戦国武将 辞世の句

戦国武将 辞世の句

森長可の辞世の句|「鬼武蔵」最期の美学と戦場に咲いた覚悟の句

織田信長の家臣団の中でも、その圧倒的な武勇で「鬼武蔵(おにむさし)」と恐れられた猛将がいました。森長可(もりながよし)です。父・森可成も戦死した武将であり、長可自身もまた、戦場を駆け抜け、短い生涯を壮絶な最期で締めくくりました。その生き様は...
戦国武将 辞世の句

脇坂安治の辞世の句|豊臣に忠を尽くした武将が詠んだ静かな別れ

豊臣秀吉が天下人となる道を切り開いた戦いの一つ、賤ヶ岳の戦いで、めざましい武功を立て、「賤ヶ岳の七本槍」に数えられた猛将がいます。脇坂安治(わきざかやすはる)です。秀吉の子飼いとして大名に出世し、文禄・慶長の役では水軍を率いて活躍。そして天...
戦国武将 辞世の句

お万の方の辞世の句|徳川家を支えた側室が遺した気高き想い

戦国時代、天下統一を目指す武将たちの影には、彼らを支え、家を存続させる上で重要な役割を果たした女性たちがいました。徳川家康の側室、お万の方(おまんのかた)もまた、そうした女性の一人です。紀州徳川家や水戸徳川家という、後の徳川幕府を支えること...
戦国武将 辞世の句

「風魔小太郎の辞世の句|忍の頭領が闇に消える瞬間に詠んだ響き

戦国時代、歴史の表舞台で華々しく活躍した武将たちの陰には、光の当たらない場所で任務を遂行した者たちがいました。忍びです。中でも、後北条家に仕えたとされる風魔一党の頭領、風魔小太郎(ふうまこたろう)は、その実像には謎が多く、様々な伝説に彩られ...
戦国武将 辞世の句

足利義昭の辞世の句|最後の将軍が夢に見た戦国の幕切れ

戦国時代という混乱の時代にあって、名目上の日本の最高権力者でありながら、実権をほとんど持たず、時の権力者である織田信長に擁立され、そして追放されるという、数奇な運命をたどった人物がいます。室町幕府第15代将軍、足利義昭(あしかがよしあき)で...
戦国武将 辞世の句

宇喜多秀家の辞世の句|八丈島で詠んだ月と波に託した最後の想い

戦国の終焉、そして天下が徳川家康へと傾く中で、栄華の絶頂から一転して、遠い孤島へ流されるという過酷な運命をたどった武将がいます。宇喜多秀家(うきたひでいえ)です。豊臣秀吉の寵愛を一身に受け、若くして大大名となり、五大老の一人にまで上り詰めま...
戦国武将 辞世の句

新発田重家の辞世の句|謀反の将が命と引き換えに遺した言葉

戦国時代、主君への忠誠を誓う家臣が多い一方で、自らの野望のために反乱を起こし、歴史に名を刻んだ武将もいます。新発田重家(しばたしげいえ)もまた、そうした一人です。上杉謙信の死後、跡を継いだ上杉景勝に対し反旗を翻し、越後国を二分する激しい戦い...
戦国武将 辞世の句

直江兼続の辞世の句|「義」の武将が見据えた死と、その先

戦国の世にあって、利害が渦巻く中で自身の「義」を貫き通した武将がいました。上杉景勝の重臣、直江兼続(なおえかねつぐ)です。上杉謙信から受け継がれた「義」の精神を大切にし、豊臣秀吉や徳川家康といった天下人を相手にも一歩も引かない態度を貫きまし...
戦国武将 辞世の句

山中鹿之介の辞世の句|「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」

戦国乱世には、自らの家を滅亡の危機から救い、あるいは再興するために、艱難辛苦(かんなんしんく)を厭わぬ壮絶な生き様を見せた武将たちがいました。山中鹿之介(やまなかしかのすけ)もまた、そうした忠臣の一人です。主家である尼子家(あまごけ)の再興...
戦国武将 辞世の句

小早川隆景の辞世の句|知略と和を尽くした名将の静かな終焉

戦国時代、中国地方に一大勢力を築いた毛利家には、その基礎を固めた毛利元就と、彼を支えた二人の息子がいました。次男・吉川元春と三男・小早川隆景(こばやかわたかかげ)です。この二人は合わせて「毛利両川(もうりりょうせん)」と呼ばれ、兄・元春が武...
戦国武将 辞世の句

妙玖の辞世の句|毛利家を支えた智将の妻、愛と誇りの一言

戦国時代、夫や息子たちの活躍によって歴史に名を刻んだ武将たちの影には、激動の時代を共に生き、家を支えた女性たちの存在がありました。毛利元就の正室、妙玖(みょうきゅう)もまた、そうした女性の一人です。安芸国の小豪族に過ぎなかった毛利家が、中国...
戦国武将 辞世の句

武田信虎の辞世の句|放逐された父が漂泊の果てに詠んだ言葉

戦国最強と謳われた武田信玄の父でありながら、その信玄によって甲斐から追放されるという数奇な運命をたどった武将がいます。武田信虎(たけだとらのぶ)です。彼は甲斐国を統一し、武田家の礎を築いた紛れもない英傑でしたが、その苛烈な性格ゆえに息子との...
戦国武将 辞世の句

今井宗久の辞世の句|茶人が一服に込めた、生と死の境界

戦国時代、京都に並ぶ自治都市として栄えた堺には、巨大な経済力を背景に、時の権力者にも大きな影響力を持つ豪商たちがいました。今井宗久(いまいそうきゅう)もその一人です。彼は単なる商人にとどまらず、武野紹鴎(たけのじょうおう)、そして千利休と共...
戦国武将 辞世の句

鍋島直茂の辞世の句|智勇を併せ持った肥前の名将の終曲

乱世を巧みに生き抜き、肥前佐賀藩の実質的な祖となった一人の智将がいました。鍋島直茂(なべしまなおしげ)です。主家である龍造寺家の家臣ながらも、その危機を救い、ついには鍋島家を大名へと押し上げました。武勇だけでなく、内政や外交にも優れた手腕を...
戦国武将 辞世の句

長宗我部元親の辞世の句|「鬼若子」が歩んだ誇り高き戦の道

戦国時代、土佐(現在の高知県)の片隅から立ち上がり、またたく間に四国をほぼ統一する勢いを見せた英傑がいました。長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)です。「鳥なき里の蝙蝠(こうもり)」と揶揄されるほどの弱小豪族から身を起こし、並外れた知略と勇...
戦国武将 辞世の句

小西行長の辞世の句|信仰に殉じたキリシタン大名、殉教の句

戦国乱世にあって、武勲を立てて名を馳せた武将は数多くいますが、商人から身を起こし、しかも熱心なキリシタン大名として生きた稀有な存在がいました。小西行長(こにしゆきなが)です。豊臣秀吉の信任を得て一時は肥後宇土の領主となり、朝鮮出兵では先鋒を...
戦国武将 辞世の句

立花誾千代の辞世の句|女城主が咲かせた強さと美の結晶

戦国時代、数多の武将が天下を争う中で、ひときわ異彩を放つ女性がいました。立花誾千代(たちばなぎんちよ)。勇猛果敢な武将・高橋紹運の娘として生まれ、同じく「鬼」と称された立花道雪の養女となり、若くして立花家の家督を継いだ女性当主です。歴史の表...
戦国武将 辞世の句

徹岫宗九 辞世の句|禅の真髄に至った武士の最期の境地

戦国時代の激しい動乱は、武将たちだけでなく、仏教における悟りの世界に生きた人々の生き様にも深い影響を与えました。今回ご紹介するのは、室町時代後期から戦国時代にかけて、美濃国(現在の岐阜県)を中心に活動した臨済宗の禅僧、徹岫宗九(てっしゅうそ...
戦国武将 辞世の句

千利休 辞世の句|茶の道を貫いた美学と、静かな最期の言葉

戦国から安土桃山時代にかけて、日本の美意識に革命をもたらした一人の巨人がいました。茶の湯を単なる喫茶の習慣から、精神性を伴う総合芸術「わび茶」へと昇華させた千利休です。時の天下人、織田信長や豊臣秀吉に仕え、文化的な側面から絶大な影響力を持ち...
戦国武将 辞世の句

駒姫 辞世の句|美しき悲劇に咲いた、薄幸の姫の最期の詠

戦国の世は、勇猛な武将たちが覇を競う華々しい舞台であると同時に、数多の悲劇が生まれた時代でもありました。今回ご紹介するのは、その激流の中で短い生涯を閉じた一人の女性、駒姫(こまひめ)です。東北の雄、最上義光(もがみよしあき)の愛娘として生ま...
戦国武将 辞世の句

桂林院 辞世の句|武田家滅亡と共に散った若き姫の絶唱

戦国時代。それは、数々の英雄が覇を競った華々しい時代であると同時に、多くの名門が歴史の波に呑まれ、滅び去っていった悲劇の時代でもありました。今回光を当てるのは、甲斐の名門・武田家の最後の当主、武田勝頼の正室であり、北条家から嫁いだ姫君、桂林...
戦国武将 辞世の句

小野木重勝室 辞世の句|関ヶ原に殉じた女武士の気高さと覚悟

戦国時代。それは、勇ましい武将たちの活躍が語られる一方で、その陰で多くの人々が時代の荒波に翻弄され、悲劇的な運命を辿った時代でもあります。特に女性たちは、自らの意思とは関わりなく、家の存亡や夫の運命に深く左右されることが少なくありませんでし...
戦国武将 辞世の句

冷泉隆豊 辞世の句|忠を貫いた武士が空に託した最後の一言

戦国乱世。それは、裏切りや下剋上が横行する厳しい時代でありながら、同時に、主君への揺るぎない忠誠心を貫き、命を捧げた武将たちがいた時代でもありました。今回ご紹介するのは、西国随一の大名・大内義隆に仕え、その最期まで共に戦い、散っていった忠臣...
戦国武将 辞世の句

山崎隆方 辞世の句 | 迷いの中に見出した、武士としての悟り

戦国時代。それは、下剋上が常となり、昨日の友が今日の敵となる、激動と変化の時代でした。多くの武将たちが歴史の表舞台で華々しく活躍する一方で、その詳細な生涯が謎に包まれたまま、深い思索を遺して去っていった人物もいます。今回は、生没年にも不明な...
戦国武将 辞世の句

宗像氏貞 辞世の句 | 戦乱の果てに響く、魂の慟哭と誇り

戦国時代。それは、数多の武将たちが己の信念と野望を胸に、激しくぶつかり合った時代。命が儚く散ることも珍しくない、非情な現実がありました。そんな乱世を駆け抜けた武将たちは、最期の瞬間にどのような想いを抱き、言葉を遺したのでしょうか。今回は、筑...
戦国武将 辞世の句

三好義賢(実休) 辞世の句|因果応報を静かに受け入れた智将の最期

戦国時代中期、畿内に強大な勢力を築き上げ、一時は天下の実権を握った三好長慶(みよし ながよし)。その弟として兄を補佐し、三好政権の柱石として文武にわたる活躍を見せたのが、三好義賢(よしかた)、後の実休(じっきゅう)です。勇猛果敢な武将として...
戦国武将 辞世の句

三好長治 辞世の句|名門の若武者が雪に託した儚き問い

かつて畿内に強大な勢力を築き上げ、一時は天下人とも称された三好長慶(みよし ながよし)。その栄光を受け継ぐはずだった一族は、しかし、長慶の死後、内紛や織田信長の台頭によって急速に衰退していきます。三好長治(みよし ながはる)は、まさにその没...
戦国武将 辞世の句

三村元親 辞世の句|露のように消えた若武者が見た自然の理

戦国時代の中国地方、備中国(現在の岡山県西部)に勢力を張った名門・三村氏。その最後の当主となったのが、三村元親(みむら もとちか)です。父・家親を宇喜多直家の謀略によって暗殺され、若くして家督を継いだ元親は、父の仇討ちと家の存続を賭け、西の...
戦国武将 辞世の句

三原紹心 辞世の句|夫と共に討ち死にした烈女の魂の叫び

戦国時代、夫である武将と共に戦場に生き、あるいは城を守り、時には夫と運命を共にした気丈な女性たちがいました。三原紹心(みはら じょうしん、宋雲尼(そううんに)とも)も、そんな一人です。紹心は、「武士の鑑」と称えられた大友氏の忠臣・高橋紹運(...
戦国武将 辞世の句

松井康之 辞世の句|忠臣が見出した、静かなる“真の道”

戦国時代から江戸時代初期にかけて、目まぐるしく移り変わる時代の流れの中、主家である細川家を二代にわたって忠実に支え続けた名家老がいました。その名は、松井康之(まつい やすゆき)。室町幕府の幕臣の家に生まれながら、後に細川藤孝(幽斎)・忠興親...
戦国武将 辞世の句

前野長康 辞世の句|殉死を選んだ忠臣が放った、最期の一矢

豊臣秀吉の甥(養子)として関白となりながら、後に謀反の疑いをかけられ非業の最期を遂げた豊臣秀次。その秀次に傅役(もりやく)・宿老として仕え、最後まで忠誠を尽くし、運命を共にした武将がいました。その名は、前野長康(まえの ながやす)。秀次の無...
戦国武将 辞世の句

風を恨みじ、胸の霧も晴れ、空へ還る ~北条氏政、滅びの果ての三重の諦観~

約100年にわたり関東に君臨し、戦国時代屈指の安定した領国を築き上げた後北条氏。その四代目当主として、一族の栄華を継承したのが北条氏政(ほうじょう うじまさ)です。父・氏康という偉大な先代を持ち、弟たち(氏照、氏邦、氏規ら)の補佐を得て、北...
戦国武将 辞世の句

天地の清きへ還る ~北条氏照、自然に溶けゆく武将の魂~

戦国時代、約100年にわたり関東地方に君臨した名門・後北条氏。その屋台骨を支え、武勇と知略で一門を牽引した武将がいました。北条氏照(ほうじょう うじてる)。三代当主・北条氏康(うじやす)の子として生まれ、兄である四代当主・氏政(うじまさ)を...
戦国武将 辞世の句

君なくば命何かは ~別所治定、兄に殉じた若武者の純情~

「三木の干(ひ)殺し」として知られる、戦国史上最も凄惨な籠城戦、三木合戦。羽柴(豊臣)秀吉による執拗な兵糧攻めの前に、播磨国(現在の兵庫県南西部)の名門・別所氏は滅亡しました。この時、城主であった別所長治(ながはる)と共に、二人の弟もまた、...
戦国武将 辞世の句

恨みもあらじ、諸人の為に ~別所長治、若き城主の自己犠牲と諦観~

戦国時代、播磨国(現在の兵庫県南西部)の名門・別所氏の若き当主、別所長治(べっしょ ながはる)。織田信長の天下統一事業が進行する中、長治は信長に反旗を翻し、羽柴(豊臣)秀吉率いる大軍を相手に、本拠地・三木城での壮絶な籠城戦(三木合戦)を繰り...
戦国武将 辞世の句

名のため捨つる命は惜しからじ ~平塚為広、関ヶ原に散った義の心~

慶長5年(1600年)、天下分け目の決戦となった関ヶ原の戦い。この戦いでは、数多くの武将たちがそれぞれの信念や義理のために死力を尽くし、その命を戦場に散らしました。平塚為広(ひらつか ためひろ)もまた、石田三成率いる西軍の一員として奮戦し、...
戦国武将 辞世の句

心の闇に迷わず、後の世を見ん ~波多野秀治、裏切りの果ての静かな覚悟~

織田信長の天下統一事業に対し、丹波国(現在の京都府・兵庫県の一部)で敢然と反旗を翻し、一年半にも及ぶ壮絶な籠城戦を戦い抜いた戦国大名、波多野秀治(はたの ひではる)。弟(または子とされる)秀尚と共に、明智光秀率いる織田の大軍を相手に最後まで...
戦国武将 辞世の句

恨みは忘れじ、仇し人をば ~波多野秀尚、裏切りに散った無念の叫び~

戦国時代、天下統一を目指す織田信長の前に、敢然と反旗を翻し、最後まで抵抗を続けた一族がいました。丹波国(現在の京都府・兵庫県の一部)に勢力を誇った波多野氏です。波多野秀尚(はたの ひでなお)は、当主であった兄・秀治(ひではる)を支え、共に信...
戦国武将 辞世の句

生死を断じ、寂寞として声なし ~野上房忠、非情の果てに見いだした悟り~

戦国時代、中国地方の覇者となった毛利元就。その勢力拡大の過程で、かつての西国の雄・大内氏は滅亡へと追いやられます。野上房忠(のがみ ふさただ)は、毛利氏の家臣として、この大内氏滅亡という歴史的な大事業の、まさに最後の場面に立ち会った人物です...
戦国武将 辞世の句

散り残る花もいくほどの世ぞ ~祢宜右信、戦乱の無常を見つめて~

歴史の大きな転換点となる事件の陰では、名もなき多くの人々が翻弄され、その命を散らしています。天文20年(1551年)に起こった大寧寺の変は、西国随一の大名・大内義隆が家臣・陶晴賢の謀反によって滅びた大事件ですが、この時、義隆や、共にいた公家...
戦国武将 辞世の句

恨みは雲の上まで ~二条良豊、戦乱に散った公達の慟哭~

戦国時代の動乱は、武士たちだけでなく、雅やかな都に生きる公家たちの運命をも大きく揺るがしました。戦火を逃れ、地方の有力大名を頼って都落ちする公家も少なくありませんでした。二条良豊(にじょう よしとよ)も、そんな時代に翻弄された若き公達(きん...
戦国武将 辞世の句

花の後まで残りしは ~鬼武蔵・新納忠元、老将の春愁と諦観~

「鬼武蔵(おにむさし)」の異名を取り、島津家四代にわたって忠誠を尽くした猛将、新納忠元(にいろ ただもと)。島津氏の九州統一戦では数々の武功を挙げ、その勇名は敵からも恐れられました。しかし、忠元はただの武辺者ではなく、和歌にも通じ、領地経営...
戦国武将 辞世の句

後の世までも仕えなむ ~中村文荷斎、死を超えた忠臣の願い~

戦国時代から安土桃山時代にかけて、一介の足軽身分から天下人にまで成り上がった豊臣秀吉。その輝かしい成功の陰には、秀吉の才能を早くから見抜き、その覇業を文字通り命がけで支え続けた多くの忠実な家臣たちがいました。中村文荷斎(なかむら ぶんかさい...
戦国武将 辞世の句

梅も桜も散り果てて ~長野業盛、箕輪に響く滅びの哀歌~

戦国時代、上野国(こうずけのくに、現在の群馬県)に、武田信玄や北条氏康といった強大な敵の侵攻を幾度となく退け、「上州の黄斑(こうはん)」と称された名将がいました。長野業正(ながの なりまさ)。その業正が築き上げた堅固な結束力を受け継ぎ、若く...
戦国武将 辞世の句

君がため、厭わぬ命ぞ武士の道 ~鳥居勝商、長篠に散った忠臣の誓い~

徳川家康の天下取りを支えた家臣団の中でも、「三河武士」の忠誠心の篤さは際立っています。その代表格として、伏見城で壮絶な討死を遂げた鳥居元忠(もとただ)の名は広く知られていますが、その元忠の兄であり、同じく家康に生涯を捧げ、長篠の戦いで散った...
戦国武将 辞世の句

秋風よ、残る露を誘うか ~鳥居景近、亡き人を想う別れの歌~

戦国時代、数々の勇猛な武将たちが戦場を駆け巡りましたが、その一方で、歴史の表舞台には大きく名が出なくとも、忠義を尽くし、静かに散っていった武士たちも数多く存在します。鳥居景近(とりい かげちか)も、そうした武将の一人と言えるかもしれません。...
戦国武将 辞世の句

露の身の消えなば何の咎あらじ ~筒井定慶、世評に揺れた終焉の諦観~

戦国時代の大和国(現在の奈良県)にその名を轟かせた智将・筒井順慶(つつい じゅんけい)。その跡を継ぎながらも、時代の波に翻弄され、最後は大坂の陣で豊臣方として戦い、敗れて処刑された武将がいます。その名は、筒井定慶(つつい じょうけい)。順慶...
戦国武将 辞世の句

我が名は岩屋の苔と共に、雲居の空へ ~高橋紹運、玉砕に刻んだ不滅の忠義~

戦国時代の九州に、その壮絶な最期によって「武士の鑑」と称えられ、敵将からも賞賛された武将がいます。その名は、高橋紹運(たかはし じょううん)。大友氏の重臣として、盟友・立花道雪と共に、衰退する主家を最後まで支え続けました。九州統一を目指す島...
戦国武将 辞世の句

末の露、もとの雫へ ~高橋鑑種、流転の末に見出した無常の理~

戦国時代の九州で、キリシタン大名・大友宗麟のもと、重臣として活躍しながらも、後に主家に反旗を翻し、流転の末に非業の最期を遂げた武将がいます。その名は、高橋鑑種(たかはし あきたね)。(※立花道雪と共に大友家を支え、岩屋城で壮絶な討死を遂げた...
戦国武将 辞世の句

枯れ果つる草の葉、主や結ぶらん ~諏訪頼重、裏切りに散った神官大名の諦観~

信濃国(現在の長野県)に古くから根ざし、諏訪大社の最高神官「大祝(おおほうり)」をも兼ねるという、特別な血筋を受け継いだ名門・諏訪氏。その当主であった諏訪頼重(すわ よりしげ)は、戦国時代の荒波の中で、隣国・甲斐の武田信玄(当時は晴信)の裏...
戦国武将 辞世の句

花散るは風の科ならず、時ぞ至れる ~少弐政資、滅びを受け入れた静かな諦観~

かつて九州北部に栄華を誇った名門・少弐氏。鎌倉時代には元寇(蒙古襲来)の撃退に多大な功績を上げましたが、室町時代以降、その勢力は次第に衰え、隣国の雄・大内氏との熾烈な覇権争いに明け暮れることになります。少弐政資(しょうに まさすけ)は、この...
戦国武将 辞世の句

魂のありかは白雲の末 ~島津歳久、反骨の知将が見せた最後の韜晦~

戦国時代、九州南部から怒涛の勢いで勢力を拡大した島津氏。その快進撃を支えた「島津四兄弟」(義久、義弘、歳久、家久)は、それぞれに個性豊かな名将として知られています。中でも三男・島津歳久(しまづ としひさ)は、優れた知略と冷静な判断力で、兄・...
戦国武将 辞世の句

厄妄想の袋、今破るなり ~佐々成政、苦悩を断ち切る最後の決意~

織田信長の家臣として頭角を現し、北陸の地で勇名を馳せた戦国武将、佐々成政(さっさ なりまさ)。厳冬期の立山連峰を越えた「さらさら越え」の逸話は、その不屈の精神と行動力を今に伝えています。しかし、時代の流れは成政に厳しく、豊臣秀吉との対立、そ...
戦国武将 辞世の句

火宅を出づる小車 ~鬼玄蕃・佐久間盛政、最期の無常観~

「鬼玄蕃(おにげんば)」の異名で敵から恐れられた、戦国時代の猛将、佐久間盛政(さくま もりまさ)。織田信長亡き後の覇権を争った賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いでは、柴田勝家の先鋒として獅子奮迅の活躍を見せますが、その勇猛さがあだとなり、最後は捕ら...
戦国武将 辞世の句

夢も空も越えて、真実の中へ ~黒川隆像、殉死に見た悟りの境地~

戦国時代、主君への忠義を貫き、その最期まで運命を共にした家臣たちが数多く存在します。黒川隆像(くろかわ たかかた、隆象とも)も、そんな忠臣の一人です。西国に栄華を誇った大内義隆に仕え、文官として主君を支えましたが、天文20年(1551年)、...
戦国武将 辞世の句

古は門司の夢の月、いざ阿弥陀寺の海へ ~木付統直、異郷に散った忠臣の望郷歌~

戦国時代、九州にその名を轟かせた名門・大友氏。その激動の時代を、忠臣として支え続けた武将がいました。木付統直(きつき むねなお)。主家の栄光と衰退、そして滅亡という悲運に立ち会い、最後は豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍し、異国の地で非業の最期を遂げ...
戦国武将 辞世の句

勝敗を論ぜず、ただ山は寒く水は清し ~垣並房清、厳島に散った禅の心~

戦国時代、天下分け目の戦いは数あれど、毛利元就が奇襲によって陶晴賢(すえ はるかた)の大軍を打ち破った「厳島の戦い」は、その劇的な展開で知られています。この戦いで、主君・陶晴賢と共に奮戦し、厳島の地に散った忠臣がいました。その名は、垣並房清...
戦国武将 辞世の句

小幡義実の辞世に漂う、静寂と覚悟

戦国時代の動乱の中、大内義隆に仕え、その最期を共にした小幡義実。彼の名は、歴史の表舞台で大きく輝いたわけではありませんが、その辞世の句には、武士としての覚悟と、静かなる達観が込められています。義実は、大内義隆の家臣として、その生涯を義隆に捧...
戦国武将 辞世の句

岡谷隆秀の辞世に響く、自然への融和と達観

戦国時代の混沌とした世を、静かに生きた岡谷隆秀。その名は、歴史の表舞台に大きく現れることはありませんでしたが、その辞世の句には、自然への深い畏敬の念と、人生に対する達観が込められています。隆秀がどのような人物であったのか、詳しいことは分かっ...
戦国武将 辞世の句

岡部隆豊の辞世に託された、刹那の美と武士の覚悟

戦国時代の激流を、その武勇と教養をもって生きた岡部隆豊。その名は、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取った織田信長の前に立ちはだかった武将として、歴史に刻まれています。しかし、彼の生涯は、ただ戦場を駆け抜けただけの武将ではありませんでした。和歌に...