「齢八十にして、親父の云うことようやく心得たり」
足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時の有力者に仕えて戦国の世を生き抜き、肥後五十二万石の基礎を築きました。父・幽斎と同じく、教養人・茶人としても有名な、細川忠興の名言です。
正室は明智光秀の娘・玉子(通称細川ガラシャ)の夫でもあります。若い頃、父親であり名高い歌人でもある藤孝(幽斎)に、「お前も少しは歌を学べ」と言われますが忠興は「しょせん私のような者が歌を学んでも、歌人である 父上の名を落とすだけでしょう」と答えました。
しかし藤孝は「お前のような不出来な子が何人いても、私の歌人としての名を落とすようなことはない。安心しろ」と言って忠興に歌を勉強させました。その後、忠興は千利休に師事し、利休に最も気に入られていた弟子になり、利休七哲の一人に数えられます。
『細川三斎茶書』という著書を残し、その造詣の深さは茶の湯だけに止まらず優れた和歌や能楽、絵画にも通じ、戦国時代屈指の文化人と呼ばれた父・藤孝に負けず劣らずの文化人になりました。忠興の可能性が広がるような父の教えでした。
同じ立場になって見えてくる父の姿。いつの間にか父・藤孝に言われたことを実践していた自分に気づいたのではないでしょうか。たまには親父の言っていたことを考えてみてもいいかもしれません。
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