戦国時代、主君への忠義を貫き、その最期まで運命を共にした家臣たちが数多く存在します。黒川隆像(くろかわ たかかた、隆象とも)も、そんな忠臣の一人です。西国に栄華を誇った大内義隆に仕え、文官として主君を支えましたが、天文20年(1551年)、家臣・陶晴賢の謀反によって義隆が自害に追い込まれた際(大寧寺の変)、隆像もまた主君の後を追い、殉死しました。
主家滅亡という悲劇のさなか、死を目前にした黒川隆像が遺したとされる辞世の句は、個人的な無念や悲しみを超越し、仏教的な深い悟りの境地を感じさせる、静かで力強い言葉です。
夢亦是夢(ゆめもまたこれゆめ) 空猶是空(くうなおこれくう)
不来不去(ふらいふきょ) 端的(たんてき)の中に在り
大内義隆に殉じた忠臣:黒川隆像
黒川隆像の詳しい出自や前半生については、残念ながら多くの記録が残っていません。しかし、西国の名門・大内義隆の家臣として、右筆(ゆうひつ:文書の作成や記録を担当する役職)や奉行といった、政務に関わる文官的な役割を担っていたことが分かっています。これは、和歌や連歌を嗜み、文化的な素養を重んじた主君・義隆の政権において、隆像が知識や教養をもって仕え、一定の信頼を得ていたことを示唆します。
特に、義隆が出雲遠征(第一次月山富田城の戦い)で大敗し、養嗣子・晴持を失って以降、政治への意欲をなくし、文治派の側近を重用するようになった時期には、隆像も相良武任(さがら たけとう)らと共に、義隆の側近くで政務を補佐していた可能性があります。主君の繊細な心を理解し、忠実に支える存在であったのかもしれません。
しかし、こうした文治派中心の政治は、武断派の重臣・陶晴賢(当時は隆房)らとの間に深刻な対立を生んでしまいます。そして天文20年(1551年)、ついに陶晴賢は「君側の奸(悪臣)を除く」という名目で謀反の兵を挙げました(大寧寺の変)。
主君・大内義隆は山口の館を追われ、長門国(現在の山口県長門市)の古刹・大寧寺へと逃れます。黒川隆像は、この絶望的な逃避行にも、主君の側を離れることなく付き従いました。そして、大寧寺も陶軍に包囲され、義隆がもはやこれまでと自害を決意すると、隆像もまた、主君の後を追い、殉死する道を選んだのです。一説には、義隆の介錯(かいしゃく)を務めた後に自らも命を絶ったとも伝えられています。最後まで主君と運命を共にした、その揺るぎない忠誠心は際立っています。
辞世の句に込められた心境:空と無常を超えた真実
主君と共に死を迎える覚悟を決めた黒川隆像。その最期に遺されたとされるのが、「夢亦是夢 空猶是空 不来不去 端的の中に在り」という漢詩です。これは、深い仏教思想、特に禅宗や般若心経の教えに基づいた言葉と考えられます。
「この世で経験する栄華も没落も、喜びも悲しみも、結局のところは儚い夢のようなものであり(夢亦是夢)、また、あらゆる物事や存在には固定的な実体というものはなく、本質は『空(くう)』なのである(空猶是空)。そして、存在そのものは、本来、生まれたり滅したりするものではなく、来たり去ったりすることもない不生不滅のものであり(不来不去)、ただ、ありのままの絶対的な真実、悟りの境地(端的)の中にこそ、その本質は存在するのだ」。
この句には、目前に迫る自らの死、そして主家滅亡という壮絶な悲劇すらも、「夢」であり「空」であると達観した、黒川隆像の極めて冷静で深い精神性が表れています。死への恐怖や、謀反を起こした陶晴賢への恨みといった、人間的な感情はここでは完全に超越されています。
「不来不去」という言葉は、生と死を対立するものとして捉えるのではなく、より大きな生命の流れ、あるいは不生不滅の真理の一部として受け入れていることを示唆します。隆像にとって、死は単なる終わりや消滅ではなく、本来の真実の状態、「端的」の中へ還っていくプロセスだったのかもしれません。そこには、一切のこだわりや執着から解放された、静かで澄み切った、そして揺るぎない境地が広がっています。
主君・大内義隆もまた、金剛経の一節を引用した辞世の句を残しており、主従ともに仏教への深い理解と信仰心を持っていたことがうかがえます。黒川隆像は、日頃からの仏道修行と、主君と共に死地にあるという極限状況の中で、この深い悟りの境地に到達したのではないでしょうか。
黒川隆像の辞世の句は、難解な仏教や禅の用語を含みますが、その根底にある思想は、ストレスや変化の多い現代を生きる私たちにとっても、物事の見方や心のあり方について、多くの示唆を与えてくれます。
- 物事の本質を見抜く視点: 日々起こる出来事や、目先の成功・失敗、他者の評価といった表面的な現象(夢)にとらわれず、その奥にある変化しない本質(空、端的)を見つめること。物事の本質を捉えようとする姿勢は、より冷静で客観的な判断力や、ぶれない生き方を可能にします。
- 生と死をより大きな文脈で捉える: 生と死を絶対的な対立として捉えるのではなく、「不来不去」という言葉が示すように、より大きな生命の流れや宇宙のサイクルの一部として捉える視点。これは、死への過度な恐怖を和らげ、限りある「生」をより深く、豊かに捉えることに繋がるかもしれません。
- 執着からの解放と心の自由: 「空」の思想は、私たちがつい抱え込んでしまう様々な執着(物、地位、名誉、人間関係、過去の出来事、未来への不安など)から自由になるための鍵となります。執着を手放すことで、心の重荷が軽くなり、より柔軟で穏やかな気持ちで日々を過ごせるようになります。
- 精神性の追求と心の平安: どのような困難な状況、あるいは人生の最終段階にあっても、人間は精神的な成長や高みを目指し、心の平安や悟りを求めることができる。隆像の姿は、目に見える物質的な豊かさだけでなく、内面的な精神性の豊かさがいかに大切であるかを示しています。
- 忠誠と信念に生きる姿: 主君のために命を捧げるという選択は現代とは異なりますが、自分が信じるものや、仕えるべき対象(人、組織、理念など)に対して、誠実に、最後まで責任を持って向き合うという姿勢には、現代においても学ぶべき点が多くあります。
大内家滅亡という悲劇の中で、主君・義隆に殉じた忠臣、黒川隆像。その最期の言葉は、戦国の世の激しさや無常観とは一線を画す、静かで深遠な悟りの世界を示しています。「夢」も「空」も超えた先にある「端的」の境地。隆像の辞世の句は、私たちに、人生や存在の根源について、そしていかに生き、いかに死と向き合うかという普遍的な問いについて、深く考えるきっかけを与えてくれるのではないでしょうか。
この記事を読んでいただきありがとうございました。
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