片倉 景綱のエピソードです。

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戦国武将の名言

伊達政宗の父・輝宗の徒小姓として仕えたのち政宗の近侍となり軍師役を長い間務めた戦国武将です。軍師として評価が高いですが,戦場での武勲も多く政宗が敵の兵隊に囲まれてしまった時、戦国武将の景綱は「自分こそが政宗なり」と相手方を誘い寄せ、政宗の危機を救ったと言われています。
天下を目前にした豊臣秀吉が、北条氏を攻めるにあたって、今後、秀吉の傘下に収まるかどうか真意を問いただす目的で政宗に参戦を呼びかけました。参陣して秀吉の配下になるか、座して秀吉を待ち一戦するか悩んだ政宗は重臣達を集め評議を重ねます。伊達成実は上方勢と戦うことを主張します。しかし、小田原参陣を主張する景綱の進言により政宗は小田原参陣を決意します。切腹が免れない状況でしたが、政宗は秀吉に白装束で拝謁するパフォーマンスで伊達家の危機を見事に乗り切ることができました。
豊臣秀吉から,田村五万石大名に取り立てようと言われたが,自分は伊達家の家臣であると強く断り、徳川家康が邸を江戸に与えようとしたときも固辞するなど、自分の地位をよくわきまえた人物でした。そのため政宗からの信頼が厚く景綱は白石城一万三千石を拝領しています。景綱の通称「小十郎」は世代を越えて片倉家当主が継承している名前です。生涯、伊達家に仕えて繁栄に導きました。享年五十九歳。
大将には人間的な魅力が求められ、参謀には、冷静な分析力、判断力、的確な助言ができて知恵をだせる人が求められます。大将なり参謀なり人には、それぞれ持って生まれた「器」があるといわれますが、自分の「器」の大きさが変わることもあります。
仕事で今よりも高い地位についたときに、目標ができて感情の変化があったときなど、自分の置かれている環境、立場が人を育てることがあります。企業の社長になる人はそれなりの風格があります。組織を引っ張っていく気概と自信や責任を負う覚悟がつくことで、その人の器が大きくなっているようです。
大将、参謀、猛将など活躍したいと思う職務上の地位は人それぞれちがいます。活躍したいと思っている職務に合わせて、自分の器を磨く必要があります。そのためには、自分の価値観を大事にして、自分に関わる全てのことを一度は受け入れる心構えが必要かもしれません。
天性の資質で、努力して身につくというものではない能力もありますが、優れた知識や技術が修得できる環境があるのでしたら良い機会です。自分にとってプラスになる環境に身を置くことが、成長するための一番の近道です。
戦国武将の名言集に戻ります。

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