宮本武蔵の名言集です。

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剣豪の紹介

宮本武蔵は天正十二12年(1584年)に誕生しました。江戸時代初期の頃です。
名は玄信。号は二天。
出自については確かな根拠のある説がありませんが、現在では播磨国(兵庫県南部)という説が有力なもののひとつです。同じくらい有名な説に美作国(岡山県北部)というものがあります。美作国説は、最も多くの読者に愛読された宮本武蔵の小説『宮本武蔵』(吉川英治著)が採用したため、ひろく広まりました。
武蔵の父は、新免無二斎という剣術家です。武蔵にとって、無二斎は、実の親という説と養親という説があります。武蔵も剣客ですが、父・無二斎もまた剣に生き、美作国竹山城主新免宗貫に仕えました。十手の名人だったそうです。
武蔵の母についても諸説あり、新免宗貞の娘・於政という説と、別所林治の娘・率子
という説があります。
のちに剣豪となる武蔵が初めて決闘したのは13歳の時でした。相手は新当流の有馬喜兵衛です。彼に打ち勝ち、以後、あらゆる決闘で全勝します。その数はじつに60以上に上ったといわれています。
現在では最強の剣豪・宮本武蔵というイメージが定着しています。武蔵の有名な決闘は、佐々木小次郎との巌流島での決闘や、吉岡一門との決闘です。
慶長9年(1604年)、武蔵は21歳のとき上京しました。その頃の都であった京都で、吉岡一門と戦いました。
当時、吉岡一門といえば足利将軍家の剣術師範をしており、数多くの剣術の流派の中でも抜きんでた存在でした。
1654年、武蔵の養子・宮本伊織が建てたとされる「小倉碑文」と呼ばれる石碑にも、「扶桑(日本)第一の兵術、吉岡という者あり」と書かれているほどです。
吉岡一門との決闘と呼ばれるように、剣術の一流派である吉岡流(別名・憲法流)の者達複数を相手にしたとされています。
まず始めに決闘した相手は、吉岡道場の門弟です。武蔵は圧勝しました。
名門の意地が立たないと考えた吉岡家。その吉岡家の当主・吉岡清十郎が今度は武蔵に挑みます。決闘は京都の郊外にある蓮台野で行われました。蓮台野とは京都市北区にあった地名で、火葬場です。
武蔵は清十郎との決闘にも勝利します。敗れた清十郎は深手を負い、剣の道を捨てて出家することになりました。
清十郎の仇討ちのため、弟の伝七郎が挑んできます。場所は京都の郊外。もしくは蓮華王院(京都市東山区)という説もあります。そこで、伝七郎は兄である清十郎の仇を討とうとしますが、武蔵に敗れてしまいます。伝七郎は武蔵に木刀を奪われて、撲殺されてしまいます。
これに怒った吉岡道場の門弟たち数百人が、一乗寺下り松(京都市左京区)で武蔵を襲いましたが、武蔵は一人で門弟たちを蹴散らして立ち去ったそうです。この結果、名門・吉岡道場が滅んだ説もあります。
吉岡家との決闘については創作や、脚色されたと考えられている逸話も多く事実が分かっていません。
慶長17年(1612年)、武蔵は29歳の時、巌流島(山口県下関市)で佐々木小次郎と決闘したといわれています。
巌流島は当時、舟島と呼ばれていたそうです。巌流島という名称は武蔵と小次郎の名高い決闘から付けられました。
佐々木小次郎の名は、先にご紹介した「小倉碑文」にも登場せず、武蔵以上に出自などについてよくわかっていません。
小次郎は長刀を使った剣客とされています。その長い刀で燕返しという技を編み出したといわれている剣の達人です。
武蔵はそんな剣客を相手に勝利を収めます。
他にも創作物の中で、宝蔵院流槍術や柳生新陰流などとの決闘が描かれることが多々あります。
慶長19年(1614年)にあった大阪冬の陣、翌年にあった大阪夏の陣の両方に武蔵は参戦しました。
その後、武蔵は諸国を巡り歩きます。
晩年、武蔵は小倉藩の客分となり、島原の乱に出陣したりします。
寛永17年、57歳のとき、武蔵は肥後藩(熊本藩)の藩主・細川忠利に仕えました。三百石の客分として迎えられました。
この頃、武蔵は自分の剣術の一派「ニ天一流」をつくりあげました。それまでは円明流や二刀一流と呼んでいましたが、名称を改めました。
また、兵法とその心構えを記した『五輪書』も、この熊本の霊巌洞で過ごす晩年に執筆しました。
他にも茶や座禅や書画など親しみ、著書『五輪書』以外にも、水墨画でも才能を示し、『枯木鳴鵙図』や『鵜図』や『芦雁図』などがよく知られています。
正保2年5月19日(1645年6月13日)。熊本の千葉城の屋敷で、その生涯の幕を閉じました。享年62歳。

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宮本武蔵の獨行道 二十一箇条です。

世々の道をそむく事なし 「世々の道を背く事なし」
身にたのしミをたくます 「身に楽しみをたくまず」
よろすに依枯の心なし 「万に依怙(頼ること)の心なし)
身をあさく思世をふかく思ふ 「身を浅く思い、世を深く思う」
一生の間よくしん思わす 「一生の間欲心思わず」
我事におゐて後悔をせす 「我事において後悔せず」
善惡に他をねたむ心なし 「善悪に他を妬む心なし」
いつれの道にもわかれをかなします 「いずれの道にも別れを悲しまず」
自他共にうらミかこつ心なし 「自他ともに恨みかこつ心なし」
れんほの道思ひよるこヽろなし 「恋慕の道思いよる心なし」
物毎にすきこのむ事なし 「物ごとに数寄好む事なし」
私宅におゐてのそむ心なし 「私宅において望む心なし」
身ひとつに美食をこのます 「身一つに美食を好まず」
末々代物なる古き道具を所持せす 「末々代物なる古き道具所持せず」
わか身にいたり物いミする事なし 「わが身に至り、物忌みする事なし」
兵具ハ格別よの道具たしなます 「兵具は格別、世の道具たしなまず」
道におゐてハ死をいとわず思ふ 「道においては、死をいとわず思う」
老身に財寳所領もちゆる心なし 「老身に財宝所領用ゆる心なし」
佛神ハ貴し佛神をたのます 「仏神は貴し、仏神をたのまず
身を捨ても名利はすてす 「身を捨てても名利は捨てず」
常に兵法の道をはなれす 「常に兵法の道を離れず」
宮本武蔵が自らの生き様を著した言葉です。

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