蒲生氏郷は少年時代、父・蒲生賢秀が織田信長に降伏したため、その人質になりました。信長は氏郷の非凡さを見抜き、娘の冬姫を嫁がせて一門に加えています。信長亡き後は豊臣秀吉に仕え、小田原討伐等で功を上げ、九十二万石の大大名にまで出世しました。後に千利休の高弟「利休七哲」の一人に数えられ、知勇兼備の武将といわれます。その氏郷は、新たに家来を召抱えるとき
「わが家には銀の鯰尾の兜をかぶった兵がいて、戦いの度に真っ先に進み出て、良く働いている。この男に劣らず振舞うようにいたせ」
必ずこう言って励ましていました。いざ戦がはじまると、銀の鯰尾の兜をかぶった武将が真っ先に駆けて行きます。それは大将の氏郷自身でした。その姿を見た新参の者は奮い立ち、目覚ましい戦働きをするようになります。
この時代に指揮官が先頭に立って戦に向かうことはしません。大将がやられてしまえば、指揮する人がいなくなるためです。そんな危険を冒してでも、氏郷は自ら手本となることをなにより重視しています。目標を達成するためには、行動力が必要です。その人が何を言うかではなく、何をするかで、その人となりが分かるといいます。
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