「なかなかに 世にも人をも 恨むまじ 時にあわぬを 身の咎にして」
戦国時代という混沌の世に、誰かを恨まず、静かに己の命を見つめた男がいました。
その名は、今川氏親。名高き今川義元の父であり、また戦国の梟雄・北条早雲の甥。己の志を抱きながら、波乱に満ちた歴史の舞台を歩み続けた一人の武将です。
家督相続という試練の幕開け
氏親が生まれたのは、応仁の乱が始まった頃とされる1470年代前半。父・今川義忠は幕府に逆らう形で命を落とし、氏親は幼くして孤独な運命に直面します。家中では家督を巡って内紛が勃発し、氏親の存在さえ否定されかけました。
そんな混乱の中、幼き彼を守ったのが、叔父にあたる北条早雲でした。けれども、これは単なる庇護ではありません。戦国の荒波に子を乗せるための、冷徹にして静かな布石だったのです。
二十年越しの遠江平定――父の無念を継ぐ戦い
父を喪った地・遠江。この地を掌握することは、氏親にとって単なる領土拡大ではありませんでした。
それは父の無念を晴らし、自らの存在を歴史に刻むための戦いでもあったのです。名将・早雲の力を借りながら戦を進め、やがて自ら先陣に立ち、ついには二十余年に及ぶ遠征を成し遂げます。
勝ち取ったのは、領地だけではありませんでした。幕府からの信任、そして戦国の秩序を保とうとする使命――氏親は、単なる地方豪族ではなく、乱世を静かに支える存在として生きる道を選んだのです。
戦乱を越え、心に宿した言葉
病に倒れ、やがて政務を妻・寿桂尼に託すようになった氏親。死期が近づいたとき、彼は世に向けて、ふたつの辞世の句を遺しました。
「なかなかに 世にも人をも 恨むまじ 時にあわぬを 身の咎にして」
「悔しとも うら山し 共思はねど 我世にかはる 世の姿かな」
そこに込められた想いは、静かです。しかし、その静けさの奥にあるのは、深い諦念と、確かな責任感です。
世が移り、人が変わることに抗うのではなく、それを自らの不徳と受け止める。その姿には、戦国という激しい時代を生きた者の、痛みと覚悟が刻まれています。
時を超えて響く、氏親の静かなメッセージ
「時にあわぬを、身の咎にして」――これは、ただの自己責任論ではありません。
変化の激しい時代において、自分の価値が認められないとき、誰かを責めるのではなく、どう在りたいかを自らに問い直す。そんな生き方の示唆なのです。
- 逆境の中で、環境のせいにせずに己の歩みを選ぶ強さ
- 人を恨まず、自分の内面と誠実に向き合う覚悟
- そして、変わりゆく世に翻弄されても、志を失わない静かな強さ
現代を生きる私たちにも、思い通りにいかない日々があります。けれど、だからこそ氏親の言葉が胸に響くのです。
恨まず、嘆かず、自らの歩みを信じて生きる――そんな姿勢こそが、本当の強さなのかもしれません。
歴史の影に、確かな人間の光を
今川義元の父として語られることの多い氏親ですが、彼自身の生涯にも、ひとりの人間としての苦悩と光がありました。
その辞世の句に触れるとき、歴史の教科書では決して知ることのできない「魂の言葉」に出会うことができます。
この世を去るとき、誰をも恨まず、ただ時の流れに自らの責を見出した氏親。
その静かなる辞世の句は、五百年を越えた今も、深く静かに、私たちの心に語りかけてきます。
この記事を読んでいただきありがとうございました。
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