が最期に心に描いたであろう「天地の清き中」に、私たちもまた、心の安らぎや本来の居場所を見出すことができるかもしれません。

関東の地に100年の長きにわたり栄華を誇った後北条氏。その一翼を担い、最後まで一族の誇りを胸に戦い、そして潔く散っていった北条氏照。その辞世の句は、戦国の世の終焉と、自らの死という厳粛な現実を、広大な天地自然の摂理の中に静かに受け入れた、穏やかでスケールの大きな武将の魂の響きを伝えています。「もとのすみかにかへるべらなり」――その言葉は、私たちに、生命の根源と大きな循環に思いを馳せさせ、自然の一部として生きることの意味、そして穏やかに死と向き合うことの価値を、静かに、そして深く問いかけてくるようです。

この記事を読んでいただきありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました