牛を斬れ
玄以は尾張小松原寺の住職でしたが信長の嫡子である信忠に仕えます。思慮深く私欲の無い性格で、信長・信忠父子からは信任が厚かったようです。本能寺の変のときは、幼い三法師(信忠の嫡男)を連れて、京の町から清洲城まで守り抜いて、三法師の守役になりました。
秀吉が天下を統一した後は京都所司代として働き、豊臣政権下で五奉行の一人になります。朝廷との交渉役も担うなど秀吉からもあつく信任され、とくに京都の庶政や寺社関係で手腕を発揮すると、丹波で五万石を与えられ、亀山城主となりました。関ヶ原の役には西軍に属しますが、主戦派ではなく東軍にも内通していたため、亀山五万石は嫡子茂勝に安堵されています。
玄以の京都所司代、在任中のエピソードがあります。
ある時、行く手に牛舎が転倒していました。それを見た玄以は怒り、「牛を斬れ」と供の者に告げます。当時の定法であれば、牛の所有者を罰するのが当然ですが、それを指摘しても玄以は「牛を斬れ」の一点張りだったそうです。玄以の命令通り、その場で牛は殺され、京の人々はみな「今度の所司代は何をするかわからない人だ」と口々に噂し、恐れていたようです。
しかし、玄以は京都所司代の在任中に一人の人間も処刑しませんでした。秀吉はそのやり方に感心したそうです。
人によって何を基準に考えるのかはそれぞれ違ってきます。まわりの環境、まわりの人の意見に左右されないで、何をするにしても自分の基準、判断基準をしっかりと持つことです。自分の基準をどこに基準を置くのかによって、結果や目的が大きく異なってきます。どの考えが良い、悪いというものではなく、基準となるものをどこに置くのかです。
他人の目や評価を気にせず、自分の好き嫌いを基準にして、自分の望むことを見つけ、自分がやりたいことをする。自分の基準が正しいとか、間違っているとかは、考えなくても行動の結果を振り返れば自然に答えがでてきます。そのときに自分の基準を変えていけば良いことで、他人の基準の期待に応えるために、考えて行動するだけではもったいないです。
他人の基準に合わせても、他人は責任をとってくれません。自分の人生の責任を取ってくれるのは自分だけです。自分が望む人生を生きるために、自分の基準で行動することも悪くはないはずです。
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