戦国の世に響く、最後の問いかけ – 斎藤道三の辞世の句

戦国武将 辞世の句

「捨ててだに この世のほかは なき物を いづくかつひの すみかなりけむ」

この一句は、戦国の世を激しく駆け抜け、「美濃のマムシ」と恐れられた武将、斎藤道三が遺した辞世の句です。下剋上が常であった時代に、一介の身から成り上がり、美濃一国を手中に収めた道三。その生涯は、野望と裏切り、そして非情なまでの現実主義に彩られていました。しかし、この最後の言葉には、彼の激しい生き様とは裏腹の、深い問いかけが込められているように感じられます。

「美濃のマムシ」と呼ばれた男 – 斎藤道三の生涯

斎藤道三、その名は戦国時代において、下剋上を体現する存在として知られています。通説では、京都の僧侶から油商人を経て武士となり、ついには美濃の国主・土岐氏を追放して大名に成り上がったと伝えられてきました。しかし、近年の研究では、道三一代ではなく、父・松波庄五郎との親子二代にわたる努力と策略によって美濃を手に入れたという説も有力視されています。

道三(あるいは父・庄五郎)は、油商人として財を成した後、美濃の長井家に仕官します。道三は持ち前の才覚を発揮し、次第に頭角を現すと、美濃の守護・土岐家の内紛に乗じて勢力を拡大。主君であった土岐頼芸(よりのり)を巧みに操り、頼芸の兄や政敵を次々と排除。ついには頼芸自身をも追放し、1552年頃、美濃の支配者としての地位を確立しました。

その過程は、裏切りや毒殺も厭わない、まさに「マムシ」と呼ばれるにふさわしいものでした。しかし、道三はただ非情なだけではありませんでした。当時としては画期的な「楽市楽座」を導入し、城下町の経済を発展させるなど、優れた統治者としての一面も持っていたのです。これは後に、娘婿である織田信長も取り入れた政策であり、道三の先見性を示しています。

野心と慧眼 – 道三の人物像と心情

道三の人物像は、冷徹な野心家というイメージが強いですが、同時に人を見る確かな目、すなわち慧眼を持っていたことも見逃せません。

その象徴的な出来事が、1553年の正徳寺における織田信長との会見です。当初、尾張の「うつけ者」と評判だった信長を、道三は警戒しつつも、直接会って器量を見極めようとしました。巷説では、信長の奇抜な服装と、会見での凛とした態度の変化に道三が驚いたと伝えられますが、重要なのは、この会見で道三が信長の非凡さを見抜いたことです。「我が子たちは、いずれあ奴(信長)の門前に馬を繋ぐことになるだろう」と語ったとされる言葉は、道三の慧眼を物語っています。

娘・濃姫を信長に嫁がせたのも、単なる政略結婚というだけでなく、隣国・尾張の若き指導者へのある種の期待感もあったのかもしれません。事実、道三は最期の戦いとなる長良川の戦いに際し、実子・義龍ではなく、信長に美濃を譲るという遺言を残したとされています。これは、自らが築き上げた国を託すに足る人物として、信長を深く信頼していた証と言えるでしょう。

しかし、その道三も、実の息子である義龍との関係には苦悩しました。義龍は、父・道三のやり方への反発や、自らの出生(土岐頼芸の子ではないかという噂もあった)への疑念から、父に対して挙兵。1556年、長良川の戦いで道三は義龍軍に敗れ、六十三年の波乱に満ちた生涯を閉じました。

「捨ててだに…」 – 辞世の句に込められた想い

「捨ててだに この世のほかは なき物を いづくかつひの すみかなりけむ」

(この世を捨ててみても、他に世界など無いというのに、いったいどこが終の棲家となるのだろうか)

この句は、息子に討たれるという非業の最期を前にした道三の、どのような心情を表しているのでしょうか。

生涯を通じて権力を求め、策謀を巡らせ、多くの血を流してきた道三。彼は、死後の世界や来世といったものには、あまり価値を置いていなかったのかもしれません。「この世のほかは なき物」という言葉には、徹底した現実主義者であった道三の、ある種の虚無感や諦念が滲み出ているようにも思えます。

あるいは、激しい権力闘争の果てに辿り着いた死の間際、自らの人生を振り返り、「結局、安らげる場所などどこにもなかった」という、深い孤独と虚しさを吐露した言葉なのかもしれません。一代で国を盗り、多くのものを手に入れたはずの道三でしたが、その魂が真に安らげる場所は、この世にも、そしておそらくあの世にも見出せないと感じていたのではないでしょうか。

道三の生涯と辞世の句が現代に問いかけるもの

斎藤道三の生き様と、彼が遺した辞世の句は、現代を生きる私たちにも多くのことを問いかけてきます。

  • 野心と目標達成: 目的のためには手段を選ばない道三の生き方は、倫理的には許容されませんが、目標達成への執念や、時代を読み解く戦略性は、現代においても学ぶべき点があるかもしれません。
  • 真実を見抜く目: 評判や噂に惑わされず、信長の本質を見抜いた道三の慧眼は、情報過多の現代において、物事や人物の本質を見極める重要性を示唆しています。
  • 人間関係の複雑さ: 親子の対立という悲劇は、いつの時代も変わらない人間関係の難しさ、そして権力がもたらす歪みを映し出しています。
  • 人生の意味と終焉: 道三の辞世の句は、私たちが日々の生活で追求しているものが、人生の終わりにどのような意味を持つのか、そして真の安らぎとは何か、という根源的な問いを投げかけています。

終わりに

斎藤道三は、戦国の梟雄として恐れられながらも、卓越した知略と統治能力、そして人間を見抜く確かな目を持った複雑な人物でした。彼の遺した辞世の句は、激動の生涯を送った末にたどり着いた、一つの境地を示しています。その言葉は、時代を超えて私たちの心に響き、人生の意味を深く考えさせてくれる力を持っていると言えるでしょう。

この記事を読んでいただきありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました