斎藤 道三の名言です。

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異色の武将 名言
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山城が子供、たわけが門外に馬を繋ぐべき事、案の内にて候

日本三大梟雄、戦国の三梟雄の一人。僧侶から油商人を経てついに一国一城の主へとのし上がった斎藤道三の名言です。
信長に娘の濃姫を嫁がせた道三は、「うつけ」と評判の信長と会見を申し出ます。美濃と尾張の国境にある聖徳寺で二人は会見することになりました。
信長より先に聖徳寺へ到着した道三は、七、八百の正装した武士を聖徳寺の御堂の縁に並び座らせて信長を驚かせようとします。
対する信長はひょうたんをぶら下げ見るからにうつけものの格好をしていましたが、御供衆を引き連れ、さらに三間間中柄の朱槍五百本、弓・鉄砲五百丁を持たせて、総勢千七・八百人を引き連れた見事な行列で聖徳寺に向かいました。職業軍人で構成されている兵士たちを見た道三は、信長の軍事力を認めなければならなかったようです。
聖徳寺に着いた信長は正装に着替えたあと、縁側の柱に寄りかかり道三を待ちました。道三の家臣は信長を座敷で待たせたかったようでしたが、信長は座敷に入ろうとはしませんでした。しばらくして、道三が現れても信長は動きません。
道三の家臣が「こちらが山城守殿でございます」というと、「そうであるか」と言って敷居内に入り、道三に挨拶をして座敷に座りました。道三を目の前にしても信長は堂々としていたようです。会見では湯漬けをともに食べ盃を交わすなどして、信長と道三の初顔合わせは無事に終わりました。
「一流は一流を知る」と言われますが、道三は信長に何かを感じ取ったのでしょう。帰り道に道三の家臣が「信長は評判通りのうつけでしたな」というと、山城が子供、たわけが門外に馬を繋ぐべき事、案の内にて候「わしの息子らは、そのうつけの下につくことになるだろう」と、この会見で道三は信長の才能と器量を見抜きました。道三が長男の義龍と戦って長良川で討死する前日に「美濃国は織田上総介に譲渡致す」との遺言状を信長に送っています。
一流の人は他の人と違う何か突出したものを持っていて魅力的です。一流の人を羨むのでなく、一流の人に触れる機会を増やすことで視野が開けることがあります。
一流の人に学ぶ機会があった場合に、その人の考え方、人生観、習慣を参考にして、自分に吸収していければ、一流の人に近づくことになります。仕事の成果がそれなりに上がっているときは、今のやり方は変えたくないという気持ちがあるかもしれませんが、必要なのは素直に学ぶ気持ちです。一流の人が大事にしている基礎を、そのまま真似して習得することをおすすめします。
基礎が身についていないままだと、せっかく学んでいても応用がうまくできずに、結果が出るまでに時間がかかり、遠回りになってしまいます。基礎をしっかり行っていると応用がより高いレベルで使いこなせるようになります。自分の個性を発揮することはそれからでも遅くはありません。
戦国武将の名言集に戻ります。

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