南光坊天海の名言です。

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戦国武将の名言
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学んで思わざれば罔(くら)し。
思うて学ばざれば殆(あやう)し

知識を詰め込むだけでは役に立たないといわれますが、学ぶことが最初に接する知識だったら最初は暗記が大切です。頭の中にどれだけ多く、知識の引き出しを作ることができるかどうかで、その後の応用力が変わります。
知識の引き出しは、ふとした場面で役に立ち使うことができます。知識がなく自分で考えようというのはそもそも不可能です。そのために知識や経験などをできるだけ吸収します。知識の蓄積をしたうえで、その中から役に立ちそうなものを探しだして利用することができたときに、自分で考えることができます。
天海は知識を学んでも考えなければ意味がなく、自己流の考えのみで知識がないと危険であるとも説いています。知識の使い方は、自分でいろいろ試してみて身につけていくしかないものかもしれません。
南光坊天海は安土桃山・江戸初期の天台宗の僧侶で、出目は不明とされています。徳川家康の懐刀といわれ金地院崇伝と共に黒衣の宰相と呼ばれます。天海が五十五歳のときに家康と出会います。天海は家康の参謀として朝廷との交渉等の役割を担い、家康が天下取りに成功したのは、天海という知恵袋のおかげといわました。
徳川家康が七十五歳で没した家康よりもさらに三十三年も長生きし、百八歳で大往生したといわれています。この長寿によって家康・秀忠・家光の徳川三代に仕えました。家康亡き後の二代目秀忠、三代目家光は天海が病に伏した際には将軍自ら見舞って名残を惜しんだといいます。


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