今井宗久の辞世の句|茶人が一服に込めた、生と死の境界

戦国武将 辞世の句

戦国時代、京都に並ぶ自治都市として栄えた堺には、巨大な経済力を背景に、時の権力者にも大きな影響力を持つ豪商たちがいました。今井宗久(いまいそうきゅう)もその一人です。彼は単なる商人にとどまらず、武野紹鴎(たけのじょうおう)、そして千利休と共に茶の湯を大成させた「三宗匠」の一人に数えられる茶人でもありました。財力と文化、二つの力をもって乱世を渡り歩いた宗久の最期に詠まれたとされる辞世の句は、彼が生涯をかけて愛した「茶の湯」への、尽きることのない思いを今に伝えています。

経済と文化を操る

今井宗久は永正15年(1518年)、堺の納屋(倉庫業兼金融業)を営む今井宗仙の子として生まれました。家業を継ぎ、薬種や鉄砲などを扱う商人として財を成しましたが、彼の名を高めたのは、茶の湯との深い関わりでした。茶の湯の大家である武野紹鴎に師事し、そのわび茶の精神を受け継ぎます。紹鴎が亡くなると、彼が所持していた名物茶道具を譲り受け、茶人としての地位を確立しました。

宗久の力は、単なる財力だけではありませんでした。彼は茶の湯を通じて、時の権力者である織田信長、そして豊臣秀吉に接近していきます。茶頭として仕える一方で、堺の代官を務めるなど、政治的な役割も担いました。彼の邸宅で行われる茶会には、信長や秀吉もしばしば招かれ、そこは政治的な情報交換や駆け引きの場ともなりました。宗久は、経済、政治、文化という三つの柱を巧みに操り、戦国の世を生き抜いたのです。特に、彼が収集した名物茶道具は、当時の大名たちが喉から手が出るほど欲しがるほどの価値を持ち、権力者との関係を築く上でも重要な役割を果たしました。

世を厭い、茶に心を残して

乱世を経済と文化の力で渡り歩いた今井宗久が、文禄2年(1593年)に亡くなる際に詠んだとされる辞世の句は、彼が生涯をかけて追い求めたものの本質を示唆しています。

辞世の句:

「わが身今 世をばいといて 茶の湯にぞ 心残して 旅にたちける」

今、私のこの身は、現世でのあらゆるしがらみや、栄枯盛衰といった世のありようから離れていこうとしている。しかし、茶の湯にだけは心残りがあるのだ。そんな思いを抱きながら、私はあの世への旅に出ることにした。この世に対する達観と、茶の湯への尽きせぬ愛情が込められた句です。

句に込められた、茶への思い

この辞世の句は、商人として成功し、政治にも関わった宗久の、最期の心境をよく表しています。

  • 「世をばいといて」に滲む達観: 宗久は商人として大きな富を築き、権力者とも深く関わりました。しかし、戦国の世の無常や、人間関係の複雑さ、あるいは物質的な豊かさの空しさを感じていたのかもしれません。「世をばいといて(厭いて)」という言葉には、そうした世俗から離れたいという、ある種の厭離の思いが見て取れます。
  • 「茶の湯にぞ 心残して」に宿る情熱: 一方で、世を厭いながらも、「茶の湯にぞ心残して」と詠んでいます。これは、彼にとって茶の湯が単なる趣味やビジネスツールではなく、人生そのものであったことを示しています。権力や富といった形あるものは手放せても、茶の湯という精神的な世界には、尽きせぬ愛情と、離れがたい思いがあったのです。
  • 「旅にたちける」という穏やかな受容: 死を「旅立ち」と表現することで、穏やかに自身の最期を受け入れている様子がうかがえます。それは、茶の湯という精神的な拠り所を持っていたからこそ得られた、心の平安だったのかもしれません。

今井宗久の辞世の句は、豪商として世俗を極めながらも、最終的には茶の湯という精神世界に最も深い価値を見出した人物の、偽りのない最期の言葉と言えるでしょう。

今井宗久の生涯と辞世の句

今井宗久の生涯と辞世の句は、現代を生きる私たちにどのような示唆を与えてくれるでしょうか。

  • 真に価値を置くものを見つける: 宗久は多くの富と権力を持ちましたが、最期に心残したのは茶の湯でした。現代社会も物質的な豊かさや社会的な成功が重視されがちですが、彼の句は、人生において本当に価値を置くべきものは何か、心から情熱を傾けられるものは何かを問いかけてきます。それは、仕事であっても、趣味であっても、人間関係であってもよいでしょう。自分にとっての「茶の湯」を見つけることの重要性を示唆しています。
  • 日常の中に心の拠り所を持つ: 宗久にとって茶の湯は、慌ただしい世俗から離れ、自身の内面と向き合う時間であり、精神的な充足を得られる場でした。現代社会でも、情報過多や仕事のストレスなど、心安らぐ時間を見つけにくい状況にあります。彼の生き方は、日々の生活の中に、自身の心を整え、安らぎを得られるような「茶の湯」を持つことの価値を教えてくれます。
  • 人生の最後に後悔しないために: 「茶の湯にぞ心残して」という言葉は、ある意味で茶の湯への深い愛情を示すものですが、別の見方をすれば、それ以外には大きな心残りがなかった、とも解釈できます。人生の終わりに、本当に大切なものに十分な時間や情熱を注げたか、悔いのない生き方ができたかを自問するきっかけを与えてくれます。

今井宗久の辞世の句は、戦国の世を経済と文化で渡り歩いた稀代の人物が、最期に見出した人生の真理です。それは、物質的なものだけでは満たされない心の渇きを癒し、人生を豊かにしてくれる、情熱を傾けられるものの尊さを、時代を超えて私たちに語りかけてくるメッセージなのです。

この記事を読んでいただきありがとうございました。

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