茶器を割ったのではない。 自分の器量の小ささを割ったのだ。
どんなに素晴らしい技術や知識を持っていても、それだけで器量があるとはいえません。技術、知識、などの才能があり、性格、人柄、人望、心の大きさがあることよって「あの人は器が大きいよ」とか「人の上に立つ器量がある」など、表現されることがあります。魅力、胆力、実力、奥が深い人間力があって器量があると認められます。歴代の将軍にも一目おかれた存在であった政宗は常に器量を磨いていたようです。
あるとき、政宗は名器と呼ばれる茶碗を自ら割りました。配下の家来たちが理由を尋ねると、「この茶器の価値は千金と聞き驚いた。だが、茶碗を割ったのは、それが高価だったからではない。千金ということを聞き、驚いた己の器量の小ささに腹が立ったからだ。茶碗とともに己の情けない心を砕いたのだ」と答えたといいます。
器量を養うのは、器の大きな人を見て学ぶことだと思います。器量人とまでは評されていなくても、考えていることが大きく、特別な気配、雰囲気、リーダーの資質を持っている人から、器量の磨き方を参考にしたいところです。世の中には思い通りにならないことが山ほどありますが、器の大きな人は、他人を受け入れ、厳しい状況でも、どっしりと構えて周りに安心感を与えることができます。
一番根本的な、「仁」「徳」「礼節」の心を持ち、信念を貫き通すことをしたら、自然と器量が大きくなります。器量が問われる場面では、「常識にとらわれないこと」で決断できる人ほど、器が大きく見えます。自分の器量を人に見せる意識を持つと、情けないことはできなくなっていくものです。
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