君がため、厭わぬ命ぞ武士の道 ~鳥居勝商、長篠に散った忠臣の誓い~

戦国武将 辞世の句

徳川家康の天下取りを支えた家臣団の中でも、「三河武士」の忠誠心の篤さは際立っています。その代表格として、伏見城で壮絶な討死を遂げた鳥居元忠(もとただ)の名は広く知られていますが、その元忠の兄であり、同じく家康に生涯を捧げ、長篠の戦いで散った勇将がいました。その名は、鳥居勝商(とりい かつあき)。

鳥居家は、家康が今川氏の人質であった苦難の時代から支え続けた、譜代中の譜代の家臣です。勝商もまた、父・忠吉、弟・元忠と共に、家康への絶対的な忠誠を胸に戦い続けました。そんな鳥居勝商が、激戦の中で命を落とす際に遺したとされる辞世の句は、まさに三河武士の鑑とも言うべき、主君への揺るぎない忠義と、死をも恐れぬ武士の覚悟を力強く示しています。

我(わ)が君(きみ)の 命(いのち)にかわる 玉の緒(たまのを)を 何(なに)に厭(いと)ひけん 武士(もののふ)の道

家康に生涯を捧げた鳥居家の長男:鳥居勝商

鳥居勝商は、天文9年(1540年)、徳川家康の祖父・松平清康の代から仕える譜代の家臣・鳥居忠吉の長男として、三河国(現在の愛知県東部)に生まれました。弟には、関ヶ原の戦いの前哨戦となった伏見城の戦いで、圧倒的な石田方の大軍を相手に最後まで城を守り抜き、壮絶な討死を遂げて「三河武士の鑑」と称えられた鳥居元忠がいます。

勝商は、父や弟と共に、幼少期から徳川家康(当時は松平竹千代、後に元康、家康と改名)に仕えました。家康が駿府(現在の静岡市)で今川氏の人質として過ごした不遇の時代においても、鳥居家は忠誠を貫き、物心両面で家康を支え続けたと言われています。特に父・忠吉は、家康のために私財を投げ打って尽くした逸話で知られます。勝商もまた、こうした鳥居家の家風を受け継ぎ、家康への忠義を胸に刻んで成長したことでしょう。

家康が今川氏から独立し、三河国で戦国大名として歩み始めた後も、鳥居勝商は常にその陣中にあり、家康の勢力拡大のために各地を転戦しました。永禄6年(1563年)の三河一向一揆との戦いや、元亀元年(1570年)の姉川の戦い(対浅井・朝倉連合軍)、元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦い(対武田信玄軍)といった、徳川家にとって存亡をかけた重要な合戦には常に従軍し、武将として多くの武功を挙げました。その勇猛さと揺るぎない忠誠心は、家康からも深く信頼されていたはずです。

長篠の戦い、そして最期の時

天正3年(1575年)5月、日本の合戦史上、画期的な戦いとして知られる長篠の戦いが起こります。武田信玄亡き後、その勢いを引き継いだ武田勝頼が、1万5千の大軍を率いて三河国へ侵攻し、徳川方の長篠城を包囲しました。これに対し、織田信長は3万、徳川家康は8千、合わせて3万8千の連合軍を結成。設楽原(したらがはら、現在の愛知県新城市)に三重の馬防柵を築き、3千丁とも言われる大量の鉄砲を配備して、当時最強と謳われた武田の騎馬隊を迎え撃つという、周到な作戦を立てました。

鳥居勝商も、徳川軍の武将として、この天下の趨勢を左右する決戦に参加します。設楽原での戦いは、織田・徳川連合軍の鉄砲隊による一斉射撃が、突撃してくる武田の騎馬隊を次々と打ち倒すという、壮絶なものとなりました。しかし、武田軍も勇猛果敢に反撃し、戦場は熾烈を極めました。

この激戦の最中、鳥居勝商は徳川軍の一翼を担い、最前線で奮戦していましたが、ついに敵の凶刃に倒れ、討ち死にしてしまいます。主君・家康のために、そして徳川家の勝利のために、文字通り自らの命(玉の緒)を捧げて戦い、その生涯を閉じたのです。享年36。長篠の戦いは織田・徳川連合軍の歴史的な大勝利に終わりましたが、その輝かしい勝利の礎には、勝商をはじめとする多くの忠実な兵たちの、尊い犠牲があったことを忘れてはなりません。

揺るぎなき武士の道

長篠の激戦の中で、死を目前にした鳥居勝商が遺したとされるのが、「我が君の 命にかわる 玉の緒を 何に厭ひけん 武士の道」という句です。

「我が主君・徳川家康公の御命に代わって、あるいはその御為に捧げる、この自分の大切な命(玉の緒)を、どうして惜しいとか、死ぬのが嫌だなどと思うことがあろうか。いや、決して厭(いと)うものではないのだ。なぜなら、主君のために命を懸けることこそが、我ら武士が進むべき真実の道であり、本分なのだから」。

この句には、死を前にした人間の迷いや恐れ、あるいは生への未練といった感情は微塵も感じられません。そこにあるのは、ただひたすらに主君・徳川家康へ捧げられた、絶対的で一点の曇りもない純粋な忠誠心と、自らの死を、武士として最も名誉ある「本分」の遂行として受け入れる、潔く、そして揺るぎない覚悟です。

「命にかわる 玉の緒」という美しい言葉には、主君のためならば、自らの最も大切なものである命を、喜んで身代わりとして差し出すことも厭わないという、究極の自己犠牲の精神が込められています。そして、「何に厭ひけん」という強い反語表現は、「厭うはずがない」という確固たる肯定の意志を示し、主君への忠義に殉じることへの微塵の疑いもない決意を明らかにしています。

最後の「武士の道」という言葉に、鳥居勝商の生き方の全て、そしてその死の意味が集約されています。鳥居家代々受け継がれてきた忠義の精神、そして苦難を共にしてきた家康への深い恩義と信頼。それらを胸に、主君のために命を捧げることこそが、自らが歩むべき唯一の道であり、武士としての最高の誉れであると、勝商は心から確信していたのでしょう。清々しいほどに真っ直ぐで力強い、忠臣の魂の宣言が聞こえてくるようです。

鳥居勝商の生き様と、その潔い辞世の句は、個人の自由や権利が尊重される現代社会を生きる私たちにとっても、組織や他者との関わり方、そして自身の生き方について、大切な価値観を改めて考えさせてくれます。

  • 忠誠心や献身の現代的な意味: 現代において、絶対的な主君への忠誠は過去のものですが、自分が属する組織や会社、チーム、あるいは家族や友人、社会といった共同体に対して、誠実であり、その発展や幸福のために献身的に尽くすという姿勢は、信頼関係を築き、より良い社会を創っていく上で不可欠な要素です。
  • 覚悟を持って使命に取り組む強さ: 自分の仕事や役割、あるいは人生で掲げた目標に対して、「武士の道」とまでは言わずとも、強い責任感と覚悟を持って臨むこと。その覚悟が、困難な状況を乗り越える力や、途中で投げ出さない粘り強さ、そして周囲からの信頼を生み出します。
  • 迷いのない生き方が放つ輝き: 自分の信じる道、やるべきことが明確であり、それに対して一切の迷いなく突き進む人の姿は、力強く、輝いて見えます。勝商の句は、明確な目的意識と揺るぎない信念を持つことの強さと魅力を示唆しています。
  • 誇りを持って役割を全うすることの尊さ: 社会における自分の立場や役割がどのようなものであっても、それに誇りを持ち、責任感を持って最後まで誠実に全うしようとする姿勢は、自己肯定感を育み、他者からの尊敬を集め、充実した人生に繋がります。
  • 信頼関係が組織を強くする: 家臣がここまで「命にかわる」ことを厭わないと思えるほどの強い主従関係。それは、リーダーである家康の人徳や求心力がいかに優れていたかを示すと同時に、リーダーとメンバーの間に深い信頼関係が築かれることが、組織全体の結束力とパフォーマンスを最大化させる鍵であることを教えてくれます。

長篠の戦場にその命を散らした忠勇の士、鳥居勝商。弟・元忠と共に、鳥居家の、そして三河武士の忠誠心の象徴として、その名は徳川家の輝かしい歴史の中に刻まれています。辞世の句に込められた、主君への一点の曇りもない純粋な忠義と、死をも恐れぬ武士としての揺るぎない覚悟は、時代を超えて私たちの心を強く打ち、人が何かのために、誰かのために命を懸けることの崇高さについて、深く考えさせられるのではないでしょうか。

この記事を読んでいただきありがとうございました。

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